本記事は BASE アドベントカレンダー 2024 の 24 日目の記事です。
こんにちは、エンジニアリングマネージャーの松原(@simezi9)です。
新型コロナウイルスの流行に端を発する世の中の変動からもうじき5年が経過しようとしています。
当時の感染対策の流れで多くの企業がリモートワーク制度の導入を進めました。この記事を読んでいる方の中にもそのタイミングではじめてリモートワークに取り組んだ方も多いのではないでしょうか。
私もその当時に、BASE株式会社のリモートワークへの取り組みをエントリとして公開したことがありました。
このエントリを書いてから4年。その間、マネージャーという立場からリモートワークの制度を運用してきた経験を踏まえて、私がいまリモートワークというシステムに対して思っていることを率直に書いてみたいと思います。
この文章が、リモートワークの導入・廃止で悩む管理者や、それらの決定がどういう経緯のもとで進んでいるのか納得できないメンバーの方々の理解の助けになればいいなと思っています。
(エクスキューズ)BASEではリモートワークの運用はチームに任されている部分が多く取り組み方も千差万別なので、前述のエントリとは違ってこの記事は会社全体の取り組みとは一切関係がなく、一人の中間管理職としての私見を述べたものであることは事前にご認識いただければと思います。
世の中のリモートワークに対する反動
まず、この4年ではっきりしてきた流れはリモートワーク制度への反動であると思います。
コロナウイルスの世界的な流行をきっかけに普及したということは、その制度は言い換えれば外的な動機によって駆動されていたものであり、内的な動機に支えられたものではなかったと言えるかと思います。
そしてその制度にチャレンジした結果として、「組織の結束力が弱まる」「イノベーションが生まれなくなる」といった理由で制度の縮小・撤廃をしていく企業がどんどん現れているように思います。
これは日本企業のみならずアメリカのビッグテックであっても同様、というよりむしろ顕著であって、Google,Apple,OpenAIといった世界を代表する企業であってもリモートワークに否定的なスタンスを取り、出社にかじを切り直そうとしている事例はいくらでもでてきます。
SNSなどを眺めていても、出社のルールを設定したい会社とそれに抗う社員という構図はよく見かける光景になったと思います。
あらためて、その功罪について自分の考えを述べてみたいと思います。ここでは一般論として言われていることは前提として省いて、あくまで私自身が強く感じるメリット・デメリットのことを書いていきたいと思っています。
リモートワークのメリット
メリットについては正直、世間一般で言われていることがすべてという感じで、改めて書くようなことも少ないのですが、とりわけ大きいなと思うことだけにとどめて書きます。
ワークライフバランスの取りやすさ
育児の最中、あるいは持病を抱えている方、家族の介護を抱えている方にとっては通勤による拘束時間が短くなって勤務中にもちょっとした割り込みタスクを捌ける、生活と両立ができるというのは大きなメリットとして存在しています。仕事の存在によって日々のスケジュールが圧迫されて大変だと思う瞬間は減ったように思います。
通勤時間の節約
特に不動産価格の高騰が続く首都圏にあっては顕著ですが、片道1時間の郊外からの通勤時間が不要になるというのは大きいメリットです。会社としても交通費用の手当が不要になり、社員側も毎日長い通勤時間の拘束が減り、満員電車で疲弊してしまうという事態も避けられます。
リモートワークのデメリット
こちらは組織を運営する立場の人間として、思うことが多かったので分量としては大きくなります。デメリットというべきではなく、賛否がある考えも多く含まれています。
組織力の低下
「社員の総業務委託化」
表現としては少し過激ですがリモートワークが標準の組織にあっては、オフィスで働いていた頃ほどの人間関係を結ぶのは相当に厳しいものであると感じています。
普段のコミュニケーションの輪はどうしてもチームの外には広がっていきませんし、淡白な働き方にならざるを得ない部分はあるかと思います。
これは組織のサイロ化として、リモートワークの欠点として挙げられていることが多いように思います。
実際に、会社が何を考えているのかわからなくなった、他のチームが何をしているのかよくわからない、という話をしている光景を目にする機会は体感として増えているような感触は受けます。
また、スキルのポータビリティが高く、転職が容易な技術職にあっては、傭兵のように働き、飽きたら次の現場にさっと移ってしまうという動きも増えたように感じています。
リモートワークが標準になることで転職のハードルも大きく下がりました。場所も知らないあちこちのオフィスに何度も訪問して面接をする、という大変な過程が減り、とりあえずZoomやMeetで最初の面接をするという流れに変わったことは大きいと思います。
少数の社員で役職の垣根を超えて密なコミュニケーションで理不尽や不条理を乗り切らないといけないフェーズの会社ではこれは非常に苦しい状態であるかと思います。
あるいは、リモートで身体感覚を伴わず入社してきた方が、広い人間関係を構築することなくリモートでふらっと次の職場に移っていく光景もよく見かけました。
そしてそれを阻止するべくオンボーディングのプロセスを丁寧に行う、ということもよく行われていたように思います。ただオンボーディングだけで組織への愛着を醸成するのは難しいことでもありそうです。(第一歩としては重要だと思います)
ウェットな人間関係を仕事に持ち込むことに対して否定的な考えもありますし、それはそれで尊重されることだと思います。なので、制度を考える側は自分の組織がどういう形であってほしいのか、というのを考えて選択する必要があります。
わたし自身はオフィスで働いていた頃に比べると、リモートワークは「刺激に乏しく退屈である」という印象をもっているのは偽らざるところです。
これについては特にマネージャーとメンバーの間で感覚の分断が大きい領域であると感じていてます。責務を与えてくれればこなします、それでなにか不足はありますか、というメンバーからの指摘と、明確な形にはしづらいが組織体の強化において出社は重要であると考えるマネージャーの間の分断は少なくとも自分が社内外で話を聞いたところでは一定起きているような気がします
オンラインミーティングの難しさ
ここについては特に個人の感想という部分が大きいのですが、対面で行われるミーティングに比べて、オンラインミーティングはとても難しいと感じています。
それはボディランゲージの情報量がガクッと落ちてしまったり、会話の間がつかみにくくやり取りが盛り上がらないことであったり、原因は様々考えられます。以前なにかの記事では対面と比べてオンラインだと伝わる情報量が7−8割落ちるなんて話も見た覚えがあります。
私自身もオンラインミーティングは画面に集中するのが難しく、つい他のウインドウを見に行ってしまったり、会話に参加し続けるのが難しいと感じる瞬間がよくあります。
また、オンラインミーティングは会議室という物理的制約を受けないため、無駄に何人も参加者を増やしてしまっても成立してしまう、という特徴があります。結果として、15人参加しているけれど10人は画面もマイクもオフで残りの5人が会話してるだけ、という超絶に不毛な時間が生まれたりすることがあります。会議室で行うミーティングではこういうことはなかなか起こりません。
オンラインミーティングの主催者は人数を絞り、議題を明確にし、参加者の集中力を切らさないようにするために、対面のミーティングよりもはるかに気を配る必要があります。
一度始めると廃止のハードルが高い
リモートワークの話に戻りましょう。
一般論として、一度獲得した権利を奪われる、ということに対して人は強い抵抗を示します。
そしてその理由というものは、通勤が嫌だ、というようなちょっとした目の前に見える問題に対する拒否反応であったり、地方に家を買ってしまったからそんな簡単に出社をベースにできないといった大きな問題まで様々です。
リモートワークの制度を縮小する可能性が少しでもあるならば、この制度はあくまで現時点のものであり永続的に保証されているものではない、というのを事前に確認しておくべきです。場合によっては労使契約でちゃんと確認していく必要もあるでしょう。
でないと制度を変えたときに一挙に離職が発生するリスクにもなりますし、会社にとっても労働者にとっても不幸な結果になってしまいやすいです。
特に、フルリモートで働けます、というのをウリ文句にして求人を出している会社は世の中にも少なからずありますが、その制度の将来性というのはなるべく開示するべきだと思います。またその一方で労働者の側も、リモートワークの制度が長く保証されているケースは少ないということを認識しておくべきことであると思います。
少なくともある程度の広さのオフィスを構えている会社はいつオフィス回帰という判断を下してもおかしくはない、というのがわたしの印象です。
リモートワークという制度を導入するのはそれほど難しくない(情報セキュリティやワークフローの構築といった実務の問題は当然あります)のに比べると、その規模を縮小したり廃止するというのは会社をひっくり返すような騒ぎになりかねません。
制度を運用する側はその点を非常に重く考えて制度を設計するべきであると考えています。
リモートワークの性質
メリット、デメリットではなくリモートワークってこういうことがありがちだよね、というのを列挙してみます。
アウトプットに評価の比重が大きく偏る
リモートワークにおいて、普段の業務態度、ふるまいなどは視界に入りにくくなります。
そのため、「その人が何をしたか」という形に残るアウトプットにのみ評価の根拠が置かれる極端な成果主義になりやすいと感じます。
腕に自身がある人にとってはそれで十分だと思うでしょうし、対面でのソフトスキルに自分の価値があると思う人は苦戦を強いられることもあるかもしれません。
特にオンラインで入社してきた人は否が応でも自分の価値を具体的な作業で主張する必要があり、職場への適応に苦労することも多いのではないかと思います。
ハイブリッドワークは本当にちょうどいいのか
オフィスへの出社とリモートワークを使い分けるハイブリッドワークという単語も世の中ではよく使われるようになったと思います。
単に「出社してもいいよ」から「最低でもこの日は出社してください」というパターンまで濃淡は様々見受けられます。
これはリモートワークとオフィスワークのいいとこ取りをしようという動きのようでいて、実際のところはリモートワークの欠点を補うために少しでもオフィスワークを取り入れよう、というコンテキストから増えてきた動きである、という感覚のほうが近いような気はしています。
しかしながら、このハイブリッドワークの取り組みはオフィスワークとリモートワークの悪いところどりにもなりかねない一番難しい取り組みなのではないかと感じています。
出社日を決めないパターンでは結局オフィスに来ない人が徐々に増えていってあまり機能しない状態に陥りやすいですし、出社日を設定するパターンであっても出社日の決め方や、オフィスならではのコミュニケーションがちゃんと発生するような仕掛け、そういった配慮がないと、「単にオフィスに呼び出されて嫌々出社するだけの日」に陥りやすい気はしています。
現実のオフィスとそこで行うチームワークをいかに魅力的にするか、管理者の力量が非常に求められるところであると感じています。そこにコストをかけないのであればおそらくハイブリッドワークはうまくいきません。
形骸化しやすい「出社日」
前項での話に近いのですが、出社日というものに効力をもたせるには一定の規律が必要です。
せっかく出社日をつくったところで「今日は頭痛いので家でやります」(そんな移動できないほど頭痛いなら出社しないとかではなく休暇を取って休んでほしい)といったことがカジュアルに行われるようになるとその意味は薄れていきます。
「やむにやまれぬ事情」の基準は人によって千差万別でありどこまで配慮するべきか大変に難しい問題となります。
そして誰かがオフィスにいない場合、会議もオンラインで実施する必要があり、オフィス組と自宅組の分断が生まれたりして、「なんだかいろいろやりづらい」という状況を招きます。これは特に出社体験を良くするための仕組みを色々用意していればいるほど起こりやすい状況であると思います。その状況では1人でもリモートワークの人がいるとチーム全体の出社体験が悪化す る、という認識を全員が持っておく必要があるかな、と思います。
本当に出社日を設定するなら安易に例外を作らない、という強い気持ちが管理者の側に要求されるように思います。とりあえず出社日を作ればいろいろうまくいくはず、というのはあまり現実的ではないと感じています。
フリーアドレスの功罪
これはリモートワークの話からは少しそれるのですが、リモートワークを導入してオフィスの稼働率が減っていく中、採用によって人員が増えると固定席を割り当てる意義が低下していきます。
オフィスにこない人員のデスクのためにオフィスを増床したりレイアウト変更するコストを払う必要はない、ということでオフィス側でフリーアドレスを導入する企業もちらほらと見かけます。
表面的には非常に合理的な手法なのですが、これはこれで用心する必要があると思っています。というのも、フリーアドレスにすることで自分の愛着の持てるデスクがなくなり、毎回行ってみないとデスク環境がわからない、というところでオフィスをますます敬遠する結果になりかねないからです。
またフリーアドレスということでチームのメンバーで会話する機会が机が離れて物理的に分断されることで奪われてしまう可能性もあります。
フリーアドレスも慎重に行わないと、「家がメインでオフィスはたまに行く場所」という認識を定着させかねないものであるということは留意しておく必要があるように思います。
生産性は向上するのか
昨今ではとりわけ「生産性」というワードが注目を集めているように感じます。
リモートワークにまつわる議論でも、「リモートワークではサボるから生産性がさがる」「家で働くほうが落ち着いて取り組めるので生産性が高い」、といった素朴なところからはじまり様々な声を見かけます。
この議論についてはおそらく結論が出ることはないだろうと見ています。
そもそもの生産性という言葉が何を指しているのかの定義が非常に難しいですし、職場や組織の条件次第であまりに変数が多く価値のある統計データを導き出すことも難しいように感じているからです。
例えば、オフィスのレイアウトをオープンにするほうがいいか、ちゃんと仕切りを作ってクローズドな環境を作ったほうがいいか、というような話題も未だに決着がでているようには見えません。
それを思えばそれ以上に変数の多いリモートワークの生産性について一般的な結論が出ることを期待するべきではないでしょう。
結果として、「生産性のためにリモートワークを廃止する・維持する」という議論は双方が納得することなく不毛に終わることがほとんどであるように思います。
SNSでも「リモートワークがうまくいくと思っている人はレベルが低い」「リモートワークで生産性が落ちる職場のレベルが低い」というような根拠のないレッテル貼りや煽り合いに終止してしまっている光景をよく見ます。
組織の制度を決定する権限を持っている人は、この生産性という概念を議論に持ち込まないほうが意思決定の根拠を揺らがずに決めることができるのではないだろうかと思っています。
最後に:管理者として揺れ動く中で
ここまでデメリットやネガティブな話の比重がかなり多くなってしまいました。これは、私自身が心の何処かでリモートワークはあまり良くないものだ、と考えている結果なのかもしれません。
リモートワークはメリット・デメリットで天秤にかけるものではなく事業の利益には相反する福利厚生なのであると割り切って考えるべきなのかもしれません。その場合は事業へのダメージをなるべく減らしながらリモートワークを行う、という考え方になるのだろうと思います。
結局のところ、リモートワークを成立させるのは諸々の前提が必要であり、組織の上から下までその難しさを認識して取り組んでいく必要があるものだと思っています。
その最たる例がGitLab社であると思います。同社はリモートワークで働くために必要な非同期コミュニケーションを徹底的に整え、ガイドラインを公開していますが、逆に言えばそれだけのコストをかける覚悟が必要であるという証左でもあると思います。
私自身は、リモートワークの難しさに立ち向かう手間と予算を払う覚悟がなければ、オフィスで仕事をしたほうが最終的に会社の利益にはつながるのであろうと思っています。
一方で管理職といえど従業員の立場であることは変わらないのであって、リモートワークから得られる利益を捨てる決断をしがたいのも事実であります。
この部分の決断は中間管理職や現場の判断ではなく、リモートワーク継続にせよ廃止にせよ、経営者やそれに準ずる立場の人間がバシッと決めてルールにしてしまうことが必要なのだろうと思います。各位に裁量を渡した状態では組織が全体として引き締まることは難しいように感じています。
それで組織を去る人もいれば、そういう組織を求めている方もいる、というのは実感としてあるので組織を作る基盤としてしっかり意思を示していくことが大事であると感じています。
リモートワークにまつわる議論は広範に行われていて、私自身も綺麗に文章として整理し切ることができず、このエントリを書くのにも非常に苦労しました。その割に綺麗にまとめきれず大変悔しいところではありますが、皆様の労働がより楽しく充実したものになれば、と思っています。
明日はいよいよアドベントカレンダー最終日、弊社CTOの@dmnlk による記事です。お楽しみに!