本当の楽しさには、いつ死ぬかもしれない危険が伴うこともある。そういう楽しさを保証しないと、子どものからだの野生やエロスは育たない。それを賢治は十分に知っていたのだと思う。けがをしたり、最悪の場合は死んでしまうかもしれないことを賭けて生徒の前に立つ人間でなければ、こういったことは決してわからないだろう。 いまは、教師が生徒を連れ出して山へ行ったり川に行ったりすることができない。管理職である校長の責任が問われるからだ。時代がいかに窮屈になっているか、それを知る意味でも、賢治は大いに参考になると思う。賢治をまねろとか、賢治のとおりにしろといっているのではない。現在がどれほど管理的な社会になっているか…