SNSやnoteやはてなブログを眺めていると、「この人、めっちゃ楽しそうに文章を書いているなぁ」と思える投稿をしばしば見かける。
私はブロガーなので、動画配信については配信者が本当に楽しそうなのか、楽しいふりをしているだけなのかを識別する自信がない。でも、文章なら識別できるつもりでいる。
誰が書いた文章でも、楽しそうな文章にはウキウキとした、桜の開花宣言が出る日のような気配が感じられる。きっと頭のなかでドーパミンがドバドバ出ていたんだろうな、などと想像したりする。ネットスラングでいうところの「脳汁」ってやつだ。
どのジャンルでも、インプットやアウトプットは神経伝達物質の具合によって影響を受ける。ドーパミンは、その最たるものだ。
創作していて楽しくて仕方がない時には、だいたい、ドーパミンが頭のなかを駆け巡っている。そういうときには言葉と言葉、概念と概念とを結びつけるのが簡単になったり、難しい本の内容がスラスラ頭に入ってきたりする。ドーパミンは報酬系にかかわる物質だから、味方につけられればモチベーション向上や学習習慣の確立にも貢献してくれるだろう。
かく言う私自身も、この、クリエイターにとって女神のごとき神経伝達物質がドバドバ出ていた時期がある。ブログを毎日書いていた頃や、「この原稿は絶対に面白い本に仕上がる!」と確信していた頃は、とにかく、書くことや調べることが面白くて仕方が無かった。難解な資料にも、ドーパミンが出ている時なら怯まない。
できあがったブログ記事や原稿を後で読み返すと、「めっちゃ楽しそうに書いているな」と自分でもわかる。たぶん、ある程度経験を積んだ作家や編集者や著述家なら、他人の文章からにじみ出る「めっちゃ楽しそう感」に勘付くんじゃないだろうか。
ドーパミンがドバドバ出ている時の文章や原稿は、分別さえ失わなければ考察と色艶のバランスのとれたものに仕上がりやすいし、だからこそ、ドーパミンが出やすい環境やライフスタイルを維持することには意義がある。
たとえばブログやSNSで「いいね」を幾らかは稼いでおくとか、好奇心を刺激する状況に自分自身を定期的にさらすとか、ドーパミンを呼び込むためにできそうな工夫は色々とある。そうしてドーパミンを味方につけた結果、いい文章ができあがり、色々な人に喜んでいただけたら、自分まで嬉しくなってそれが次なるドーパミンの呼び水になったりもする。
ドーパミンに頼りすぎでは、いずれ戦えなくなる
ところが人間は、たえずドーパミンが分泌されるようにはできていない。
ドーパミンを味方にするためにできることを実践していてもなお、ドーパミンの加護と寵愛を受けていられる時期と、ドーパミンに背を向けられてしまう時期があるのは避けられない。
ドーパミンってやつは、いけずなところのある神経伝達物質だとも思う。「いいね」がたくさんもらえそう、万バズにたどり着けそう、おれさまの創作は最強そう、と思っているうちは盛大に味方してくれるが、負け癖のついた状況では味方してくれない。
たとえば調子の悪い時の対戦ゲームでは、集中力を取り戻すためにもドーパミンが頭を駆け巡って欲しいのだけど、負けが込んでいると駄目である。eスポーツに限らず、競技の世界で「まずは1ポイント取ること」「まずは1ゲーム取り返すこと」がプレイヤーのメンタルコントロールにとって重要で、と同時にライバルにはそのようなきっかけを与えないことが重要なのは、ドーパミンのメカニズムとも矛盾していないと思う。
背を向けられてしまったドーパミンを再び振り向かせること、その加護と寵愛を取り戻すことに失敗してしまう人もいる。
たとえば勉強の世界で「自分は勝てている」「自分は勉強で褒められる人間だ」と感じていた人が、生まれて初めて成績に直面し、劣等生になって誰も「いいね」してくれなくなった結果、勉強のモチベーションを取り戻せずに終わってしまう……なんてことも稀によくある。
そういう時期にドーパミンを安易に出させるタイプの娯楽にはまってしまったら、深く依存し、時間を空費する羽目になるかもしれない。
ドーパミンが出ない状況になってからが本番だ
だから、なにもかもドーパミン頼みでは詰んでしまう可能性がある。
控えめに言っても、ドーパミンの加護と寵愛がある時しか書けない・活動できない・プラクティスできないのでは、創作も仕事も勉強も続けられないし、結局モノにならないと思う。
ドーパミンを味方につけるための方策が大事なのはもちろん。だけど、ドーパミンが味方してくれない時にも書く・活動する・プラクティスすることも同じぐらい大事だ。
たとえば私自身も、うまくいっている時期もあればうまくいかない時期もある。どうしてもドーパミンが出ない、やる気も集中力も完璧とは言えない時期もある。そういう時にひねり出したアウトプットは、たいてい、色艶が足りないと感じられる。
だ け ど や る ん だ よ !
自分自身の活動を、気まぐれなドーパミンに委ねきってしまっては何もできない。ときにはドーパミンに逆らうように執筆・仕事・勉強をしなければならない場面だってある。
第一、〆切のたぐいは容赦なく迫ってくるのだから、ドーパミンが出ないから書かない・創らないなんて選択肢はないのである。また、そういう状況下でも手を動かし続けること、絶好調とは言えない状態でもあきらめないことが大切だと今はわかる。
アニメ『魔女の宅急便』にも、似たようなことを示唆するシーンがあった。
魔法のホウキで空を飛べなくなってしまったキキに、絵描きのウルスラは「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる」とアドバイスする。さすが宮崎駿監督! ドーパミンの寵愛を受けていない時でも手を休めずジタバタすることの有意味性が伝わってくる。
あと、「タコ練」してみるのも割といい。ここでいう「タコ練」とは、学習効率度外視で、やけくそに練習してみることだ。じきに疲れてしまうのだけど、疲れたおかげで肩の力が抜け、意外なアウトプットが出てきたり、思ってもみなかったことに気付いたりする。
加えてウルスラは、それでも駄目だった時のアドバイスとして「描くのをやめる。散歩したり景色を見たり昼寝したり、何もしない。そのうち、急に描きたくなるんだよ」とも付け加えている。「タコ練」を続けていると疲れてくるし、じきに休みたくなるだろう。でも、リフレッシュした後なら再びドーパミンが戻ってくるかもしれない。
ここで宮崎駿監督は、ウルスラとキキをとおしてアウトプットのためのアドバイスを視聴者にくれている。
私は2013年頃にウルスラのアドバイスを再発見し、以来、彼女のいうとおりに過ごすようにしている。ドーパミンが出ているうちしか頑張れない・楽しくなくなったら手が動かせなくなってしまう限り、人はそれほど多くのことが為しえないし、だからこそドーパミンが出なくなっている時にこそ、あなたや私のクリエイティビティの真価が問われる、のだと思う。
ドーパミンの加護と寵愛を獲得するために工夫だけでなく、彼女がこちらを振り向いてくれない時期にも戦っていけるような工夫も必要だ。
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(2025/2/6更新)
【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
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