肥後克広とは、ダチョウ倶楽部のリーダーである。某ベーシストの影武者ではない。
概要
公式プロフィールでは1963年3月15日生まれとなっているが、実際には1962年7月15日生まれという説もある。
沖縄県那覇市出身である事は変わらない。
1985年のダチョウ倶楽部結成以前からコント赤信号の下で笑いの修行を積んでおり、1987年に3人組となった際、背が1番高いからという理由でリーダーに指名される。
コントではつっこみに回ることが多いが、天然ボケらしいエピソードが多数存在し、「アメトーーク」でも特集が組まれるほど。しかし、後輩の土田晃之曰く「自分で話せるだけの話術を持っていない」ために、世に広まる機会は少ない。
フジテレビ系「オールスターものまね王座決定戦」で優勝するなど、ものまねの名手として知られるが、ネタ元本人の逝去による封印なども影響して、レパートリー数は変動している。特に有名なネタは、森本レオ、久米宏など。名古屋章の「なななななななな なんだおい!」はものまね王座決定戦で幾度も披露された名フレーズとして有名。またジャパネットたかた社長・高田明のものまねの元祖も肥後だが、後進の活躍によって影が薄くなっている。
また、DREAMS COME TRUEのベーシスト・中村正人と容姿がそっくりなことから、ドリカムが企画、主演した映画では、本人の希望から中村役で出演することになった。
娘らしき人物がアンジャッシュに宛てたファンレター経由で、「計算されたコントにはいつも感心させられる一方で、自分の父親はおでんを食べてばかりでちっともおもしろくない」と苦情を言われたことがある。「ごきげんよう」で話題にしたことがある他、「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナー「食わず嫌い王決定戦」でアンジャッシュ本人と対戦したときにも話題になり、「リアクション芸だってきちんと計算している」、「そのおでんのおかげで家を建てられたんじゃないか」などと反論している。
現在、肥後の子は娘2人、息子1人だが、この手紙を書いたのが、父を追いかけて太田プロでタレント活動を始めた長女かどうかは明かされていない。
関連項目
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