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もう終わってしまったが、12月1日まで京都国立博物館で開催されていた特別展、「法然と極楽浄土」展へ行って来た。11月に行って来たので遅くなったが、せっかく行って来たのだから感想を書いておこうと思う。行こうかどうしようか、と迷っていたのだが、国宝「早来迎」(阿弥陀二十五菩薩来迎図)が公開されているというのを新聞だったかテレビで見て、それなら是非見に行こうというわけで行って来たのだった。京都国立博物館https://www.kyohaku.go.jp/jp/特別展法然と極楽浄土https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/special/honen_2024/2024(令和6)年10月8日(火)~12月1日(日)展覧会公式サイトhttps://tsumugu.yomiuri...「法然と極楽浄土」展
『浄土布薩式』「大科第十 請師」⑤(『浄土布薩式』参究21)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十請師」の項目を学んでいきたい。大科第十請師五に十方一切化成等覚の諸大菩薩を請し奉る、我が為めに受戒同学の等侶と成り玉へ、吾れ上聖の同学等侶に依る故に、頓教一乗の心戒を受けることを得、等侶哀愍の故に、来て梵壇に入り、一乗真戒を授与し玉ふ、是の故に吾等須く礼すること一拝すべし〈須く十方の諸大菩薩の足下に礼するの念に住すべし〉。私に曰く、既に請師畢て、小乗の三師七証を合して以て十律師の行なり。然るに、今大乗の心は、設ひ現前の師なりと雖も、崛を致して泥む、諸大菩薩更に其の請に泥むべからず、故に聖師に請し奉り、受戒を請すべきなり。『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧なお...『浄土布薩式』「大科第十請師」⑤(『浄土布薩式』参究21)
江戸時代の怪談から女人救済の世界を垣間見る ~京都・誓願寺ほか
“晴れやらぬ 身のうき雲の たなびきて 月の障りと なるぞ悲しき” ~和泉式部(978?-不明) このところ出だしに歌を紹介することが多くなっているので今回も踏襲してみました。なかなかに見栄えがするかなぁ、と(笑)あと最近「~を覗き見る/垣間見る」ってタイトルが多いですね。ちょっとマンネリ化?😅 紫式部や清少納言と同時代に生きたおなじみの女流歌人、和泉式部。紫式部と清少納言は前者が今年(2024年)の大河ドラマのの主人公になったように現実的な視点から語られる傾向が強い(紫式部に関しては有名な地獄堕ちの伝承もありますが)のに対して和泉式部は各地に彼女を巡る伝説が伝わっているなど何かと神秘のヴェー…
『浄土布薩式』「大科第十 請師」③(『浄土布薩式』参究19)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十請師」の項目を学んでいきたい。大科第十請師三に都率天の四十九重の摩尼宝殿、弥勒菩薩を請し奉る。我の為めに教授阿闍梨と成りたまへ。吾れ教授に依る故に、浄土頓教の妙戒を受ことを得、弥勒哀愍の故に、来て戒壇に入り、頓教一乗の戒を授与したまふ。是の故に吾等至誠に礼すること一拝すべし〈矣、慈氏菩薩の足下を礼する念を作すべし〉。『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧なお、この「請師」項だが、全体で五段になっている。よって、記事1回で一段ごと検討してみたい。3番目は兜卒天にいる弥勒菩薩である。こちらも菩薩戒授与に於いては文殊と並んで「教授阿闍梨」となってくれる。それにしても、...『浄土布薩式』「大科第十請師」③(『浄土布薩式』参究19)
今日は近隣にある 浄土院【浄土宗】を紹介します。 今回の寺院は自宅から1キロ弱のところにあることから何時ものようにウォーキングがてら行ってきました。 この寺院はその創建など詳細は不明ですが、山門
今日は近隣シリーズの 誓願寺【浄土宗】の紹介です。 場所は以前に紹介した守山城(※宝勝寺)から西方数十メートルのところにあります。 城が存在した当時は城域であって、この寺が創建されたのは
『浄土布薩式』「大科第十 請師」②(『浄土布薩式』参究19)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第十請師」の項目を学んでいきたい。大科第十請師二に金色世界の上首、大聖文殊師利菩薩を請し奉る。我が為に羯磨阿闍梨と成り玉へ。吾れ羯磨に由る故に、頓教事理の妙戒を受ることを得、文殊哀愍の故に、来て道場に入り、円戒を以て吾等に授与し玉ふ。是の故に、礼すること一拝すべし〈金色世界及び清凉山の上首文殊師利の足下を礼の念上を作すべし〉。『続浄土宗全書』巻15・79頁、訓読は原典に従いつつ拙僧なお、この「請師」項だが、全体で五段になっている。よって、記事1回で一段ごと検討してみたい。ここでは、菩薩戒授与の現場で重視されている「文殊菩薩」についての話である。本書では文殊を「羯磨阿闍梨」だとしている...『浄土布薩式』「大科第十請師」②(『浄土布薩式』参究19)
このお経をご覧になられた方へ・・ 下記に記載したお経は、何度も見直したつもりなのですが、間違っておりましたらすみません。 また、どうしても聞き取りづらいところがあり わからないところは、わかる範囲でお経をひらがなで入力しています。 ご存知の
母の一周忌の法要時に読んで頂いたお経を自分で読みやすいようにしたものです。 このお経をご覧になられた方へ・・ 49日法要のお経で皆様にお力添えいただいたおかげで、99%近く完成することができましたので、今回は前回みたいに2ヶ月近くもかからず
いわゆる本尊が阿弥陀仏の宗派に於いて、釈尊の経説由来の盂蘭盆会がどう扱われているかについて関心がある。既に【『真宗百通切紙』に於ける盂蘭盆式について】は記事にしておいたが、今日は浄土宗に於ける盂蘭盆会のあり方を見ておきたい。今回採り上げるのは、昭和14年に当時の浄土宗務所が発行した『浄土宗法要集』である。まず、差定は以下の通りである。洪鐘版木法鼓喚鐘作相入堂香偈三宝礼表白(盂蘭盆会表白)奉請六位咒願咒願献供咒釈尊三唱頂礼六位懺悔行道開経偈誦経(盂蘭盆経、又は小経)回願(いわゆる回向偈)摂益文念仏一会別回向〈十念〉総回向偈〈十念〉総願偈三帰礼送仏偈〈十念〉法話〈十念〉退堂前掲同著、164~168頁、適宜抽出我々洞門に於ける盂蘭盆施食会からすれば、法要の組み立て方は相当に違っている。お唱えする内容などは部分的...浄土宗に於ける盂蘭盆会について
『浄土布薩式』「大科第九 入壇受戒」(『浄土布薩式』参究18)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第九入壇受戒」の項目を学んでいきたい。大科第九に入壇受戒、私に云く、普天の下、率土の上、王地に非ざること莫し、此の県何ぞ王地に非らん。然は、則尽大地、皆王地なり。普く国土、悉く仏土なり。其の中に此の地、何ぞ戒壇に非らん。是故に戒壇に登るの念に住し、衆生等く重んじて思ふべし。我等曠劫より已来、三界の中に流転して、未だ六道の衢を出でず。今日始て釈迦遺法の弟子の戒和上に逢値す、即ち如来の在世に同くして、悲喜交流し、涙を双袖に流し、前は父母の肉親より生じ、今は無漏の戒壇より生ず。是を名て比丘の二生と為す。即ち是、真の仏子なり。『続浄土宗全書』巻15・78頁、訓読は原典に従いつつ拙僧いわゆる「...『浄土布薩式』「大科第九入壇受戒」(『浄土布薩式』参究18)
高徳院は、法然上人を開祖とする浄土宗の仏教寺院で、本尊「鎌倉大仏」(阿弥陀如来坐像)の建立が開始されたのは、1252年頃のことと言われています。 完成当初は金箔に包まれ、大仏殿の中に収められていましたが、強風や大地震によって倒壊、現在のような「露坐」の姿の大仏となりました。 台座を含めた高さは13.35m、重量は121tの鋳造という方法で作られ、内部は空洞となっており大仏様の「胎内」と呼ばれます。現在は青銅色の姿ですが、両頬にはかつて塗金で覆われていた痕跡が認められます。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2010.07.03 神奈川県鎌倉市長谷江ノ島電鉄、長谷駅 <Youtubeライブラリ>WiHi接続の方は再生画質を調整してお楽しみください。思い出の写真をフォトムービーにして Ⅰ思い出の写真をフォトムービーにして..
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第八懺悔」の項目を学んでいきたい。大科第八懺悔とは、前の所造を悔ゆ、後の所起を伏す、前後倶に断じて、永く罪を作らず、師は先づ頌を説く、受者次に唱ふ。其の頌に曰く、往昔し造る所の五逆の罪、四重謗法一切の悪、至心受戒刹那の頃に、軽重倶に滅して更に余無らん。『続浄土宗全書』巻15・78頁、訓読は原典に従いつつ拙僧懺悔である。大乗仏教であれば、懺悔は受戒の前に行われるのだが、その基本は既に作ってしまった罪を悔い、今後はそういったことを起こさないように願うことが大切である。そして、懺悔については、師僧が偈頌を唱え、受者がそれを受けて唱えるという。その内容だが、「かつての昔に作った五逆の罪、四重...『浄土布薩式』「大科第八懺悔」(『浄土布薩式』参究17)
フリーランスのホテル宴会(婚礼含む)&映像ディレクター"みっきー"が、テレビ、映画、CM、ディズニー、音楽などエンターテインメント全般の感想を綴ります。愛するが故に、記事により毒を吐きますがご勘弁を。
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」⑦(『浄土布薩式』参究15)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、以前の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)六には、羯磨転法輪僧を破るや、否や。答えて曰く、否なり。私に云く、羯磨転法輪僧と云うは、転は能説の語なり。法輪と云うは、所説の法なり。或いは口説、或いは身説、機に随て皆証益を蒙る、既に説法して、他をして得益せしむる僧、之を殺すの罪は、仏の生身を殺すに同じ、豈に此の罪、輙く滅せんや。若し其...『浄土布薩式』「大科第七問遮」⑦(『浄土布薩式』参究15)
さて、今季の彼岸会は、『彼岸弁疑』という文献を学んでみたい。本書について、拙僧の手元には数年前から、正徳6年(1714)版の明治期後刷本があったのだが、ようやく蔵書から探り出したので、今年は採り上げてみたい。ところで、本書は著者不明であると思われるが、『浄土宗経論章疏録』巻下「著述者年表並小伝下」では「舒看」という人だとしているが、不明。それから、宗派は『浄土宗経論章疏録』に入っていることからも分かるように、浄土宗であると思われる。実際、今日の記事でも指摘するが、本書は浄土宗の『諸廻向宝鑑』という文献に依拠しつつ自らの主張を構築していくので、宗派の判断に問題は無い。また、「国書データベース」を見ていくと、本書の成立は「宝永7年(1710)」だとするのだが、それは本書冒頭の記述に依拠しているのだろう。それで...『彼岸弁疑』を学ぶ①(令和6年春彼岸会2)
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」⑥(『浄土布薩式』参究14)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、以前の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)五には、阿闍梨を殺さざるや、否や。答えて曰く、否なり。私に云く、阿闍梨と云は、西天の正音なり。此には名て軌範師と為す。此れは授戒の師なり。謂く和上阿闍梨。又、教授師有り、此れ威儀を教るの師なり。此の三人をば、三師と名く。七人は証誡なり。故に合して十律師と云なり。又、上座有り、小乗律には賓...『浄土布薩式』「大科第七問遮」⑥(『浄土布薩式』参究14)
所在地広島県尾道市長江1丁目2−17宗 派浄土宗本 尊阿弥陀如来由 緒1394年に開基。もともとは臨済宗でしたが、1601年に浄土宗に改宗。1688〜1704年、諦誉良頓が常念仏を始め、江戸・増上寺の祐天がこれを奨して幕府歴代の位牌をこのお
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。増上寺で大殿、安国殿、徳川将軍家墓所を回った後、いよいよ香川県にゆかりのある人物…
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」④(『浄土布薩式』参究11)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)三には、母を殺さざるや否や。答えて曰く、否なり。私に曰く、母は是れ犯位と為して有名と云ふ。老子の曰く、有名は万物の母たり。註に曰く、万物の母と云は、天地、気を合して万物を生じ、長大成就すること、母の子を養ふが如きなり。曠劫難得の人身を受ること、母の縁に因まずんばあるべからず。設ひ生の後、...『浄土布薩式』「大科第七問遮」④(『浄土布薩式』参究11)
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。増上寺で、香川県にゆかりのある人物を訪れ、ゲームに登場させたことの事後承諾を得よ…
『脱出ゲーム 香川県からの脱出』に登場する、歴史上の人物ゆかりの場所を巡る旅。香川県にゆかりのある人物のもとを訪ねるため、増上寺へと向かいます。 京急に乗っ…
『浄土布薩式』「大科第七 問遮」③(『浄土布薩式』参究10)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今はその一々の項目について学んでいる。大科第七問遮(続き)二には、生身の父を殺さざるや否や。答えて曰く、否なり。私に曰く、父は是れ玄位と為す。精を与て相ひ接せしむ。設ひ世の財宝田畠を与えず、養育の愛を施さざると雖も、多生曠劫にも受け難き人身を受くるの恩、一日に億万恒河沙の骨髄を捨つと雖も、豈に報謝の一分にも足らんや。若し一念も父に於いて害心を起...『浄土布薩式』「大科第七問遮」③(『浄土布薩式』参究10)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第七」の項目を学んでいきたい。ところで、「問遮(遮を問う)」というタイトルだが、本来であれば、菩薩戒を受ける資格について問う内容となっている。しかし、本書ではどうか?なお、前回の記事で既に「七遮戒(七定業)」について議論することは確認しており、今回からはその一々の項目について学んでいく。大科第七問遮(続き)七定業とは、一は、悪心出仏身血の罪、戒師、受者に問うて曰く、汝等、過去無数劫より、乃至今身まで、仏身生身より血を出さざるや、否や。答えて曰く、否なり。私に問うて曰く、出仏身血の罪は、如来の在世に限る。末代には之れ有るべからず。何等の罪を以てか、之の罪に同ぜんや。答えて曰く、仏宝に就...『浄土布薩式』「大科第七問遮」②(『浄土布薩式』参究9)
浄土宗の寺院だそうです。 そうれん道の東側にある寺院です。 斜め向かい辺りにも寺院がある様で、荘厳な印象を受けました。 コキアは色を変えて成長する植物な…
『浄土布薩式』「大科第六 受者発心」(『浄土布薩式』参究7)
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいる。当作法は、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくが、今回は「大科第六」の項目を学んでいきたい。ところで、一応「受者発心」というタイトルにしたが、以下の通り項目は「発心偈」というべき偈文を、随喜衆一同で唱えるところから始まる。大科第六受者発心諸衆、同じく唱えて云うべし、我等今身に善縁に遇い、能く隔時の菩提心を発し、一切の持破信不信、同く極楽に生じて三忍を得ん。今、菩提心を発すに就いて、即ち二種有り、一には直成の菩提心、即ち此の娑婆濁刹の中に於いて、直に無上仏果を成せんと求むの心なり。二には隔時の菩提心、則ち直成の修業に堪えざるが故に穢土を厭ひ、浄土を欣む。凡身を捨て、聖身を得て、二土を分かち、隔時隔念の得益を求むるが故に、隔時隔土の菩提心と名くるなり。...『浄土布薩式』「大科第六受者発心」(『浄土布薩式』参究7)
8月11日(金) 夕方、実家に帰着。 刺身、寿司、鉢盛などで歓迎を受ける。 父親と酒を飲むのは3か月ぶり。美味⤴ 風呂上り、外に出て空を見上げると、近眼のアタシでも分かるほどに星が一面に輝いている。ちょっと前からこの辺りは、新興住宅地になっており時代とともに変化があるが、それでも子供の頃に見た星空と変わらない。 8月12日(土) 普段、手が届かない所の掃除や、押し入れの整理をする。 中森明菜、薬師丸ひろ子・シブガキ隊・小泉今日子・菊池桃子など、あの頃のアイドルがたっぷり載った「平凡」「明星」「近代映画」を発見!お宝、お宝~♪ さらに、タッチ、Dr.スランプ、セイントアダムズ(庄司陽子)等々、ア…
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、実際の作法に入っていくのだが、今回は「大科第五」の項目を学んでいきたい。ところで、一応「発願」というタイトルにしたが、以下の通り項目は「維那、金を鳴らし」から始まる。しかし、直後に「発願」と出ているので、その通りなのだろう。大科第五に、維那、金を鳴らし、大衆に告ぐ、合掌警念して発願して曰く、敬白、諸の仏子等、合掌至心して聴け、此れは是れ娑婆世界、一四天下、南閻浮提、大日本国、五畿七道の中、某の道、某の国、某の郡、某の郷、某の村、某の里、某の仏像前にして、我等、本師釈迦牟尼仏道法の弟子、在家・出家の菩薩なり。久しく生死の海に沈淪して、恒に六趣の苦を受く、此れ即ち如来の出世に遇わず、頓教一乗の戒を受けざるに依る。今生に若し厭離生死の心を...『浄土布薩式』「大科第五発願」(『浄土布薩式』参究6)
極楽浄土はディズニーランド?私の親戚に浄土宗の住職がいました. ここには子供がいなかったので,私を養子にもらえないか,という話があったようです. 実際 まだ小さい頃からその寺にたびたび行かされました.もちろん住職夫婦は大歓迎でお菓子をくれた
光照山 龍香院 宗忠寺(→神奈川県横浜市都筑区池辺町)は、徳川家康の江戸入封後の1594(文禄3)年に松平忠吉(→徳川家康四男)の家臣小笠原宗忠が開基、僧の雲興(→寂年不詳)が開基した浄土宗寺院です。寺号は開基の宗忠から、院号は宗忠の法号龍香院欣情法心から採られたことが分かります。天正年間(→1573年~1592年)までは宗忠の父親である小笠原伊代守吉次の法号から「長隆寺」と号していたと記されますが、創建年が1594(文禄3)年なの...
ここ数回『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、本書は冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。その中でも、大科の第四を紹介してみたい。大科第四焼香焼香竟て唱て云ふべし、願くは我身浄じて香炉の如く、願くは我心智慧の火の如く、念念に戒定香を焚焼して、十方三世の仏を供養したてまつる。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方そもそも、本式は広略両本があったとされる『浄土布薩式』の略本であるから、本文としては短い。だが、それでも、次の科からは、口訣や願文等が入ってくるため、かなり長くなってくる。上記の「焼香」の項目だが、香炉に香を焚く意義について、偈頌で述べられている。そして、調べたのだが、この偈頌には典拠があった。善導和尚の『法事讃』巻上である。これは、流石に適した典拠があったの...『浄土布薩式』「大科第四焼香」(『浄土布薩式』参究5)
有馬山 長善寺(→神奈川県川崎市宮前区東有馬5丁目)は創建年代の詳細は不明ですが、安土桃山時代の1591(天正19)年7月13日に死去した転蓮社真誉安立という住職の時に浄土宗か浄土真宗大谷派(東本願寺)に改宗したと記されます。江戸時代には徳川将軍家旗本の遠山政之助の所領にあり、真宗本廟(いわゆる東本願寺→京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。現在は本山をもたない単立寺院のよう...
三宝寺廃寺(→神奈川県横浜市都筑区東山田町)は、江戸時代には神田山 幡随院 新知恩院(→東京都千代田区神田駿河台、現在は東京都小金井市前原町に移転)の末寺として幕藩体制の一翼を担った東林山 三宝寺(浄土宗)の跡地です。明治時代初期の廃仏毀釈によって廃寺となったといい、跡地には東山田町公民館が建っています。 三宝寺は創建年代等は不詳ですが、1159(平治元)年の平治の乱に敗れ、逃亡先の尾張国で源義朝(→源頼朝...
岩沢山 香樹院 天宗寺(→神奈川県横浜市都筑区川和町)は、戦国時代の1539(天文8)年に小田原北条氏に仕えた地侍岩沢伊左衛門が開基、松亀山 本覚院 泉谷寺(→神奈川県横浜市港北区小机町)の5代住職東誉が開山した浄土宗寺院です。岩沢伊左衛門は北条氏滅亡後に帰農し、山号と院号は自身の名字と法名から採ったと記されます。江戸時代には泉谷寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。当時の観音堂に安置された観音像は厩戸王(うま...
今日は中目黒で家族でランチ&用事を済ませた後、私だけ帰宅ラン。 ついでに月が変わったので浄土宗お寺めぐりでポイントも稼ぎながらゆっくり帰りました。 ポイントが結構貯まっております。巡るお寺も増やして
【善通寺:7】<脱出ゲーム 香川県からの脱出> 讃岐を牛耳る“善人”たち
※このページは、『脱出ゲーム 香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム 香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで…
善光山 天竜院 法照寺(→神奈川県藤沢市鵠沼神明2丁目)は、浄土宗総本山知恩院の直末として、江戸時代中期の享保年間(→1716年~1736年)に創建されたと伝わる浄土宗寺院です。ただし、開山の直為は1717(享保2)年に死去しているため、享保元年(→1716年)か享保2年(→1717年)の創建ということになります。一説には1661(寛文元)年に僧の龍保が創建したとも言われており、この場合は1704(宝永元)年に僧の欣誉が中興したという『藤沢ーわが...
誕生寺 法然上人御誕生の地にご参拝。念佛橋も渡る。岡山県久米郡久米南町
浄土宗の宗祖・法然上人の生家跡に建てられた由緒あるお寺! 誕生寺(たんじょうじ) 浄土宗の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん) 練供養面 - 日本三大練供養 二十五菩薩御来迎 大公孫樹(こうそんじゅ/いちょう) お念仏に生かされて生きる!! 娑婆堂 令和5年(2023年) ...
早風山 真源寺(→神奈川県藤沢市本町3丁目)は、江戸時代中期の1772(安永元)年に僧の空寂が創建した浄土宗寺院です。本山・末寺の制により八王山 摂取院 常光寺(→神奈川県藤沢市本町4丁目)の末寺となりますが、1820(文政3)年に火災で本堂等を焼失し、『新編相模風土記稿』が編纂された1841(天保12)年には「今寺地のみ存せり」と記されているので、再建されていなかったことが分かります。『藤沢郷土誌』によると、幕末期の1865(慶応...
法然上人が吉水の草庵を結び浄土宗の布教をはじめた地に建ち御影堂、大鐘楼など大伽藍は、徳川家康、秀忠、家光らの外護により現在の壮大な伽藍が形成され、国宝の三門は日本最大だそうです。 三門は1621年に徳川秀忠によって建立された日本最大級の木造二重門で、法然上人の像を安置する御影堂は、1639年に再建された中心的堂宇です。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2009.07.24 京都市東山区林下町JR京都駅よりバス 百寺巡礼(五木寛之)の本を元に全国を巡って写した、お寺の写真を4Kフォトムービにしています。 <Youtubeライブラリ>WiHi接続の方は再生画質を調整してお楽しみください。 https://www.youtube.com/playlist?list=PLBmrxCQ66RO7ofb_WjC_PfRBZq..
戒法山 宝国院 二伝寺(→神奈川県藤沢市渡内3丁目)は、戦国時代の1505(永正2)年に玉縄城主北条氏時(→北条早雲こと伊勢宗瑞の子)が開基、僧の正空が開山したした浄土宗寺院です。開山の正空は、北条時国の子として武蔵国品川で生まれ、鎌倉光明寺の9代住職祐崇のもとで出家して同寺の10代住職となり、1519(永正16)年3月に死去したと記されています。二伝寺は、北条氏滅亡後に衰退したようですが、江戸時代初期に玉縄城主となった松平...
玉縄山 珠光院 貞宗寺(ていそうじ→神奈川県鎌倉市植木)は、徳川家康の側室貞宗院(→西郷局、2代将軍徳川秀忠生母)が晩年を過ごした屋敷跡に建てられた浄土宗寺院です。1609(慶長14)年に死去した貞宗院の遺言により、亀鏡山 護国院 大長寺(→神奈川県鎌倉市岩瀬)の住職暁誉源栄を開山に迎えて創建されました。暁誉源栄は、1590(天正18)年の小田原合戦の際、玉縄城主北条氏勝を説得して開城につなげた僧侶として知られています。創建の...
『浄土布薩式』「大科第一 鳴鐘集衆」(『浄土布薩式』参究2)
それでは、前回から『浄土布薩式』の本文を学んでいるが、冒頭で布薩の日程を出した後で、いきなり実際の作法に入っていく。大科第一鳴鐘集衆即衆に冥有り顕有り、其の冥衆とは、天衆地類及び八部等の雑類、是れなり。其の顕衆とは、在家の二衆・出家の五衆、合して七種の類、是れなり。諸衆同声に唱て云うべし、戒力は金剛の如く、一切の魔を降伏す、諸魔受戒を見ては、怖畏して皆な退散す。『続浄土宗全書』巻15・74頁、訓読は原典に従いつつ当方さて、上記の内容だが、「鳴鐘集衆」とあるため、鐘を鳴らして布薩に随喜する大衆を集めることを意味している。そして、この場合の大衆として、冥衆・顕衆としているが、冥衆とは目に見えない衆生であるので、天衆地類や八部衆〈龍族〉などを挙げている。一方で、顕衆は目に見える衆生であるが、僧俗七衆を挙げている...『浄土布薩式』「大科第一鳴鐘集衆」(『浄土布薩式』参究2)
八王山 摂取院 常光山(→神奈川県藤沢市本町4丁目)は、戦国時代後期の1572(元亀3)年に本山である天照山 蓮華院 光明寺(→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)の27代住職明蓮社光誉(西隠)が自身の隠居所として創建した浄土宗寺院です。本尊は阿弥陀三尊立像で、中尊は像高99cm・全高204cmあり、脇侍2体は江戸時代に彫られたものです。中尊は仏師安阿弥の作で源頼朝の持仏と伝わりますが、実際には南北朝時代に彫られたもので鎌倉扇ガ谷にあっ...
参礼寺(まいれいじ)ポイント150ポイント達成でつつじランクの景品を
先日ご紹介したお気に入りログアプリの一つ、そうだ浄土宗寺院を巡ろうを眺めていたら、3/7に景品交換できるようになっていたようです。 ポイントが貯まるごとにランクが上がり、各ランクで景品交換ができるよう
この記事は、あくまでも普寂上人の『菩薩三聚戒弁要』を読んだ、という備忘録的な内容である。同書の中で、分受戒についての指摘があったので、それを見ておきたい。もし摂律儀戒は、或は十重四十八軽戒を受持し、或はただ十重禁戒を受持し、或は十戒の中において、一戒二戒乃至九戒分受することを許す。又、在家出家護持おなじからず。下に至りて弁ずべし。以上の通りなのだが、十重四十八軽戒の受持について、区々だということになっている。詳細は、後で弁ずるとは書いているが、具体的には「戒相を弁ず」の項目が該当するようである。戒相とは即ち十重四十八軽戒なり、受者の意楽まちまちなり、或は軽重具さに受くるあり、或は唯十重禁戒を受得し、軽戒は隨分受学するあり、或は十重の中、一戒乃至九戒分に随ふえ受学するあり、又一々の戒を受学するにも、其持犯開...普寂上人『菩薩三聚戒弁要』に見る分受論
そろそろ各種大会に備えて練習をしたほうが良いですが、 諸事情あってあまりお金をかけたくない感じです。 ということで、近場でウロウロしてきました。 目標無しでのランニングが最近苦手なので、今回は例の「
ブログにお越しくださりありがとうございます。義理父の 25年忌 でお寺さんとお墓参りに行って来ました。菩提寺は 浄土宗 の大池山青蓮寺「高月院」と言い総本山が「 知恩院」。佐土原島津家 の菩提寺でもあり、昭和天皇の第7子の島津貴子さんも、機