どこから精神疾患で、どこまでそうでないのかを判断するのは、とても難しい。

 

たとえば発達障害などもそうで、典型的かつ重度の患者さん、比較的軽度の患者さん、精神科医の何割かが発達障害と診断するかもしれない一群、までのグラデーションがある。

そして実社会では、生物学的にはASDやADHDに当てはまりそうなのに医療機関にかからないまま活躍している人も少なくないのである。

 

みようによっては発達障害・みようによっては定型発達、という人を外来で診る時、片っ端から発達障害と診断するのがベストだろうか?

──これに対する返答は、ドクターによって微妙に違っているように思う。どちらにせよ、障害と診断すべきか迷うような人々が精神医療の内外に存在しているのは確かである。

 

口の悪い、いじわるな婆さんが精神科にやって来た!

さて、発達障害などとは違うかたちで、「これを“病気”とみなして“治療”して構わないのか?」と悩む案件が精神科に飛び込んで来ることもしばしばある。

 

今日はその一例を挙げよう。

その日、精神科外来に老人ホームの職員に付き添われてやって来たのは89歳の婆さんだった。老人ホームでのケアに手を焼くので「精神科的に問題を解決」して欲しい、という。

 

診察室に入るや、彼女は「なんだって!? 私がこんな“きちがい”病院で診察受けなきゃならないの!早く帰らせてちょうだい!」と不満をぶちまけた。

 

口は悪いが、気のしっかりした婆さんである。物忘れについて質問をしたりスクリーニングテストを行ったりしても、ことごとくパスする。時事のニュースは詳しく知っているし、老人ホームの職員それぞれの特徴もよく見抜いている。頭部MRIの画像所見を見ると、むしろ年齢より若々しい脳にすらみえる。

 

ところがこの婆さん、とにかく口が悪くて意地が悪い。

気に入らないことがあると「バカ」「ボケ」と罵る。診察中も、唾を飛ばしながら差別用語を繰り返す。

老人ホームの職員によれば、嫌いな入所者の悪口を言うだけでなく、こっそりビンタをしたりしているそうだが、簡単には証拠を掴ませない。施設長に詰問されると、「身体が当たっただけ」と答える。

 

このままでは退所処分にせざるを得ないが、身寄りも無く、これまでも幾つかの施設を転々としてきたという。

当の老人ホームの職員も困り果てていて、かといって放逐してしまえば婆さんの生活は明日も知れないということが伝わってきた。そして、その困窮への対処が精神科医に委ねられているのである。

 

結局、あれやこれやの説得を行って、「神経がカッカするのを穏やかにして、安眠しやすくなる薬」を就寝前に内服してもらう約束をとりつけて、それをもって“処方箋”とせざるを得なかった。

その後の職員の話では、口の悪さは健在だが、いくらか言動が穏やかになり、職員も対処しやすくなったという。

 

表向き、本件は“これにて一件落着”ということになる。

 

いじわる婆さんは、精神医療は治療の対象?

しかし私の内心は穏やかではない。

精神科とは、口の悪い、意地悪な婆さんを“治療”して構わない場所だっただろうか。

 

精神科の存在意義は、精神疾患を治療し、それによって患者さんの生活の質を向上する、または生活の妨げを軽減させることにあると私は認識している。

 

では、口が悪いこと、意地悪であることは、一体どういう精神疾患に該当するのだろうか。

精神科に来院した人を診察する際には、診療報酬上、なんらかの診断名が必要になるから、前述のようなケースでもなんらかの病名が必要になる。

 

仕方がないので、私はカルテに「情緒不安定性パーソナリティ障害」という病名を書き込んだ。

婆さんが、この病名どおりであるとは考えにくい。もしかしたら、それ以外の病名のほうが似つかわしかったかもしれない。

 

ともあれ、今まで全く精神科の世話になったことがなく、認知症の気配もみられず、勝気で口が悪かったとはいえ、八十年以上にわたって世渡りをやってのけた婆さんにご都合主義的に病名をつけるというのは気持ちの良いことではない。

 

当然ながら、この婆さんが統合失調症や双極性障害やうつ病に罹患している兆候も全くなかった。

この婆さんにぴったりの診断病名はどこにも存在しない。それでも老人ホームの現場は困っていて、精神科に“治療”が期待されていて、現場の困窮を前にしながら何もしないわけにもいかないから、やむを得ず、それらを“問題行動”としてリストアップし、その“問題行動”をターゲットとした“治療”を行っているのである。

 

ここらへんは精神科医によって判断が異なっていて、どんなに現場が困っていても「これは病気ではありません。もともとこういう人なので仕方ないので帰ってください」の一言で済ませる先生もいらっしゃるのかもしれない。というか、実際にいらっしゃることは知っている。

 

他方で、こういった、昭和時代には街のあちこちにいたような難しい人が介護施設に入る時、あるいは行政の支援を受けなければならない時に、さまざまなトラブルを起こしてしまう事案は珍しくない。

 

何も手を打たなければ現場がすり減っていき、本人も居場所を失っていく。かといって、警察沙汰にするにしては軽微だし、そもそも、本人が警察沙汰になるかならないかの瀬戸際を心得ているので、警察は手も足も出ない。

最終的に、困り果てた支援者が「この人にはほとほと困っているので、どんな精神疾患の病名でも構いませんので何とかしてください」と精神科医に懇願するのである。

 

なかには、そういう難しい人が人物が実際に精神疾患であると判明する場合もある。

未治療の統合失調症・前頭側頭型認知症・双極性障害などが見つかった時には、私はむしろホッとする。精神疾患が存在していて、本人と周囲の社会適応が脅かされているなら、精神科医は堂々と治療にとりかかることができる。

 

だが、昭和時代には嫁を困らせたり町内の鼻つまみ者になったりしていただろう人物に対して、既存の精神疾患の診断カテゴリーにおさまらないにも関わらず強引に病名をつけて“治療”を行うとなれば、あまり後味が良くない。

 

昭和時代風のいじわるで口汚い婆さんは、確かに問題のある人物だし、2020年代の日本の市民に求められる振る舞いができていない、とは言える。

だからといって、それを精神疾患とみなし“治療”して構わないとしたら、そのロジックは、一体どういうものになるのか。

それとも、昭和時代風の素行の悪い人物も今後は精神疾患とみなし、積極的に診断カテゴリーに取り込んでいくというのが業界の見通しとなっているのだろうか?

 

昭和時代よりも住みやすく、安全で、快適な現代社会において、件のいじわる婆さんのような人物が困るのはわかるし、その対策にどこかが乗り出さなければならないというのもわかる。

 

だが、その役割を精神科が、精神医療が、引き受けて良かったのだろうか? もちろん、善意で“治療”を行っている人々、実際に困った人物に直面している人はゴーサインを出すだろう。私も実質的にはそうしているも同然だ。

 

だが、どこか引っかかる。事案に対して善いことをしているつもりでも、これは本当に善いことなのか? そして、善いことが積もり積もった行きつく先に待っているのはどんな未来なのか? そして、これからの市民社会における精神医療の立ち位置は、どんな風に変わっていくのか?

 

とはいえ、現場は一人の精神科医が思い悩んでいるのを待ってはくれないので、とにかくも、同業者や関係各位と意見交換をしながら、できるだけ“標準的な精神医療”を目指していくしかない。

 

私の先輩の一人は、精神医学の診断病名は、人を縛るためのものではなく、人を救うためのものでなければならないと言っていたが、本当にそうだと思う。良心を手放さないようにしよう。

『シロクマの屑籠』セレクション(2017年10月12日投稿)より

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Armin Lotfi