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9月11日(日)
プロジェクト n 〜iTunes 日本語パッチの夜明け〜(声:田口トモロヲ)
Tune-up iTunesは、iTunes にパッチをあてるソフトウェアである。
初期に Windows などで作った Unicode でない日本語 ID3 タグは、Mac に持ってくると文字化けする。それに対処する目的があった。
手持ちの楽曲ファイルはほとんど AAC に置き換わったので、iTunes や SoundJam 以前にエンコードしたファイルはほぼなくなっていた。つまり、Mac でタグの文字化けに悩むことはもうない。表示フォントの種類やサイズを変えるくらいであった。
しかし、Mac mini の影響だろうか、最近、Windows から Mac へのスイッチ組が増えてきている。この問題に悩む人が再び増えてきていると思った。
このパッチソフトの歴史は、実は長い。
ダイアモンドマルチメディアが、携帯 MP3 プレイヤー Rio500 を発売した際(1999年10月)、その Mac 版の転送ソフトが、SoundJam MP というソフトの機能限定版であった。Rio500 は、USB 転送ができる!ということで早速飛びついた。が、如何せん添付の SoundJam が日本語タグの問題を抱えていた。Rio500 の液晶表示画面が文字化けするのだ。
早速「何とかせねば」、と思い解析を行った。仕組みはとても単純だった。
文字コードの保存の仕方が、変換テーブルを通して行われるようになっていた。それならば、その変換テーブルを、何も変換しないテーブルに置き換えてやればよい。つまり、A を A' に変換する表を、A を A に変換する表で上書きしてしまおう、というのがこのパッチの考え方であった。
Rio500 を先行予約販売で買っていたこともあって、Rio が店頭に並んだ日には、すでに Rio500 文字化けパッチを提供できていた。そのため、Mac ユーザのほうがWindows ユーザよりもはやく、Rio500 での日本語表示が楽しめたのである。
その後、SoundJam MPの日本語版が発売されたが、上記の問題はそのまま引き継がれており、Rio500/SoundJam 文字化けパッチとして、製品版にも対応するようにした(1999年11月)。
そんな中、SoundJam MP の日本代理店であったヒューリンクスの担当者から、連絡があった。小躍りして喜んだ。どうやら、ダイアモンドマルチメディアの担当者が、このパッチを知っており、それをヒューリンクスに紹介してくれていたようだった。
ヒューリンクスと何度かやりとりがあって、米国の開発元に掛け合ってもらったりした。結局 SoundJam にタグの変換機能をつけるという、玉虫色の解決方法になってしまったが、今となっては感慨深い思い出となった。
SoundJam は順調にアップデートを繰り返し、その地位を不動の物にしていった(対抗馬に MacMP3 があった)。しかし、この問題は依然はらんだままであった。
(続きを読め...)
そして時は流れ、2001年1月。巷では、Apple が iMusic なるソフトを Jobs の基調講演で発表するのではないかという憶測がされていた。その少し前にSoundJam MP のソースが Apple にライセンスされ、チーフプログラマーが Apple に移籍していることが判明していた。
そして、1月10日未明、噂通り登場したのが、iTunes であった。
元が SoundJam ならば、多少の類似点があるだろうと予想していたが、それは予想を超えて類似していた。Windows から持ってきたシフト JIS のタグを含む MP3 はことごとく文字化けした。構造は同じだった。
「今だ、このチャンスを逃すな」。そう思った。仕事をさぼり、iTunes 文字化けパッチの開発に打ち込んだ。その結果、日をまたぐことなく、文字化けパッチの提供に成功した。
そこから、iTunes との長い戦いが始まった。
iTunes は SoundJam 時代に作られたタグの変換機能以上の対応をしようとはしなかった(実は iTunes のメニュー「詳細設定」-「ID3 タグを変換...」 がそれである)。
2001年11月3日には、iTunes2 が公開された。同日に提供したパッチは、これ以降、名前を Tune-up iTunes とすることに決めた。
iTunes2 は、その一週間前の基調講演で、初代 iPod とともに発表され、まさに Mac 界隈は大騒ぎの状態であった。
パッチのおかげで少し名の知られた存在になっていたためか、実は、当時 MacWIRE(いまはITmedia)で記事を書いていたこばやしゆたか氏から連絡があった。11月1日にアップルジャパンで行われる iPod の発表会に来ないかというのである。
「やった」、と思った。感動で、打ち震えた。ひとつのパッチが、人とのつながりを生み、またとないチャンスまで与えてくれたのである。大変いい思い出になった。
その後、iTunes3(2002年7月、スマートプレイリスト対応など)、iTunes4(2003年4月、iTMS、アートワークなど)と、アップデートのたびに、パッチも更改してきた。
その軌跡をアイコンでたどってみた。
初代 iTunes だけなんだかかわいらしい。Windows 版は、iTunes4 以降であるため、緑しかご存じない方もいよう。
メジャーアップデートのたびにアイコンの色が変わってきた iTunes だが、今回の iTunes5 にはそれがない。つまりパッチをアップデートする口実がない。
「まずい」。これではアイコンが変わったことを理由に新しいパッチをリリースできない。もう追加する機能もないから客寄せができない。そう考えて、愕然とした。
そんな中、iTunes5 と同じくして発表された、iPod nano を手に取った。驚くべき、小ささ。美しく透き通る白。残念ながら、パッチを作るきっかけになった Rio 製品は携帯プレイヤー市場から撤退するという。この iPod を前にしては、それも仕方ないと思わざるを得ない。
「これは新しい iPod なの?リリカルマジカル…」。そんな言葉が自然と口をついて出た。白い iPod nano は、「なのは」と名付けた。
「これならいける」。早速、制作に取りかかった。機能は全く変わらない。重要なのはアイコンと、音声だけだ。すぐに結果が出た。
iPod nano の白と黒にあわせ、レイジングハートとバルディッシュをアイコンに配した2つのソフトが準備された。ソフト名を「Tune-up iTunes 5 なの」と脳内で田村ゆかりの声が聞こえる感じにした。早速起動してみた。
「Stand by ready. Sealing mode, set up」。しゃべるパッチソフトの完成であった。人々は口々に言った。「悪ふざけもたいがいにしろよ」。
日本語パッチの新たな夜明けが訪れた瞬間だった(ぇーー。
2005/9/11 20:46