- プロ野球選手一覧 > 星野順治
概要
福岡ソフトバンクホークス #020 コーディネーター(投手) |
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星野順治 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 新潟県西蒲原郡 |
生年月日 | 1974年6月18日 |
身長 体重 |
180cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト4位 |
引退 | 2008年 |
経歴 | |
コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1974年6月18日生まれ。新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)出身。
卒業後、NKKに入社。1997年の都市対抗野球大会ではエースとして奮闘したが、2回戦で敗退している。
1997年、福岡ダイエーホークスからドラフト4位で指名を受け入団。同期入団には永井智浩・篠原貴行らがいる。
1999年、同期入団の永井とともに先発投手に定着。22試合に登板して、10勝8敗、防御率3.98という成績を残し、ダイエー球団初のパ・リーグ制覇・日本一に大きく貢献した。
2000年、8月に2試合連続完封勝利を記録したが、血行障害を発症したこともあり、シーズン通して先発ローテーションを守ることはできなかった。同年は3勝6敗、防御率4.14という成績を残した。
2001年、田之上慶三郎とともに先発ローテーションの軸として活躍。田之上とともにチーム最多の13勝を挙げ、7月には月間MVPを受賞している。
2004年以降は新垣渚・和田毅・斉藤和巳・杉内俊哉らの台頭もあり、先発ローテーションの5~6番手と序列こそ下がったが、2004年に7勝、2005年に8勝を挙げ、パ・リーグ2連覇に貢献。
しかし、以降は登板数が激減。2008年シーズン終了後に戦力外通告を受け、そのまま現役を引退した。
引退後はソフトバンクに残りコーチに就任。2011年からはフロント入りしている。
2023年からはコーチに再任し、投手コーディネーターを務めている。
人物・エピソード
決め球のシンカーを武器に、厳しく内角を攻めて活躍したサイドスロー。
息子の星野恒太朗は2023年ドラフト会議にて、ソフトバンクから育成ドラフト5位指名を受け入団しており、文字通りの『親子鷹』となった。
通算成績
投手成績
通算:11年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 156 | 15 | 6 | 50 | 48 | 0 | 1 | .510 | 732.2 | 205 | 373 | 373 | 347 | 4.26 |
関連項目
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