やさしい聖書入門『箴言10:12』 私たちがかんちがいしているようなことは、よのなかにたくさんあります。 そのうちの1つが、にくしみとあらそいの順番(じゅんばん)です。 多くの人はたぶん、人と人とがあらそうから、そこににくしみがうまれるとかんがえているでしょう
やさしい聖書入門『箴言2:16-19』7. 前回までこのコーナーで、私たちのこころのなかには2つの思いがあるということをまなびました。そしてその思いはまるで「声(こえ)」のように、私たちをみちびいてしまうことも。 その声のうち、1つは私たちを「わるいほうへみちびく
やさしい聖書入門『箴言2:13-15』6. このところこのコーナーで見ている聖書の箴言(しんげん)というかしょには、1つの特徴(とくちょう)があります。それはたとえば正しい人と悪者(わるもの)というふうに、大きくちがうふたつのばあいをならべて書かれてある、という特
やさしい聖書入門『箴言2:1-12』5. これまでこのコーナーでは私たちのこころの中に、私たちを正しいほうへみちびいてくれるこころの声(こえ)のようなものがあることと、そしてそのような声を注意(ちゅうい)ぶかくきいて、その声のとおりにしたほうがよいと学びました。
やさしい聖書入門『箴言1:32-33』4. 今回のかしょも、これまでみたのと同じことが、もうすこし少ないことば―3つのことばで書かれています。 その3つのことばのうち2つは、①「あさはかな者の背信(はいしん)」と、②「おろかな者の安心(あんしん)」です。これをもっと
やさしい聖書入門『箴言1:20-31』3. 前回はこころのなかにおこる悪(わる)い声(こえ)のお話しでした。今回は良(よ)い声のお話です。 私たちを悪いほうへさそうような悪い声があるのと同じように、私たちを良いほうへさそう声もあります。 そしてちょうど悪い声が私た
やさしい聖書入門『箴言1:10-19』2. 箴言には、ほかのかしょにはあまりない1つの特徴(とくちょう)があります。それは教えを人になぞらえておこなう「擬人化(ぎじんか)」ということをやっているところです。 たとえば今回のかしょには「罪人(つみびと)たちがあなたを
やさしい聖書入門『箴言1:1-9』1. 今回からはこのコーナーで聖書の「箴言(しんげん)」というかしょから学んでゆきましょう。箴言はぜんぶではありませんが、そのほとんどを知恵(ちえ)にみちた王、ソロモンのことばがしめています。今回のかしょもソロモンのことばだと書
やさしい聖書入門『創世記50:22-26』133.1つの時代が終わっても 今回のかしょは、長い間見てきた創世記のさいごのところです。 これでこのコーナーで創世記からお話をするのはひとまず終わるわけですが、内容(ないよう)のほうもひとくぎりついています。 それは、この
お前たちに死をお前たちにどんな過去がどんなに悲しい過去があろうがこっちには知ったこっちゃないお前たちが無垢な人たちを泣かせる限りは草の根わけてでも引きずり出してみせる俺ならお前たちを救い出せるかも知れないが俺がそんな気になるとは限らない無垢な人たちを泣か
やさしい聖書入門『創世記50:15-21』132. 今回のかしょのはじめのところで、ヨセフのお兄さんたちはこのようなおそれを感じました。 ヨセフはお兄さんたちがした悪い仕打(しう)ちにもかかわらず、ずっとやさしい態度(たいど)でした。でもそれは、お父さんの手前(てま
やさしい聖書入門『創世記50:12-14』131.お父さんと天のお父さま 今回のかしょには、ヤコブのむすこたちがヤコブを、カナンにあるおはかへ埋葬(まいそう)したと書かれています。 カナンは、そのころむすこたちが住んでいたところからはかなり遠いところです。なのにどう
やさしい聖書入門『創世記50:1-11』130.神の祝福、神のみわざ 前回のお話は、ヨセフのお父さんがなくなったところでおわりました。 ヨセフはふかく悲しみましたが、お父さんが生きていたころに言っていたことをするために王さまにおねがいしました。お父さんのなきがらを、
やさしい聖書入門『創世記49:29-33』129.「私のもの」と言えるもの 今回のおはなしは、年をとったヤコブがいよいよなくなるときのお話です。 このときヤコブは自分のむすこたちに、自分がなくなったら「エフロンの畑地(はたち)」にあるおはかに自分をほうむってくれと言
やさしい聖書入門『創世記49:1-28』128.なくなる前のヤコブのことば 今回のかしょは、お父さんのヤコブからむすこたちへむけた、わかれのことばのようなお話です。 このようなかしょが聖書にかかれているせいか、西洋(せいよう)では、「人間は死ぬまえに預言をする」とい
やさしい聖書入門『創世記48:21-22』127.とらぬタヌキの… 私たちの国のことわざに、「とらぬタヌキの皮算用(かわざんよう)という言葉があります。このことわざは、野原でタヌキをとる猟師(りょうし)さんが、まだとれてもいないタヌキを数えて、「これぐらいお金がもう
やさしい聖書入門『創世記48:12-20』126.神さまにみちびかれて生きた人の結論 今回のかしょに書かれているヤコブのことばには、ヤコブにしては意外(いがい)に思えることばがあります。それは、ヨセフの2人の子のために祝福(しゅくふく)をもとめていのるときに、彼が言
やさしい聖書入門『創世記48:1-11』125.その人に合ったやりかたで これまでこのコーナーでお話してきたなかの一人、ヤコブが病気(びょうき)になりました。それでむすこのヨセフは自分のふたりの子どもをつれておみまいに行きました。それが今回のお話です。ヤコブはもうお
子どものお前をクリスタルグラスの向こうでお前がお前らしくもなくおどけてるねそうさそれでいい今夜だけはいろいろ難しいことをこなしてるお前だけれど今夜の俺の前では無邪気な子どもでわらっておどけて身体をゆすってる大人な自分だけじゃさぞかし気詰まりだろうから無邪
やさしい聖書入門『創世記47:27-31』124.けじめ 今回のかしょで、イスラエル―ここではこれはヤコブのことですが―私たちがみならうべきような、とてもいいことを言っています。 彼は、聖書の登場人物(とうじょうじんぶつ)としては、かなりいいかげんな人ですが、でもそ
やさしい聖書入門『創世記47:13-26』123.悪いニュースがよいニュースに 聖書に、ヨセフという人の時代にエジプトからパレスチナにかけて、とてもはげしいききんがあったことが書かれています。作っても作っても作物(さくもつ)はみのらず、人々には食べるものがありません
やさしい聖書入門『創世記47:8-12』122.このかなしみはどこから? 今回のお話の主人公(しゅじんこう)はヤコブです。ヤコブは王さまにあって、王さまからこう聞かれました。「あなたの生きてきた年月は、どれほどになりますか。」 これはただ「あなたはおいくつですか?」
わたしはあなたとともにいるとあなたが言ってくれた「わたしはあなたとともにいる」それだけで十分すぎますあなたがそこで何をしてくれるかよりもこんなときにあなたがそばにいてくれるそれがこのうえなくうれしくて私の唇は賛美で満たされるもうあの頃にもどりたくない一人
やさしい聖書入門『創世記47:1-7』121.このよろこびはどこから? 今回のかしょは、ヨセフがエジプトの王さまのところへ行ったお話です。ヨセフはその時、王さまにこういいました。 「私のお父さんと兄弟たちが、たくさんの羊(ひつじ)や牛(うし)や、そのほかもっている
やさしい聖書入門『創世記46:28-34』120.みちびきいれる人 明日13日から15日、もしくは16日まで、日本はいわゆる「お盆(ぼん)」ですね。私は、民俗学者としてこのお盆のことを研究しています。お盆は、仏教の行事と考えられていますし、じっさいにお寺で儀式(ぎしき)が
やさしい聖書入門『創世記45:16-45:28』119.だいじなことを 今回のかしょは、特にこれまでヨセフがあわされてきたつらい目や、わざとスパイのうたがいをかけられていたお兄さんたちの心配(しんぱい)を考えると、本当によろこばしいかしょと言えるでしょう。特にここでは、
やさしい聖書入門『創世記45:1-15』118.神さまの愛とめぐみ 今回のかしょでとうとうヨセフは、自分の正体(しょうたい)をあかさずにはいられなくなって、お兄さんたちに自分はヨセフだと打ち明けました。うれしさという感情(かんじょう)を、もうおさえることができなかっ
やさしい聖書入門『創世記44:14-34』117.止まった時間の再スタート このところ私たちは、エジプトにいたヨセフのところに、むかしヨセフをどれいとして外国人に売ってしまったお兄さんたちが来たという話を読んでいます。 お兄さんたちが来たと言っても、その時、ヨセフは
やさしい聖書入門『創世記44:1-13』116.ゆるしと信頼(しんらい) エジプトへ来ていたヤコブのむすこたちが家へ帰る日が来ました。お父さんがたいへん心配(しんぱい)しながらいちばん下の弟を送り出してくれましたが、これでぶじに帰れそうでした。 でも家にむけて旅をは
人数が少ないほうへ1.多い方教会に人が来たんだ。一方はたくさんいた。前からの教会のメンバーで奉仕や献金にも熱心な人たちだ。彼らはこう祈った。 神さまのお導きを感謝します。 導きのおかげで 私は今の私になりました。 私はむかしの私とちがいます。 今も酒を飲み
やさしい聖書入門『創世記43:25-34』115.見た目 ものごとは、だれが見るか?によって、ちがって見えるということがよくあります。今回のお話は、まさにそういうお話です。このあいだのお話のつづきで、ヤコブのむすこたちがエジプトで、大臣(だいじん)のヨセフの家にまね
こわい?こわくない?―子どもの感性1. ある小学校で一人の子どもと話していた時のことです。 その子が『おさるのジョージ』が好きだというので、しばらくその話で会話がはずみました。 『おさるのジョージ』は「黄色いぼうしのおじさん」と2人で暮らしているおさるの子
やさしい聖書入門『創世記43:・15-24』114.こわがるこころ 今回のかしょでは、いよいよヤコブのむすこたちが、2回目となるエジプト行きをおこないました。ききんのせいで手に入れられなくなった食べ物を買うという目的(もくてき)もありましたが、それだけでなく、スパイ
やさしい聖書入門『創世記43:1-14』113.まちがった「がまん」と正しい「がまん」 今回もこのところこのコーナーで何度もよんだ、お父さんのヤコブが出てきます。そしてヤコブはこれまで見てきたままの、こまったお父さんです。 今回のかしょのさいしょのところで、ヤコブと
やさしい聖書入門『創世記42:27-38』112.ムチャな話 お兄さんたちが以前のように悪いことをしないかどうかをためすために、ヨセフはヨセフだとは気づいていないお兄さんたちをためすことにしました。お兄さんたちに「この国をさぐるために来たのだろう。そうでないというの
やさしい聖書入門『創世記42:18-26』111.どんな時でも 今回のかしょの20節に「そこで彼らはそのようにした」と書かれています。「そのように」とは、ヤコブのむすこたちがエジプトでスパイ容疑(ようぎ)をかけられて、しかたなく一人をエジプトにおきざりにして自分の国に
放蕩息子のたとえああ、ぼくはなんと台無しにしたことだろう見返りなしに、父よあなたから受け継いだものをまるで湯水のように性風俗に使い果たしてあなたの聖名に泥をぬりあなたの御心を傷つけた一度、み恵みにあずかりながらぼくは、神を捨てた本当であれば二度と贖われる
すごい人たち +アルファ1.キャラクターを通したA君 私がまだ一般企業でビジネスマンをしていた時、私が配属されていたのとは別のところにA君という社員がいた。 A君は有名な人物だった。仕事面でとても優秀だったということもあるが、あることで彼を知る人たちの間で名物
やさしい聖書入門『創世記42:9‐17』110.神さまのみこころと私たちのとまどい 今回のかしょはかんたんにいうと、むかしヨセフのことをきらい、ヨセフを外国人にうってしまったお兄さんたちが、もう何年もしてヨセフのところへやってきたというお話です。 この時、ヨセフに
「なんだかわかっちゃった」という話 私がまだ一般企業で働いていたころのことです。ときどき帰りがおそくなって、帰り道で夕ご飯を食べて帰ることがありました。おなかがすいているし、早く家に帰りたい気持ちもあったので、行くのはいわゆるファーストフードのようなお店
やさしい聖書入門『創世記42:5-8』109.逆境のなかでも 逆境(ぎゃっきょう)という言葉があります。これは、かんたんに言うと「悪いとき」のことです。ものごとがひどくうまくいかず、悪いことが起こってて、それをなんとかしようとおもってもうまくいかず、そのうえたすけ
ダビデはクリスチャンの模範か④1.聖書の読み方 予告しておいた通り、いよいよ私はダビデを検証するこの一連の記事の最後の部分に取りかかりたい。そしてその前に、聖書を読む際に大事な2つのポイントをおさえておこう。 その第1は、「文章はどのようなものであれ、一部分
やさしい聖書入門『創世記42:1-4』108.信仰があったところで 前回まではヨセフを中心に話が進んでいましたが、今回のお話ではヤコブがひさしぶりに出てきます。このヤコブは聖書のなかの人物(じんぶつ)として、ちょっと特別な人物です。というのは、若いころからおとしよ
人間の記憶の話-言った・言わない 昔、一般企業でビジネスマンをしていた時のこと。ある大きな公共交通機関の整備部門から、特殊な部品の発注を受けたことがあった。相手が確かなところなので、それまでは多少高額な商品でも二つ返事で受注をしていたけれど、その部品はそ
福音ウソみたいだろ?信じられるか?こんなクソダメみたいなところにさ救いの到来を告げられるそんなことがあるなんてさウソみたいだろ?信じられるか?俺みたいなろくでなしにさ救いの到来を告げられるそんな奇跡があるなんてさでも考えてみればほんとに神さまがいるのなら
やさしい聖書入門『創世記41:47-57』107.あんしん 今回のかしょでは、前回のかしょでヨセフが言っていたとおりのことが起こってしまいます。つまり7年間の豊作(ほうさく)のあとで、食べ物がえられない「ききん」の時がやってきて、それが7年もつづくという、そのようなた
真理の道どうしても解せないことがある何人かの牧師が語った「悩み事を聞く際に 相手が異性だったらば よほど気を付けないといけない」となんだったら伴侶をそこに伴うかいついつ誰それがここへきて話を聞く予定だと告げその時間中祈ってもらわないと肉体関係を結んでしま
やさしい聖書入門『創世記41:1-46』106.言葉で書くとすぐだけど 今回のかしょは「それから二年後」という言葉ではじまります。「それから」というのはもちろん、前回見たできごとがあってからという意味(いみ)です。つまり言いがかりをつけられて、ろうやに入れられたヨセ
やさしい聖書入門『創世記40章』105.ヨセフの謙遜(けんそん) 私は心理カウンセラーの仕事をしています。いろんな人が相談にきますが、その中の何人かは自分の物事のとらえ方や考え方で苦しんでいる人たちです。そしてそのような人たちもうまくゆくとなおってゆきます。
破戒よくもそうまで神のみこころをないがしろにできたもんだ正しい人間にならなければだって?お前はいったい今まで何を聞かされてきたんだい?神は罪びとの俺たちを憐れんでキリストをつかわし神の国を奪わせてくださったそれが福音のはずだろういったいお前らはどこで左に
やさしい聖書入門『創世記39:16-23』104.人の好意と神さまの好意今回も前回の、ヨセフが主人(しゅじん)のおくさんからゆうわくをされ、からくも逃げ出したお話のつづきです。 このときおくさんの手元には、ヨセフの上着(うわぎ)がのこっていました。私は、この上着にか
やさしい聖書入門『創世記39:6‐15』103.一方的 私たちが人と話すときは、とうぜん話す相手がいるわけで、正しい会話(かいわ)は自分も相手も平等(びょうどう)でなければなりません。 あるいは話に出てくる人がその場にいなくて、だれか別の相手にその人のことについて
ちょっとおどろいた話―本性にご用心 今日、早めに帰ってきてテレビをつけたら、関西の情報バラエティ番組をやっていて、ときどきテレビで見かける白髪頭のジャーナリストが出ていた。そしてこの日の朝出されていたJアラートにかんして、いかにも「自分は正義の味方です」み
やさしい聖書入門『創世記39:3-5』102.神さまとともにあゆむくらし 文には「主語(しゅご)」というものがあります。主語とは「いつ、どこで、だれが、何をした」という時の「だれが」にあたる言葉です。たとえば「きのうぼくは映画(えいが)を見に行ったんだ」という文で
ジャズと絵本と心理学 以前、ある小学校で図書室から出てきた一人の子どもが、まだもっと小さかった時に好きだった本を見つけたと言って、1冊の絵本を見せてくれたことがありました。『もけらもけら』というタイトルの、なんともふしぎな絵本でした。 その絵本には建物なん
やさしい聖書入門『創世記39:1-2』101.人の目と神の目 4月に入りましたね。学校ではもうすぐ新学期、いろんな職場(しょくば)では新しい年度(ねんど)のスタートです。日本では1月にならんで―というより、ある意味では1月以上に―4月は新しい年のスタートです。 と
すでにむくいを だいぶ前の話なんやが、職場の近くのイタリアンのレストランへ、パスタを食いに行ったんや。その近辺では「うまい」と評判の店で、じっさい何もかもうまかった。 するとそこへ一組の若い男女がやって来て、やっぱりパスタを頼んだんや。あの感じやと、たぶ
やさしい聖書入門『創世記38:27-30』100.ごまかし このところずっとこのコーナーでは1つのやりかたをしています。 それは聖書を読むときに、その読むかしょについてこれまで教会で聞いたり本などで読んだことをわざとわすれて読むというやり方です。 今回のかしょだって
ほめられて悲しむ ずうっと以前、私はある教会の人と、大勢の人に関係する、ある奉仕をやったことがあった。 その奉仕は教会行事にかかわるもので、計画の立案から当日の作業など、けっこう大変だった。 しかしそれは私が「大変な思いをした」というわけではない。 とい
やさしい聖書入門『創世記38:1-26』99.みにくさを恐れない 今回のかしょは「そのころのことであった」という言葉で始まっています。「そのころ」というのは前回にみた話―つまり弟のヨセフをお兄さんたちが殺そうとし、ユダは殺すのではなく売ってしまおうと言って、じっさ
やさしい聖書入門『創世記37:25-36』98.だれも家族の問題を 今回のかしょに書かれていることは、家族の人たちがなまけたせいで起こった、ざんねんな結果です。この家族の人たちを同情(どうじょう)するにはおよびません。ヨセフがお兄さんたちににくまれて、奴隷(どれい)
やさしい聖書入門『創世記37:12-24』97.愛される努力 前回に私たちは、ヤコブがむすこのヨセフをあまやかしたせいで、ヨセフの性格がすっかり悪くなってしまい、しかもそれをほうっておいたということを見ました。それで今回みるように、問題はヤコブとヨセフの2人だけの話
大切なあなたへの大切なことば大事なことだから、ようく聞くんだよ。お前さんは神さまの大切な子。だから目に涙をためてまで無理したり、明日を不安がるまでがんばったりなんて、そんなにしてまでやる値打ちのあるものなんざ、この世にはなに1つありはしない。神さまのこと
やさしい聖書入門『創世記37:1-11』96.性格 先週のお話は、神さまを信じる人々とはべつの、もう一つの歴史(れきし)のお話しでした。今回のかしょはそれとはちがってわざわざ、これはヤコブの歴史―つまり神さまを信じて生きてゆく人々のお話だと言ってはじまります。 で
やさしい聖書入門『創世記36章』95.もう1つの歴史(れきし) 今回のかしょは、エサウの歴史です。つまり、おなじおじいさんのアブラハム、そしてお父さんのイサクからうまれたふたりの人のうち、お兄さんのほうの歴史です。おそらく数百年の歴史ですが、こうしてみると、エ
やさしい聖書入門『創世記35:16-29』94.自分たちの歴史 今回のかしょには、ヤコブたち家族の歴史(れきし)が書かれています。それも大きなできごとについての歴史です。まずヤコブの奥さん・ラケルがなくなりました。それもお産(さん)のために、急になくなったのです。
やさしい聖書入門『創世記35:1-15』93.旅(たび)のとちゅう 教会ではよくこれまでのあゆみを本などにまとめていることがあります。あるいは、そのような本を個人的に出している人もいます。それは、神さまにみちびかれて生きている人にとって、これまでのあゆみをふりかえ
過去よりも未来 もうずいぶん昔の話だが、こんな話を聞いたことがある。日本人のルーツには2つあって、それは北国から移住してきた人間の子孫と、南国から移住してきた人間の子孫だという話だ。 そしてその違いをどうやって見分けるかというと、その人間にこうたずねると
やさしい聖書入門『創世記34:8-31』92.真実のからくり 前回のこのかしょで、ヤコブのむすめ・ディナを、土地の有力者(ゆうりょくしゃ)であったシェケムがむりやりおよめさんにしようとしたことと、それ自体はむかしの社会ではそれほどめずらしいことではなかったものの、
やさしい聖書入門『創世記34:1-7』91.真実をうつしだす鏡 聖書は時として私たちのほんとうのすがた、真実(しんじつ)のすがたをうつし出す鏡(かがみ)のようです。 たとえば、聖書はむかしあったことをえがきだすことで、人間のよわさやおろかさを遠慮(えんりょ)なくう
やさしい聖書入門『創世記33章』90.現実の祝福 私たちはこのところ、ヤコブがふるさとへ帰る物語をとおして、神さまがヤコブをそれまで祝福(しゅくふく)してくださったこと、そしてその経験からヤコブはこれからも神さまが自分を祝福してくださることを知っていることを学
やさしい聖書入門『創世記32:22-32』89.祝福の経験 今回のかしょはふしぎなかしょです。何があったのか、あまりよくわからないからです。 もっとも、ストーリーのほうはかんたんです。ふるさとをめざして旅をしてきたヤコブが、ヤボク川というところで、家族も財産(ざいさ
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やさしい聖書入門『箴言10:12』 私たちがかんちがいしているようなことは、よのなかにたくさんあります。 そのうちの1つが、にくしみとあらそいの順番(じゅんばん)です。 多くの人はたぶん、人と人とがあらそうから、そこににくしみがうまれるとかんがえているでしょう
やさしい聖書入門『箴言10:9-11』58. これまでこのコーナーで、私たちじしんのこころの中にある「知恵(ちえ)の声」を無視(むし)してはならない、ちゃんときかなければならないというお話をずっとしてきました。 それでは、そのように私たちが「知恵の声をきく」ことは
やさしい聖書入門『箴言10:8』57. 今回のかしょの前半(ぜんはん)は、「こころに知恵(ちえ)のある人は命令(めいれい)をうけいれる」ということばです。「命令」と書くと、だれかの指示(しじ)のように思えるでしょうし、そう思うと、このことばについては「人の命令を
やさしい聖書入門『箴言10:6-7』56. よのなかには、はっきりしないものがあります。あることについて、良いとか悪いという人がいますが、ものごとの多くはそんなにかんたんではなく、よくしらべてみるとだれかがそうきめつけているだけのことが、あんがいあります。 「この
やさしい聖書入門『箴言10: 5』55. ものごとがうまくいかない時があります。そして時には、かなしいできごとがその原因(げんいん)ということもあります。かなしみがなければできたはずのことが、かなしみのせいでできなくなってしまうのです。 するとその人は、ほかの人
やさしい聖書入門『箴言10:4-5』54. 今回のかしょはもしかしたら、多くの人がイメージしていることとちがうかもしれません。なまけることだけが貧乏(びんぼう)のりゆうではありませんし、いまお金持ちな人は、その人がいっしょうけんめいに働いたからとはかぎらないからで
やさしい聖書入門『箴言10:2-3』53. 今回のかしょには、ずるいことをしてお金持ちになっても、そんなお金はやくにたたないと書かれています。でも、ふつうの見かたをすると、このかしょはまちがっているように見えます。 というのは、世の中にはズルいことをしてお金をもう
やさしい聖書入門『箴言10:1』52. 今回のかしょには、「知恵(ちえ)のある子は父をよろこばせ、おろかな子は母のかなしみとなる」と書かれています。子どもが知恵をもって生きることをよろこび、そうでないときはかなしむのですから、ここに書かれている父母は正しく子ども
やさしい聖書入門『箴言9:14-18』51. これまでこのコーナーでは、私たちのこころの中に「知恵(ちえ)」というものがあり、その知恵が私たちにむかってときどき「そんなことをしてはいけない」とか、「本当はこうしたほうがいい」とささやいているということを学びました。
やさしい聖書入門『箴言9:13』50. 今回の聖書のかしょをみて、あなたはどう思いますか?今回のかしょにはこうあります。「おろかな女はさわがしく、わきまえがなく、何も知らない」と。 でも、さわがしくてわきまえもなく、なんにもわかっていない人は男の人のなかにもいま
キリストには代えられません(メロディに合わせていないので歌うことはできません)1.キリストにはかえられません世のたからや富はこのお方が私のためにそなえてくださったゆえです世の楽しみをありがとうございます世の誉れも感謝しますキリストにはかえられません世はすべ
やさしい聖書入門『箴言9:12』49. ものごとを、「自分にとって得(とく)になるか、ならないか」で判断(はんだん)するという考え方があります。この考え方は、悪(わる)い考え方だと思われがちです。 でも、聖書はこのような考え方を悪い考え方だとは教えていません。と
やさしい聖書入門『箴言9:10-11』48. 今回のかしょも知恵(ちえ)についての教えですが、これまでとはちがうところがあります。これまでのかしょでは知恵そのものの大切(たいせつ)さを教えていましたが、今回のかしょは私たちについて書かれているのです。 こんなことを
やさしい聖書入門『箴言9:9』47. ものごとには積(つ)みかさねというものがあります。たとえば、レストランや食堂(しょくどう)へ行けばたくさんのメニューがありますが、これらのメニューはきのう、今日(きょう)に生まれたものではありません。 お料理(りょうり)は
やさしい聖書入門『箴言9:7-8』46. ものごとには、いくつかの見方(みかた)というものがあります。そして「いくつかの見方がある」のだから、どちらの見方もただしいのです。 それにたいして「よいか、わるいか」という見方には、ただしいことが1つしかありません。そし
やさしい聖書入門『箴言9:1-6』45. 今回のかしょでは、知恵(ちえ)を大ぜいの人たちをお客さんとして自分の家にまねく人にたとえています。わかりやすいばしょを用意(ようい)して、とおりをいく人たちにわかりやすくよびかけている人にです。 知恵はたしかにそんな感じ
実りのある聖書の学びと実りのない聖書の学び どうか御顔を私に隠さないでください。あなたのしもべを怒って押しのけないでください。あなたは私の助けです。見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神よ。 私の父私の母が私を見捨てるときは主が私を取り
やさしい聖書入門『箴言8:31-36』44. このところ、このコーナーでは知恵(ちえ)についてまなんでいます。知恵は、言ってみれば私たちひとりひとりのこころの中にある声(こえ)のようなもので、この声に私たちはしたがうこともできますし、したがわないこともできる、とい
経験主義とごうまん1. 突然ですが人間というのは経験主義者です。経験主義というのはつまり、何かを考えたり行動したりする時に「自分の経験ではどうだったか」ということで決めているということです。 私はよくこの「人間っていうのは経験主義者なんだ」っていう話をい
やさしい聖書入門『箴言8:22-30』43. このコーナーではこのところ、知恵(ちえ)についてまなんできましたね。たとえば、知恵は私たちにかたりかけてくると。知恵は私たちに「そんなことしていいの?」とか、「今はこうしないといけない」というふうに、かたりかけて教えて
やさしい聖書入門『箴言2:16-19』7. 前回までこのコーナーで、私たちのこころのなかには2つの思いがあるということをまなびました。そしてその思いはまるで「声(こえ)」のように、私たちをみちびいてしまうことも。 その声のうち、1つは私たちを「わるいほうへみちびく
やさしい聖書入門『箴言2:13-15』6. このところこのコーナーで見ている聖書の箴言(しんげん)というかしょには、1つの特徴(とくちょう)があります。それはたとえば正しい人と悪者(わるもの)というふうに、大きくちがうふたつのばあいをならべて書かれてある、という特
やさしい聖書入門『箴言2:1-12』5. これまでこのコーナーでは私たちのこころの中に、私たちを正しいほうへみちびいてくれるこころの声(こえ)のようなものがあることと、そしてそのような声を注意(ちゅうい)ぶかくきいて、その声のとおりにしたほうがよいと学びました。
やさしい聖書入門『箴言1:32-33』4. 今回のかしょも、これまでみたのと同じことが、もうすこし少ないことば―3つのことばで書かれています。 その3つのことばのうち2つは、①「あさはかな者の背信(はいしん)」と、②「おろかな者の安心(あんしん)」です。これをもっと
やさしい聖書入門『箴言1:20-31』3. 前回はこころのなかにおこる悪(わる)い声(こえ)のお話しでした。今回は良(よ)い声のお話です。 私たちを悪いほうへさそうような悪い声があるのと同じように、私たちを良いほうへさそう声もあります。 そしてちょうど悪い声が私た
やさしい聖書入門『箴言1:10-19』2. 箴言には、ほかのかしょにはあまりない1つの特徴(とくちょう)があります。それは教えを人になぞらえておこなう「擬人化(ぎじんか)」ということをやっているところです。 たとえば今回のかしょには「罪人(つみびと)たちがあなたを
やさしい聖書入門『箴言1:1-9』1. 今回からはこのコーナーで聖書の「箴言(しんげん)」というかしょから学んでゆきましょう。箴言はぜんぶではありませんが、そのほとんどを知恵(ちえ)にみちた王、ソロモンのことばがしめています。今回のかしょもソロモンのことばだと書
やさしい聖書入門『創世記50:22-26』133.1つの時代が終わっても 今回のかしょは、長い間見てきた創世記のさいごのところです。 これでこのコーナーで創世記からお話をするのはひとまず終わるわけですが、内容(ないよう)のほうもひとくぎりついています。 それは、この
お前たちに死をお前たちにどんな過去がどんなに悲しい過去があろうがこっちには知ったこっちゃないお前たちが無垢な人たちを泣かせる限りは草の根わけてでも引きずり出してみせる俺ならお前たちを救い出せるかも知れないが俺がそんな気になるとは限らない無垢な人たちを泣か
やさしい聖書入門『創世記50:15-21』132. 今回のかしょのはじめのところで、ヨセフのお兄さんたちはこのようなおそれを感じました。 ヨセフはお兄さんたちがした悪い仕打(しう)ちにもかかわらず、ずっとやさしい態度(たいど)でした。でもそれは、お父さんの手前(てま
やさしい聖書入門『創世記50:12-14』131.お父さんと天のお父さま 今回のかしょには、ヤコブのむすこたちがヤコブを、カナンにあるおはかへ埋葬(まいそう)したと書かれています。 カナンは、そのころむすこたちが住んでいたところからはかなり遠いところです。なのにどう
やさしい聖書入門『創世記50:1-11』130.神の祝福、神のみわざ 前回のお話は、ヨセフのお父さんがなくなったところでおわりました。 ヨセフはふかく悲しみましたが、お父さんが生きていたころに言っていたことをするために王さまにおねがいしました。お父さんのなきがらを、
やさしい聖書入門『創世記49:29-33』129.「私のもの」と言えるもの 今回のおはなしは、年をとったヤコブがいよいよなくなるときのお話です。 このときヤコブは自分のむすこたちに、自分がなくなったら「エフロンの畑地(はたち)」にあるおはかに自分をほうむってくれと言
やさしい聖書入門『創世記49:1-28』128.なくなる前のヤコブのことば 今回のかしょは、お父さんのヤコブからむすこたちへむけた、わかれのことばのようなお話です。 このようなかしょが聖書にかかれているせいか、西洋(せいよう)では、「人間は死ぬまえに預言をする」とい
やさしい聖書入門『創世記48:21-22』127.とらぬタヌキの… 私たちの国のことわざに、「とらぬタヌキの皮算用(かわざんよう)という言葉があります。このことわざは、野原でタヌキをとる猟師(りょうし)さんが、まだとれてもいないタヌキを数えて、「これぐらいお金がもう
やさしい聖書入門『創世記48:12-20』126.神さまにみちびかれて生きた人の結論 今回のかしょに書かれているヤコブのことばには、ヤコブにしては意外(いがい)に思えることばがあります。それは、ヨセフの2人の子のために祝福(しゅくふく)をもとめていのるときに、彼が言
やさしい聖書入門『創世記48:1-11』125.その人に合ったやりかたで これまでこのコーナーでお話してきたなかの一人、ヤコブが病気(びょうき)になりました。それでむすこのヨセフは自分のふたりの子どもをつれておみまいに行きました。それが今回のお話です。ヤコブはもうお
子どものお前をクリスタルグラスの向こうでお前がお前らしくもなくおどけてるねそうさそれでいい今夜だけはいろいろ難しいことをこなしてるお前だけれど今夜の俺の前では無邪気な子どもでわらっておどけて身体をゆすってる大人な自分だけじゃさぞかし気詰まりだろうから無邪
やさしい聖書入門『創世記47:27-31』124.けじめ 今回のかしょで、イスラエル―ここではこれはヤコブのことですが―私たちがみならうべきような、とてもいいことを言っています。 彼は、聖書の登場人物(とうじょうじんぶつ)としては、かなりいいかげんな人ですが、でもそ
やさしい聖書入門『創世記47:13-26』123.悪いニュースがよいニュースに 聖書に、ヨセフという人の時代にエジプトからパレスチナにかけて、とてもはげしいききんがあったことが書かれています。作っても作っても作物(さくもつ)はみのらず、人々には食べるものがありません