概要
西岡 良仁 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 日本:三重県津市 |
生年月日 | 1995年9月27日 |
身長 体重 |
170cm 63kg |
選手情報 | |
利き手 | 左 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 2011年 |
テニス選手テンプレート |
三重県津市出身のテニス選手。父親はテニススクールの校長さんである。
中学3年のときから錦織圭と同じ盛田ファンドのサポートを受けてIMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに留学。同ファンドは短期目標をクリアできないと支援継続を許されない厳しい制度があるが、見事留学期間を満了している。盛田ファンド創設後、実際に満了できたのは錦織以来二人目のことだという(全米オープンジュニアダブルス優勝の中川直樹が3人目)。
ジュニア時代から名前は知られていたがプロ転向した2014年に急成長。全米オープンで予選を突破したほか、アジア大会では決勝で台湾の盧彦勳(ルー・イェンスン:過去最高ランキング33位、2010年ウィンブルドンベスト8)を下して金メダルを獲得している。最終的に2014年は年初の442位から153位までランキングを上げて終了した。2015年はかつて錦織が初優勝を挙げたデルレイビーチでツアー本戦初勝利をゲット。予選を突破した全米オープンでは1回戦をフルセットで勝ち、四大大会本戦での初勝利となった。2016年はついにランキングTOP100を経験。同年2月にはATPの若手プッシュ企画NextGenerationにも選出されている。
2017年2月~3月にかけて好調で、ランキングを一気に上げてきた。特にインディアンウェルズではラッキールーザーからベスト16まで残った。勝ち上がりの中でシード選手のイボ・カルロビッチ、トマス・ベルディヒを倒しているだけに価値がある。しかし続くマイアミでは1回戦を勝ち上がりながら2回戦で故障リタイア。左脚の前十字靭帯断裂という診断で手術となってしまい、ツアー定着を目前にしながら2017年は終わってしまった。2018年初頭から復帰したが、緒戦のチャレンジャーは1回戦負け。全豪オープンでは2回戦で負けたものの、1回戦ではシード選手のフィリップ・コールシュライバーに対してアップセットを見せている。復帰直後としてはまずまずといったところか。その後はチャレンジャーで優勝が1回あったものの、四大大会ではイマイチドロー運に恵まれずなかなか大きな活躍は出来なかったが、アジアシーズンに入って深圳の大会で見事ツアー初優勝を成し遂げた。日本人のツアーレベルシングルス優勝としては5人目の快挙となった。ちなみに同大会ではデビスカップ代表ダブルスで活躍しているマクラクラン勉がダブルス優勝しており、日本人選手が単複で同時優勝する史上初の快挙となった。ジャパンオープンにはワイルドカードで出場の予定。
将来に不安があるのはときとして守備的過ぎると言われるプレースタイルと、錦織以上の体格の無さか。ただ最近は徐々に展開を速めつつある様子。また体格の無さは将来性の無さと判断されやすいため、逆に発奮材料になっている節がある。某書での修造の評は「努力の人、そして根性の人」「僕と一緒で素質がないと言われた選手ですが、人並外れた精神力の強さと、あきらめない心で、ここまで上り詰めてきました」というもの。もっともメンタルについては以前は直情的な傾向があって課題だったのが、コーチに一時的に練習を禁じられメンタルトレーニングに励んだ結果、改善してきたのだという。ニック・キリオスらこの世代の若手選手たちに共通するが、格上の相手でも臆せず戦える点は素晴らしい。今後の活躍が期待されるポスト錦織の一番手である。
主な実績
※アジア大会はATPとは無関係の大会である点に注意。この実績はランキングには全く影響していない。
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関連項目
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