やさしい聖書入門『箴言10:12』 私たちがかんちがいしているようなことは、よのなかにたくさんあります。 そのうちの1つが、にくしみとあらそいの順番(じゅんばん)です。 多くの人はたぶん、人と人とがあらそうから、そこににくしみがうまれるとかんがえているでしょう
やさしい聖書入門『箴言6:16-17』33. 今回のかしょは前回からのつづきです。前回は、神さまがきらうものが6つあって、そのうちの1つは「たかぶる」ことだと言いました。 そして今回は、そのもう1つのものとして、うそをつくことだとかかれています。 するとまじめな人
安堵ーすべての終わりもう片付けが始まったんだねすべてがまるでうたかたの夢だったようだよあんなにも青い空の下で胸おどらせてたそんなひと時もおひらきなんだねでも僕は楽しかったよたとえあのひと時のためだけに生きたとしてもさあ片付けようか日がこんなにもかげってき
やさしい聖書入門『箴言6:16-19』32. 今回のかしょは、おもしろいことばで始まります。神さまごじしんが「いみきらう」ものがあるというのです。「いみきらう」というのは、「まじムリ」という感じのことばです。 そして神さまが「ムリ」とおもわれることが、体の部分(ぶぶ
やさしい聖書入門『箴言6:12-15』31. 今回のかしょのさいしょのところには、「よこしまな者(もの)」や「不法(ふほう)の者」ということばが出てきます。わかりやすくいうとこれは、悪者(わるもの)と言いかえてもいいでしょう。 でも、どんな人でも、ひとりひとりと人
やさしい聖書入門『箴言6:1-11』30. 聖書のことばは、時には神さまを信じていない人にむけてかたられ、また時にはすでに神さまを信(しん)じている人にむけてかたられています。そして今回のかしょは、神さまを信じている人にむけてかたられていることばです。 ここではほ
やさしい聖書入門『箴言5:3-23』29. 今回のかしょには「よその女」とよばれている人が出てきます。この人とかかわると、さいしょのうちは私たちをうれしい気持ちにさせてくれまずが、その人は私たちを死(し)の世界(せかい)へとひっぱってゆき、そのうえせっかくこれまで
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やさしい聖書入門『箴言10:12』 私たちがかんちがいしているようなことは、よのなかにたくさんあります。 そのうちの1つが、にくしみとあらそいの順番(じゅんばん)です。 多くの人はたぶん、人と人とがあらそうから、そこににくしみがうまれるとかんがえているでしょう
やさしい聖書入門『箴言10:9-11』58. これまでこのコーナーで、私たちじしんのこころの中にある「知恵(ちえ)の声」を無視(むし)してはならない、ちゃんときかなければならないというお話をずっとしてきました。 それでは、そのように私たちが「知恵の声をきく」ことは
やさしい聖書入門『箴言10:8』57. 今回のかしょの前半(ぜんはん)は、「こころに知恵(ちえ)のある人は命令(めいれい)をうけいれる」ということばです。「命令」と書くと、だれかの指示(しじ)のように思えるでしょうし、そう思うと、このことばについては「人の命令を
やさしい聖書入門『箴言10:6-7』56. よのなかには、はっきりしないものがあります。あることについて、良いとか悪いという人がいますが、ものごとの多くはそんなにかんたんではなく、よくしらべてみるとだれかがそうきめつけているだけのことが、あんがいあります。 「この
やさしい聖書入門『箴言10: 5』55. ものごとがうまくいかない時があります。そして時には、かなしいできごとがその原因(げんいん)ということもあります。かなしみがなければできたはずのことが、かなしみのせいでできなくなってしまうのです。 するとその人は、ほかの人
やさしい聖書入門『箴言10:4-5』54. 今回のかしょはもしかしたら、多くの人がイメージしていることとちがうかもしれません。なまけることだけが貧乏(びんぼう)のりゆうではありませんし、いまお金持ちな人は、その人がいっしょうけんめいに働いたからとはかぎらないからで
やさしい聖書入門『箴言10:2-3』53. 今回のかしょには、ずるいことをしてお金持ちになっても、そんなお金はやくにたたないと書かれています。でも、ふつうの見かたをすると、このかしょはまちがっているように見えます。 というのは、世の中にはズルいことをしてお金をもう
やさしい聖書入門『箴言10:1』52. 今回のかしょには、「知恵(ちえ)のある子は父をよろこばせ、おろかな子は母のかなしみとなる」と書かれています。子どもが知恵をもって生きることをよろこび、そうでないときはかなしむのですから、ここに書かれている父母は正しく子ども
やさしい聖書入門『箴言9:14-18』51. これまでこのコーナーでは、私たちのこころの中に「知恵(ちえ)」というものがあり、その知恵が私たちにむかってときどき「そんなことをしてはいけない」とか、「本当はこうしたほうがいい」とささやいているということを学びました。
やさしい聖書入門『箴言9:13』50. 今回の聖書のかしょをみて、あなたはどう思いますか?今回のかしょにはこうあります。「おろかな女はさわがしく、わきまえがなく、何も知らない」と。 でも、さわがしくてわきまえもなく、なんにもわかっていない人は男の人のなかにもいま
キリストには代えられません(メロディに合わせていないので歌うことはできません)1.キリストにはかえられません世のたからや富はこのお方が私のためにそなえてくださったゆえです世の楽しみをありがとうございます世の誉れも感謝しますキリストにはかえられません世はすべ
やさしい聖書入門『箴言9:12』49. ものごとを、「自分にとって得(とく)になるか、ならないか」で判断(はんだん)するという考え方があります。この考え方は、悪(わる)い考え方だと思われがちです。 でも、聖書はこのような考え方を悪い考え方だとは教えていません。と
やさしい聖書入門『箴言9:10-11』48. 今回のかしょも知恵(ちえ)についての教えですが、これまでとはちがうところがあります。これまでのかしょでは知恵そのものの大切(たいせつ)さを教えていましたが、今回のかしょは私たちについて書かれているのです。 こんなことを
やさしい聖書入門『箴言9:9』47. ものごとには積(つ)みかさねというものがあります。たとえば、レストランや食堂(しょくどう)へ行けばたくさんのメニューがありますが、これらのメニューはきのう、今日(きょう)に生まれたものではありません。 お料理(りょうり)は
やさしい聖書入門『箴言9:7-8』46. ものごとには、いくつかの見方(みかた)というものがあります。そして「いくつかの見方がある」のだから、どちらの見方もただしいのです。 それにたいして「よいか、わるいか」という見方には、ただしいことが1つしかありません。そし
やさしい聖書入門『箴言9:1-6』45. 今回のかしょでは、知恵(ちえ)を大ぜいの人たちをお客さんとして自分の家にまねく人にたとえています。わかりやすいばしょを用意(ようい)して、とおりをいく人たちにわかりやすくよびかけている人にです。 知恵はたしかにそんな感じ
実りのある聖書の学びと実りのない聖書の学び どうか御顔を私に隠さないでください。あなたのしもべを怒って押しのけないでください。あなたは私の助けです。見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神よ。 私の父私の母が私を見捨てるときは主が私を取り
やさしい聖書入門『箴言8:31-36』44. このところ、このコーナーでは知恵(ちえ)についてまなんでいます。知恵は、言ってみれば私たちひとりひとりのこころの中にある声(こえ)のようなもので、この声に私たちはしたがうこともできますし、したがわないこともできる、とい
経験主義とごうまん1. 突然ですが人間というのは経験主義者です。経験主義というのはつまり、何かを考えたり行動したりする時に「自分の経験ではどうだったか」ということで決めているということです。 私はよくこの「人間っていうのは経験主義者なんだ」っていう話をい
やさしい聖書入門『箴言8:22-30』43. このコーナーではこのところ、知恵(ちえ)についてまなんできましたね。たとえば、知恵は私たちにかたりかけてくると。知恵は私たちに「そんなことしていいの?」とか、「今はこうしないといけない」というふうに、かたりかけて教えて
やさしい聖書入門『箴言2:16-19』7. 前回までこのコーナーで、私たちのこころのなかには2つの思いがあるということをまなびました。そしてその思いはまるで「声(こえ)」のように、私たちをみちびいてしまうことも。 その声のうち、1つは私たちを「わるいほうへみちびく
やさしい聖書入門『箴言2:13-15』6. このところこのコーナーで見ている聖書の箴言(しんげん)というかしょには、1つの特徴(とくちょう)があります。それはたとえば正しい人と悪者(わるもの)というふうに、大きくちがうふたつのばあいをならべて書かれてある、という特
やさしい聖書入門『箴言2:1-12』5. これまでこのコーナーでは私たちのこころの中に、私たちを正しいほうへみちびいてくれるこころの声(こえ)のようなものがあることと、そしてそのような声を注意(ちゅうい)ぶかくきいて、その声のとおりにしたほうがよいと学びました。
やさしい聖書入門『箴言1:32-33』4. 今回のかしょも、これまでみたのと同じことが、もうすこし少ないことば―3つのことばで書かれています。 その3つのことばのうち2つは、①「あさはかな者の背信(はいしん)」と、②「おろかな者の安心(あんしん)」です。これをもっと
やさしい聖書入門『箴言1:20-31』3. 前回はこころのなかにおこる悪(わる)い声(こえ)のお話しでした。今回は良(よ)い声のお話です。 私たちを悪いほうへさそうような悪い声があるのと同じように、私たちを良いほうへさそう声もあります。 そしてちょうど悪い声が私た
やさしい聖書入門『箴言1:10-19』2. 箴言には、ほかのかしょにはあまりない1つの特徴(とくちょう)があります。それは教えを人になぞらえておこなう「擬人化(ぎじんか)」ということをやっているところです。 たとえば今回のかしょには「罪人(つみびと)たちがあなたを
やさしい聖書入門『箴言1:1-9』1. 今回からはこのコーナーで聖書の「箴言(しんげん)」というかしょから学んでゆきましょう。箴言はぜんぶではありませんが、そのほとんどを知恵(ちえ)にみちた王、ソロモンのことばがしめています。今回のかしょもソロモンのことばだと書
やさしい聖書入門『創世記50:22-26』133.1つの時代が終わっても 今回のかしょは、長い間見てきた創世記のさいごのところです。 これでこのコーナーで創世記からお話をするのはひとまず終わるわけですが、内容(ないよう)のほうもひとくぎりついています。 それは、この
お前たちに死をお前たちにどんな過去がどんなに悲しい過去があろうがこっちには知ったこっちゃないお前たちが無垢な人たちを泣かせる限りは草の根わけてでも引きずり出してみせる俺ならお前たちを救い出せるかも知れないが俺がそんな気になるとは限らない無垢な人たちを泣か
やさしい聖書入門『創世記50:15-21』132. 今回のかしょのはじめのところで、ヨセフのお兄さんたちはこのようなおそれを感じました。 ヨセフはお兄さんたちがした悪い仕打(しう)ちにもかかわらず、ずっとやさしい態度(たいど)でした。でもそれは、お父さんの手前(てま
やさしい聖書入門『創世記50:12-14』131.お父さんと天のお父さま 今回のかしょには、ヤコブのむすこたちがヤコブを、カナンにあるおはかへ埋葬(まいそう)したと書かれています。 カナンは、そのころむすこたちが住んでいたところからはかなり遠いところです。なのにどう
やさしい聖書入門『創世記50:1-11』130.神の祝福、神のみわざ 前回のお話は、ヨセフのお父さんがなくなったところでおわりました。 ヨセフはふかく悲しみましたが、お父さんが生きていたころに言っていたことをするために王さまにおねがいしました。お父さんのなきがらを、
やさしい聖書入門『創世記49:29-33』129.「私のもの」と言えるもの 今回のおはなしは、年をとったヤコブがいよいよなくなるときのお話です。 このときヤコブは自分のむすこたちに、自分がなくなったら「エフロンの畑地(はたち)」にあるおはかに自分をほうむってくれと言
やさしい聖書入門『創世記49:1-28』128.なくなる前のヤコブのことば 今回のかしょは、お父さんのヤコブからむすこたちへむけた、わかれのことばのようなお話です。 このようなかしょが聖書にかかれているせいか、西洋(せいよう)では、「人間は死ぬまえに預言をする」とい
やさしい聖書入門『創世記48:21-22』127.とらぬタヌキの… 私たちの国のことわざに、「とらぬタヌキの皮算用(かわざんよう)という言葉があります。このことわざは、野原でタヌキをとる猟師(りょうし)さんが、まだとれてもいないタヌキを数えて、「これぐらいお金がもう
やさしい聖書入門『創世記48:12-20』126.神さまにみちびかれて生きた人の結論 今回のかしょに書かれているヤコブのことばには、ヤコブにしては意外(いがい)に思えることばがあります。それは、ヨセフの2人の子のために祝福(しゅくふく)をもとめていのるときに、彼が言
やさしい聖書入門『創世記48:1-11』125.その人に合ったやりかたで これまでこのコーナーでお話してきたなかの一人、ヤコブが病気(びょうき)になりました。それでむすこのヨセフは自分のふたりの子どもをつれておみまいに行きました。それが今回のお話です。ヤコブはもうお
子どものお前をクリスタルグラスの向こうでお前がお前らしくもなくおどけてるねそうさそれでいい今夜だけはいろいろ難しいことをこなしてるお前だけれど今夜の俺の前では無邪気な子どもでわらっておどけて身体をゆすってる大人な自分だけじゃさぞかし気詰まりだろうから無邪
やさしい聖書入門『創世記47:27-31』124.けじめ 今回のかしょで、イスラエル―ここではこれはヤコブのことですが―私たちがみならうべきような、とてもいいことを言っています。 彼は、聖書の登場人物(とうじょうじんぶつ)としては、かなりいいかげんな人ですが、でもそ
やさしい聖書入門『創世記47:13-26』123.悪いニュースがよいニュースに 聖書に、ヨセフという人の時代にエジプトからパレスチナにかけて、とてもはげしいききんがあったことが書かれています。作っても作っても作物(さくもつ)はみのらず、人々には食べるものがありません