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むだい

 今年もふるさと納税を考える時期が近づいてきた。毎年何かを試されているような気分になり、やや元気がなくなる。今年は試しにしないことに決めてみた。

 任意の自治体に寄付をすると、返礼品がもらえる上、そのほぼ全額が控除されるというこの仕組みは金銭的な面では得しかない。一方で、寄附税制としてはそもそもあまりに全ての面で冗長であり、ついでに不要な競争をも生みうるこの仕組みを自分は端的に言ってクソ制度だと思っている。

 やらないと損するが、賛同できず与したくない制度、というものが自分にもたらすストレスというのはなかなかなものである。自分の中の効率厨の心はやれと叫び、偏屈な心は悪しき制度に加担するなと叫んでいる。しなかった場合は、金と引き換えに自分の本意が遂げられるかと思えばそうではなく、悪しき制度を運用する側に多めに金を払うわけであるから、結果として体制側に利するわけで、清らかな筋が通ることはない。

 ここで、「得やん〜」と言いながら無邪気にふるさと納税をする人と、自分のようにごちゃごちゃ言いながら結果的にはする人を比べると、全く無意味な気持ちの逡巡のコストの分、後者の損っぷりはすごい。どうせ損するなら行くとこまで行ったるわい!(ふるさと納税せず)というのが今年である。

 この話のアナロジーとして広告との関わり方というのがある。大衆に、時には不必要な消費を迫るCMの音楽を作ることで最近の自分は飯を食っているわけである。ふるさと納税と違い、よい部分もあるので根底からなくなるべきとは思わないが、悪い部分に直面するような場面も年々増えている。ここでの自分もまさに”ごちゃごちゃ言いながら結果的にはする人”の様相である。ごちゃごちゃ言ったところで赦される領域が増えるわけでもなし。そして、最近の世の中はこのごちゃごちゃいう人をよく思っていないようなムードがあるように思う。

 

某日

 色々な思惑もあり授業後にふらっとメトロに遊びに行く。企画側であったロシさんに「最近もいい感じにやってんね」と褒められる。ロシさんは自分が記憶する限り、会った際は大体いつも褒めてくれる。関西の若手ミュージシャンについて色々聞かれたので答える。「いやー稼働してんねー」みたいなことを最後に言われる。まさかこの数日後にこの世を去るとはつゆも知らずに。

 面倒を見る、と気に掛ける、の間くらいのコミュニケーションのことを最近よく考える。中途半端なコミュニケーションを可能にするのはいつだって中途半端な場所である。ちょっとズレた自己開示をするチャンスと、それをよしとする人間がこの世には少なすぎる。

 

6月某日

 the band apartが3rdアルバムの完全再現ライブをするというので観に行く。一曲目のイントロで川崎氏がリードのフレーズを完外ししている様子を見ながら、なんて最高なバンドなんだと思う。キッズの頃はわからなかったが、改めて(語弊を恐れずにいうのなら)本当に変なバンドである。若かりし頃の自分がちゃんと正しく変な音楽を作り、変な演奏をする人間をかっこいいと感じれていたことは素直に嬉しい。ここでいう”変さ”というのが自分の人生のテーマであるとも思う。

 

7月某日

 新宿歌舞伎町ZERO TOKYOにてGOLDDISKなるイベントに出演。ライブセットなのにトリである。気分が良くなったのでそのまま繋ぐ形でUSBで数曲DJして締め。自分比で相当アッパーにしていったつもりでも、毎度このシーンはさらにアッパーである。

 いつぞやマゴチに「4つ打ちでキックがなっていること自体が本質的にオーディエンスに負荷をかけている(し、だからこそよい)」みたいな話をされて以来、クラブミュージックを負荷の高い低いで測る癖が付いている。デチューンが掛かったSAW波のコードスタブも負荷であるし、SINE波をサブローで鳴らしても負荷である。無負荷はつまらないし、過負荷は疲れる。粋な配分で負荷を時間軸に沿って配置していく、というのは本当にセンスだなと思う。

 

7月某日

 メトロでdrop-inなる平日イベントを開催。持ち込まれた楽曲データをその場でCDJで再生していく組手スタイルはやはり面白く少し延長。平日なのに知らない若者がたくさん来て、たくさんの曲が聴けてよかったです。

 自分もいい年になってきたので、「有村さんに曲を聴いていただきたく・・・」みたいな感じで恐縮して話しかけてくれる人が徐々に増えてきたが、年齢もキャリアも関係なくみんなで曲を聴かせ合いたいので、この人に認められたい、みたいなのは一旦なしでいきたい。おれも曲を作って持ってくるし、みんなもそうしてほしいわけである。この辺は慣れの問題であるから、こういう催しを続けていればみんな慣れてきて、いい意味でもっとフランクになっていくとは思う。ナメすぎるのも憧れすぎるのも結局はディスコミュニケーションの問題である。続けていくうちに色々普通になって、みんながフラットに会話できるようになる頃には、いい感じのシーンになっていると思います。

 

7月某日

 京都ワールドでDJ。晩飯会場にいくとオカモトレイジさんとヨウジイガラシさんの2人。陰湿な自分と比べて2人の初対面コミュニケーションはこなれている。

 DJはどこにも振り切れないまま持ち時間が終わってしまってやや反省。自分の次のレイジさんはJPOPにガン振り。自分のごちゃごちゃやる感じが思い切りのなさとして出てしまった感じはする。レイジさんが使っていたRCA出力でSEが鳴るおもちゃの光線銃がかなりよく、帰り道にネットで注文。のちにフジロック で活躍することになる。

 

某日

 o-nestでconvex mirror e.p.のリリパ。前日に思いつきで作り始めたZINEのおかげで作品に対しての頭の整理ができている感じがある。一方完全単独自主企画なので準備に余裕がない。一方控え室にパーゴルとtomgggさんがいるので妙な安心感がある。2人とももう出会って10年経っているので恐ろしい。来てくれた中村佳穂さんはモンゴルの話をしている。

 ボロ雑巾を絞るようにヒイヒイ言いながら作った2nd3rdなどと違い、今回はかなり無邪気に色々試すエチュードと言った感じで、作品自体、というよりは自身の在り方という面でなかなかの手応えがある。来てくれるお客さんのことも正しく信用できていて、音楽自体だけでなく姿勢も含めてちゃんと理解してもらっているという実感があり、なんかもうそれだけで満足してしまっている感じもある。パーゴル&tomgggの両先輩もトマソンスタジオ同窓会的なアフターの面々も、いちいち細かいニュアンスを説明するまでもなく共有できているものがあり、音楽を続けるっていいなーとしみじみしながらのプレイでした。来てくれた人はありがとうございました。

 

某日

 デイナイト通しのリリパ終わりの朝、新幹線で帰宅。京都駅から電車に乗る気力すらなく家までタクシー。泥のようなコンディションでタクシーを降りるとnanoのスタッフのミキティが道を歩いていてあいさつ。仮眠して授業。そのままメトロで出演。

 疲れすぎてSawa Angstromの演奏が天からのお迎えのように感じられる。帰宅も全部の移動をタクシーて済ませて気絶。

 

某日

 ぬのさんぽのテーマソングを演奏してもらうためにゴリラ祭ーズの3人とスタジオで内容確認。鍵盤ハーモニカやリコーダーの音域についてあまりに無知すぎたためそこも確認。終わった後はガストで飯。自分は彼らから見るとインターネットにいる謎のインチキおじさんであるわけだから恐ろしい。一方でSAKEROCKのライブに行くことに高校時代を費やした自分から見ると、ゴリラ祭ーズは早いうちに音楽をやる友達ができたパラレルワールドの嘘の自分を見ているような気持ちになってしまったりもするが、そういうのは人に託すものではない。彼らなりに頑張ってほしい。

 

某日

 スタジオシンポでぬのさんぽのテーマソングの楽器録音。スマートにこなす船越くんと、おれが行き当たりばったりだったせいでやや負荷をかけられ苦労する平野くんのコントラストが面白い。終わった後はコイズさんと雑談。御池レコーディングシーンをもっと盛り上げていきたい。

 

某日

 フジロック行きのために一旦東京へ。みなと合流して車で苗場へ。道中は意気揚々である。苗場でNTsKiちゃんとJinyaさんと合流。飯食ったり酒飲んだりしてダラダラ過ごす。ホワイトのPeggy GouのDJっぷりを眺めながら自分にない要素はこれだなーと思う。

 日付変わってのGANBANステージはちょうど皆がオアシスらへんに人が集まるタイミングで、自分が出る時間はちょうど人が多くてよかった。ステージからお客さんがよく見える。新潟の山中で、たくさんの友人に見守られながら自分の曲をかけ過ごす時間は本当に感慨深いものでした。ありがとうございました。誕生日を迎え33歳。贅沢なバースデーでした。これからもよろしくお願いします。

 イノウ終わりにふにゃふにゃになりながら苗プリで爆睡し、帰りは運転。EOUが海に行きたいというので日本海側から京都へ。道がひらけていて走りやすい。途中眠すぎてEOUに交代。ウエストハーレムに帰ってきた時、妙に修学旅行みを感じてしまった。

 

某日

 ぬのさんぽのテーマソングのボーカルRECのため世田谷へ。黒沢ともよさんが一人ででスタジオに来ていて驚いた。ユーフォ3期完走直後であったので言いたい話は山ほどあったがあえてせず。まだ連載の始まっていないマンガのキャラソンのボーカル録音というのは、キャラのイメージがまだ明確になりきっていない状態で実施されるわけであるが、黒沢さんは(ボイコミの収録が別途あったにせよ)なんとなく歌うことなく、まだ世に現れていないキャラの人となりや、それに伴う発声を正しくしたいという意思を持っていて、さすがだなーと思ってしまった。さすがだなーとか思っているうちは、自分はまだ意識が低いわけであるから精進である。エンジニアの増田さん東宝スタッフの皆さんもお世話になりました。

 

 

無題

 気づけば人生で一番長く住んだ街が京都になってしまった。三代住んで初めて京都人になれるみたいな話もあるが、自分は元々大学進学でここに来ただけであり、地元ヅラをするつもりも別にない。そもそも転勤族の家庭に生まれた自分にとっては明確な地元意識すらもあやふやで、土地に対してのアイデンティティが宙に浮いてしまっているのである。

 中学2年生のテスト期間、明るい時間にいきなり父が会社から帰ってきて、ベッドに倒れ込むやいなや「釧路や・・・」と嘆いていた時の様子を自分はあまりにも鮮明覚えている。それ以来父は単身赴任になった。そしてそのことは、家族における悪い意味でのターニングポイントになったのである。

 自分の人生はどうも父の逆張りみたいな部分が多く、絶対に自分の住む場所を自分で決めたいという変なこだわりがある。会社の都合で(場合によっては望んでいない)土地に否応なく行かされ、息子が大人になる過程を見ることすら許されなかったことの理不尽さみたいなものに対して妙な強い抵抗を感じているのである。

 この京都という土地は、自分が人生で初めて自分の意思で住んだ街である。今も、特にいなければならない強い理由がないが、自分の意思で住んでいる。昔、パソコン音楽クラブに頼まれて書いたコラムにて京都を出る時の心情を書いていたので今読み返してみるが、当時はなんとなく地元みたいなものを手に入れることに憧れがあったようである。今はどちらかというと、手に入らない強い”地元意識”の獲得に対してはどこか割り切っていて、オールが自分の手にあることを重視しているように思う。自分で選べていればどこでもいい。と言いつつ、京都を出るつもりは今のところない。

 

某日

 サヌキナオヤさんの個展に行く。自分は絵や写真の構図においてやたらとテレなのかワイドなのかを気にしてしまう節があり、特に人物が入ってくるものであると、ポートレートみがありすぎるとどうも苦手なのである(自分の今のアー写も信じられないくらい遠い)。サヌキさんの絵にはよく人間が登場するが、寄り過ぎている事はあまりなく、それを的にしたり、時には越える形で、妙に中距離を描いていることが多い。そうやって景色を見ている人なんだと思い、いつも嬉しくなる。挨拶したのち、”京都で活動してますよ感”をどれくらい出すか、みたいな話にちょっとだけなる。

 

三月某日

 トーフさんから連絡があり丸太町の交差点へ。びっくりドンキーと下のとんかつやを勘違いしていたらしい。どこも混んでいて結局とんかつ。tofubeatsレアグルーヴTONKATSU KUITAIZE(2009)は幾度となくリマスターされているのである。

 メトロでTTTB。色々あって朝方にトーフさんとB2Bをする珍しい展開。そして色々あってメトロから出られず、ずいぶん遅くなってから帰宅。

 

某日

 京都タワーの地下でDJ。一般のお客さんが過半数を占めるような場で音楽をかけるのは楽しい。トラックメイカーもDJも本質的には裏方業務の要素を多くはらむ。気の散りやすい自分にとって、5分も目を離せば内容が追えなくなる映画のようなフォーマットよりも、ぼーっとしていても置いていかれないエンタメであるという点で音楽は向いている。

 

某日

 自分の出来事に対しての自分の感想を持つ。これはわかりやすく、かつ他人に奪われようがないので、大事にすべきである。日記が良いのは、常にそうであるからである。問題は他人の出来事と、他人の感想にどう向き合うかである。最近のインターネットは大体が常にそうである。

 センセーショナルな、特定の他人の出来事に対しての、代表的な意見、みたいなものには疲れてしまう。普通に暮らしていたら、めいめいの人生のトピックはバラバラであるべきであるから、みんなが同じ話をしているというのはそもそも不自然な状態なので、是正すべきと常々思っている。自分にとっての、自然なバラバラ、というのを目指す方策が、音楽を作ったり、日記を書いたりすることである。

 しかしながら世はそもそもそういったバラバラを求めていないと痛感する場面が多い。昨日見た月9ドラマの話を次の日にみんなでする、みたいな機能が常に求められている。ネットフリックスの話題作で盛り上がりたい人間に、私的な出来事について日記を書いてくださいよ!とか音楽を作りましょうよ!みたいにいうことは、余計なお世話のように感じられるので憚られる。しかしそうあるべきであるとも思っている。それが今の悩みである。

 

某日

 阿佐ヶ谷ドリフトで店長海太の誕生日を祝うイベント。ドリフトは若いお客さんが多い。面白いパーティを催すのはいつだって難しいが、海太はそのへんいい感じにやっているので、店長業が向いているんだろうなと思う。終わった後コーラスプラッシュに飲みに行こうと誘われるが、疲れていたのでさっさとホテルに戻って寝てしまった。

 

4月某日

 テクニクスカフェでトークイベント。ホムカミ福富と1時間くらいレコードについてトーク。自ずと学生時代の話になるので、過去を振り返る羽目になる。トークの最中、二十歳ごろまでの自分は「玄人でありたい」というキモい自意識に苦しめられていて、過剰な玄人像によって自分の首を絞めていたことを思い出すのである。

 音楽好きを名乗る以上、十二分なリスニング量があるべきで、当然のように家にたくさんのレコードがあり、当然のように楽器が弾けて、作曲の知識があり・・・そこまで言って初めて音楽が好きなことを他人に自称しても良く、そうでないなら知識だけある童貞のエロ博士のようなものである、という誤った呪いを己に課しており、高校の時にはギターの練習をしていたがそのことは友人には言わず、文化祭でバンドやろうぜ!みたいなノリを冷笑し、大学入学時は自己表現をしている人を、「あ、アートの感じすかw」と小馬鹿にするといった救いようのない感じであった。福富をはじめとする、京都での良き出会いによって、(彼らが直接的に自分になにかをしたわけではないが、)正しく音楽を楽しめるようになったわけである。しかしそのキモい自意識ドリブンの努力が今の自分の礎になっているのも事実であるからまさに人生という感じである。

 初めて買ったレコードの話になる。「記憶が正しければ”Teenage Fanclub - Bandwagonesque”であるはずだが、家で見つけられなかった」という話をしたら、福富が「有村んちに行った時に借りパクした」と言い出して、その10年前の記憶がまざまざと蘇って来たのである。記憶とのリンクは物理メディアの魅力である。みんなレコードを買おう!(ちなみにその時”オノマトペ大臣 - 街の踊り”も合わせてパクられている)

 

某日

 バイクに乗っている最中にどうやら財布を落としてしまったようである。財布に免許が入っているわけであるからもうバイクも乗れず、とぼとぼ歩いて帰る。ありがたいことに交番に届いていたが、車に轢かれまくり、全てのカードがぐにゃぐにゃになってしまっていて何もできず。

 

某日

 川辺くんが弾き語りのライブを京都でやりたいというのでイベントを企画。まどまミュージアムという古民家を借りて開催。自分はSP404での謎のライブをしてやんわりすべる。誘った幽体コミュニケーションズと川辺くんのライブはロケーションとの相性も非常によく良いイベントになった。ありがとうございます。

 イベント後に姉妹という居酒屋で飲む。幽体のメンバーも全員来てくれてゆっくり喋る。それぞれの年齢と活動領域が絶妙に被っていないため面白かった。スマホを使ってATMから金が下ろせることが判明し、財布が機能停止している懸念も解消。川辺くんがそのまま家に泊まりにきたのでさらにだらだら喋り、一瞬ウエストハーレムに顔を出したのちに就寝。

 

5月某日

 EOUがいきなり家に来る。「ネオボッサ作りましょう」というので、意味がわからないままおれが思うネオボッサを適当に作って遊ぶ。近所の愛想が悪すぎることで知られるベトナム料理屋に晩飯を食いに行くが、想像をさらに越える愛想の悪さに2人で昇天。

 

某日

 大学でGOING UNDER GROUNDのレコーディングをするというので遊びに行く。あまり見たことがないくらい楽しそうに録りの作業が進んでいく。松本素生さんの歌が入った瞬間に一気に曲が完成してしまう様子に感動。自分は”曲のようなもの”がどこかを境に、はっきりと”曲”になる瞬間が本当に好きである。それはDTMの作業過程でも楽器のRECでも変わらない、フォーマットを問わない本質的なよさである。

 録り終わった後は雑談。メジャーからインディーズに戻るまでの過程の話をしてくれる。話の内容が個人的にあまりに熱く、地元の友達とずっとバンドを続けているということがいかにすごいかをまざまざと感じてしまった。話を踏まえると、録音した”爆音ノ四半世紀”という曲の歌詞が迫力を持って立ち上がってくる。他人と同じ船に乗りリスクを共有する、みたいな状態を自分は頑なに避けている節があり、だからこそそうしている人間に強く憧れてしまう。

 

某日

 WATARUくんに呼ばれ名古屋でイベント出演。日中にボートレースで大勝したBatsuくんに降りかかるイソップ童話のような出来事、イベント後にゲラゲラ笑いながらカレーうどんを食う。

 

某日

 イベント出演のため仙台へ。仙台とは妙に相性がいい。後にやたら会うようになる東北大学オーディオ研究部の皆さんらともここで。朝に行った中華では奇妙なグルーヴがあったように思う。来てくれた人はありがとうございます。

 翌日は観光がてら松島クルーズ。眠過ぎてところどころで気絶。

 

6月某日

 京大文学部にて、メディア文化学の講義。専門の化学分野で低空飛行した自分がミュージシャンとして母校で講義するとは珍奇すぎる人生である。ほうぼうへの悪口をカットした授業資料はこちら

 授業後半、「今振り返って大学時代にこうしたら良かったと思っていた事はありますか?」と聞かれ「もっと”音楽作ってます”と胸張って生活すれば良かったなーと思います」と答えたわけである。意図せずに、自分の口から勢いよく出たその言葉は意外であり、そしてめちゃくちゃ本心であった。前述の「玄人でありたい」というキモい自意識により人に音楽を作っていることを言うのが恥ずかしく、ネット以外の大学生活でほぼ音楽の話をしなかったことが自分の後悔なのである。振り返っても、学内ではマイナー趣味を大手を振って謳歌するサークルがたくさんあったので、さっさとそうすれば良かったのである。自主制作において、熟達している事は全く必要要件ではない。他人を小馬鹿にすることが一番よくない。下手くそは歌を歌うべきで、キモいポエムは書くべきである。とにかく他人の目を気にせず、自分の中から、文章や絵や音楽などで、何かを取り出す行為を身につけることが人生の助けになる、ということが、自分の一番言いたいことである。

 

某日

 パレスチナ問題に対しての意見がネットを飛び交っていて、ガザへの連帯の表明だったり、イスラエルをサポートするような企業の商品の不買だったりするわけである。

 我々のような音楽制作者にとってはイスラエル本社のwaves社が真っ先に思い浮かぶが、waves製品に対しての使用を差し控えるみたいなことも言っている人もいて、そういう考え方もまああって然るべきようには思う。

 とは言っても、我々が憎むべきは国ではなく、軍事攻撃を持ってして何かを為そうというポリシーや、それを以て行動する人間であろう。生まれる国は選べないが、ポリシーは(その環境が許す程度に)個人に委ねられるわけである。イスラエルという括り自体に向かって石を投げるのは、レイシズムポリシーそのものであるように思う。

 ついでに問われているのは、仮に(もちろんそんな事はありえないが)完全に正確な客観情報が手に入れられる状況下で、善悪の判断が自分にできるかという事である。頭が空っぽの状態でデータだけを渡されて、自分の信じる正しさみたいなものを元に、与する方針を決められるだけの脳みそが自分に備わっているか?と考えると恐ろしい。有識者の意見を聞こう、じゃあ誰が有識者なのか?無知な我々は有識者もまともに選べない。じゃあ野生の勘で・・・とするにも外れるのが勘である。関係ない国の関係ない争いに気を揉む必要はあるのか?みたいな意見もあるが、考えの射程はそのまま備えである。物理的にも精神的にも、短距離の出来事だけしか考えない状態というのは、なかなかに脆弱である。

 そんなことを考えながら、パレスチナのアーティストの音楽を探して聴いていたりしたが、創作物に触れるのは、その個人のポリシーに触れる事であるので、ガワのレッテルで判断せずに、個々人に目をむける良い意識づけになると思っている。それが綺麗事であったとしても!

Convex Mirror e.p.全曲解説

リリパ会場で販売したZINEの内容とほぼ同じです。ZINEはtypoなど多々ありすんませんでした。100部完売。ミスもそのままのデータは以下からご参照ください。

Dropbox - CM_zine.pdf

 

<はじめに>

 2023年春、色々なきっかけによって、新卒から働いていた会社を退職し、しばらくは音楽で食べていくことになった。自分の人生が転がっていく方向が、こんなにも予想のつかないものになるとは思っていなかったわけである。折角なので、この経験そのものをテーマに音楽作品を作ることにした。

 選択肢そのものは偶然降ってきたようなものであるが、それを受け方向転換をすることを決めたのは極めて能動的であった。しかし進む先の様子はいまいちよくわからない。そんなことを考えているさなか、街中のカーブミラーで自撮りしている人を見かけたのである。

 カーブミラーは見通しの悪い曲がり角に設置される。凸面鏡によって、曲がらずして曲がった先の様子を見ることができる。でもそんなに遠くまでは見えない。鏡であるので自分の姿も写っているが、ぐんにゃりと歪んでいて少し間抜けである。大体は支柱がオレンジであり、矢印と共に”注意”と書かれた札が取り付けてあったりする。そのなんともいえない姿になんらかのコミカルさを見出し、いたく気に入ったので、これをモチーフにすることに決めた。思いついた日にそのままリード文を書いた。そこから先は特に深く考えることなく、6曲の楽曲を制作した。

 人生とは数奇なもので、時には思いもよらない選択をすることになります。そんな時に、行こうとする曲がり角の向こうをカーブミラーが映し出します。でもその像は、若干歪んでいて、なんだか嘘っぽいし、進まなかった方向の景色を見せてはくれません。

 

 

<凸>

 コロナ禍の真っ最中、DJのBatsuくんとパソコン音楽クラブの西山くんの自分の3人で金を出し合い、大阪の淡路にいきなり配信用の物件を借りた。トマソンスタジオと名付けられたその場所は、自粛生活からくるストレスのはけ口としてふんだんに機能した。友達を呼んで、ガラクタを並べ、たいして音楽もせずに好きに過ごした。

 

 2020年5月16日(土)、トマソンスタジオの活動の一環として、配信イベント”Music Unity 2020″ のため、in the blue shirtのライブセットの配信を敢行した。部屋の一角の建てられたOSB合板をバックに、らしお(osirasekita)の演出アイディアのもと、siroPdの作ったVJ素材にのせ酒を飲みながらへらへら音楽を再生した。インターネットの開通が間に合わなかったため、有村私物のポケットwifIの貧弱な電波にのって、盛大な音ズレと共にその怪映像はインターネットに放たれた。

youtu.be

 今もインターネットにアーカイブされているその動画の中の自分は、あまりにセルフデフォルメされており、見返してもいまいち他人のようである。しかしながら、退屈であったコロナ禍において、過剰に楽しい体で振る舞う誇張した自らの姿に、現在のリアルの自分が、今だに引っ張られているような気がしてならない。カーブミラーをモチーフに選んだ理由の一つに、そんなトマソンスタジオの思い出がある。

 

1.Windfall

 EUが石油・ガス高騰によって恩恵を受けたエネルギー関連の企業にウインド・フォール課税(=windfall-profit tax)を課した、といった旨のニュースをふと目にした。"windfall"ってなんやねん、と思い調べると、風が吹いて落ちた果実を手にする、要するに棚からぼた餅的な臨時収入を表す表現らしい。気が向いた時間に起きて気が向いただけ仕事をする今の暮らしはまさに棚ぼた的であり、これはちょうどいい、とタイトルに採用し、曲を作り始めたのである。
 2023年の暮れにリリースした"Cold December”という楽曲にて、"You-Me / Heart-Beats / Stays with me”と歌われている部分の、1度の音に対してだんだんメジャートライアドの音が積まれていくアレンジをもう一回擦りたかったため、全く同じ手口をギターでやっただけという曲である。間抜けなほどに平坦なドラムマシンのシーケンスにギターをのせる、というやり口も好きで昔からよくやっている。


 本作の6曲中もっとも先に作り始めたわけであるが、ギターを録音するのがめんどくさいという理由で半年放置され、熟成した末に改善がなされたということもなくほぼそのまま進行。さらに元々ははEPの頭に「曲がり角で行き先を決めるためにコイントスを実施する」といった設定の短いイントロ用のトラックを収録するつもりであったが、天から小銭が降ってきたということにしてこの曲の冒頭にくっつけてしまった。横着の果てに完成した楽曲であるが、ボーカルエディットだけは随分と真面目に取り組んでいる。サビ以外は全メ口裏アクセント、サビは逆にほぼ拍頭にアクセント。なんとなく間抜けな感じを出したくて無責任に「Have a good time」と言わせている。小銭を拾って大喜び。

youtube

 

2.Close to me

 一切のmidi打ち込みを用いず、オーディオ素材の切り貼りのみで曲を作ろうという趣旨で制作開始。オーディオ編集のみという制限はもはや縛りプレイといった感じにすらならず、昨日はゼルダやったし今日はスマブラやろう、くらいの話である。とはいっても楽器を弾いて曲を作るのとは競技が違うのも事実である。とにかく、楽しく音楽制作を続けるコツは、飽きたら目先を変えることである。
 ヒップホップにおけるチョップ&フリップのような、刻んだ素材をシリアルに再構楽していくだけでなく、この曲のように全く関係のないサウンドをレイヤーしていくパラレル組みのスタイルの礎になったのはThe Avalanchesの諸作品であるが、参照元である初期の彼らと全く異なる質感でいろいろできるようになったのは最近の自身の成長である。全く異なるテクスチャの異なる、全く関係のない空間でなっているサウンドの素材を当時に鳴らすことはサンプリングミュージックの妙であると思っていている。メインのブレイクビーツとフィルのドラムサンプルは全く違う素材であるが、それを並べてスムースに聴かせたいみたいな望が常にある。

 『in my own way e.p.』収録の"in my own way”で3連系のリズムの混ぜ方の試行錯誤にハマって以来、『Park with a Pond』の"Forward Thinking”のように4/4拍子の最中に気晴らしに6/8をぶっ込んだりみたいな使い方をやたらとするようになってしまったわけであるが、今回も例に漏れずそんな感じである。毎回同じで芸がないため今回は16分のアコギのシーケンスも重ねて4/4のバイブスも同時にステイし、でも変なリズムとはなるべく感じないように、といった塩梅を目指した。

3.Boo-Boo

 イベント出演で福岡に行った際に立ち寄ったGROOVIN福岡店で、レーシングがどうのこうの、と書かれたレコードが売っていた。「カーブミラーつってんだから車要素があるといいよなー」と肥やしになればとなんとなしに購入したわけであるが、中身をみると盤面はホイールが模されたピクチャー盤であり、モナコやル・マンでのレースの実況とマシンの走行音だけがひたすら収録された狂気のレコードであった。そのままサンプリングするわけにもいかず放置。



 後日Star Slinger - Take This Upのもう少しバカっぽい版を作りたいなと思っていた最中、First Choiceの76年作"Gotta Get Away(From You Baby)”のサンプリングが可能であることを発見しかなりラフなカットアップにて作成。

youtu.be

youtu.be


 バカっぽい808ベースtrapからバカっぽい4つ打ちに向かうという構成は既定であった。4つ打ちの箇所をさらにふざけた感じにするための策を講じていると急にレコードの存在を思い出し、ヤンキーの暴走みたいにブーブーいわせればよいのでは?と思い立つ。Spliceで車の走行音を拾ってきてブンブン言わせてもいまいち面白くならず、不護慎なことに「car crash」というアホすぎる検索ワードで手に入れた車の事サウンドを散りばめることで所望の雰囲気に到達。
 メタ的にキッズが騒いでる感じにしたいという思いで"Nanny Nanny Boo Boo"(幼児向けのはやし言葉、べろべろば一的な)というループを入れてみたところさらにふざけた感じを醸すことに成功した。結果として子供がトミカ的なもので遊んでいるみたいな構図にできて満足。トミカにとっては子供は怪獣である。ブーブー!

4.Into Deep(what I need)

 “Close to me”でカットアップでのレイヤー遊びを済ませたので、今度は古き良きMPCスタイルのヒップホップ風チョップ&フリップでの制作。直球ブーンバップを作るのもなーと思ってドラムは16ビートに。刻んだウワモノは並べ替えるが重ねない。単純にグルーヴのことだけ考えていれば良いので楽しい。100トラックとか重ねるのが当たり前な昨今において、別に2~4トラックとかで曲が完成してしまうのだからすごい。
 J DILLA以降のズレたスモーキーなビート・・・みたいな話はもう自分からいまさらするまでもないわけであるが、ヒップホップのキック&スネアのズラしというのは本当に単純かつ深淵で面白い。ひと回し目のフックが明けてからやりすぎなくらいビートをヨタヨタさせたのち、メインのボーカルループがやや崩れて入ってきて、元々のパターンに戻っていくというルートを思いついてから、実際にいい感じになるまでグルーヴを調整するのはかなり楽しかった。
 クールなビートを組めるトラックメイカーはたくさんいるし、チョップ&フリップを得意とする人もまた然りであるが、じゃあそれにサンプリングボーカルの刻みをのせてどうにかしようという人間は世の中にそうおらず、この作風は人のいないブルーオーシャンといってよい。
 獲得した謎の作風というのはだだっ広い海である。そこに生き物がさっぱりいないのは、辿り着いてもたいした利得がないからである。しかしそんなことは特に気にせずに、その誰のいない領域を泳いで遊ぶ。なるべく深く行けるように繰り返す。必要なことはそれだけである。

 謎の正方形MVも作った。形状モーフを単純な編集のみで見せたかったが頑張りきれなかった。またやる気がする。

youtu.be

5.Place for Us

 ピッチアップされたボーカルをエディットして曲を作りまくっているわけであるが・その動機はなんなのかを考えるとかなり謎である。エディットに関してはカットアップが面白いから、でよいが、音程に関しては上げる必要はあるのかという疑問が生じてくるわけである。
 これに関しては2つの理由があり、単純に音色として好きだから、というのが、1つ目、もう一つは、音程を上げることで、様々なボーカルが持つ声色の違いというのが消滅して、ヘリウムガスを吸ったような似通ったサウンドに収斂していくことから、匿名性みたいなものが生じてくるのがうれしいからというものである。じゃあここで、なかなか似通ったいつもの感じにならなさそうなボーカル素材を選んでみようというのがこの曲のスタート地点であった。アカペラ素材ですらない、かなりソウルフルな声でがなっている男性ゴスペルシンガーの楽曲のライセンスを取得し、編集してメインのボーカルパターンを生成。狙い通り、どうピッチを上げ下げしてもいつも通りの感じにはならない。
 トラックに関してはHANDSOMEBOY TECHNIQUEの楽曲が持つバイブスを意識した。誤解を恐れずにあえて乱暴な語彙を使うなら、エモい感じにしたい、ということである。機械的なニュアンスを残したドラムとベース、古臭いシンセブラス。
 Special Place!と歌われており、じゃあ京都やなということで京都府と京都市と形状をトレースしてグラフィックを作った。転勤族であり、住んできたあらゆる街に地元意識があまりない自分にとっての唯一の拠り所である。モラトリアムを過ごした街としてのの神性はすっかり薄れてしまったが。

 

6.Over

 普遍的な手法かと思ったら、実はどちらかというとその時代特有のムーブメントでしかなかったジャンルというのは意外とあって、自分の中でのそういうものの一つがシューゲイザーである(異論はあると思う)。結局あれはMy Bloody Valentineとその余波でしかなかったんや、みたいなことを考えていたのである。そんな中、音を積極的にクリップさせる、いわゆる音が割れたサウンドを用いる最近のムーブメントと、かつてのシューゲイザーを、自分は似たような箱に入れて聴いていることにふと気がついたのである。
 人生に対しての不安や焦燥感、強い喜びや悲しみ、怒りなど、とにかくなんでも良いが、抑えきれない感情のアナロジーとして、過剰な音像というのは相性がよい。強い感情というのはいつだって頼されておらず、とにかく器から溢れ気味であるので、音量的にオーバーロードさせて歪ませたり、原型をとどめないくらいエフェクトをかけたりすることで、そういったフィールを想起させることが可能になったりするわけである。

 そういった”溢れ気味”の感じは、往々にして整頓されていない。タバスコをかけすぎて、元の料理の味がよくわからなかったりしている状態に自分は強い魅力を感じる。馬鹿でかいサウンドが突然後ろで鳴りだしたせいで、ボーカルがよく聴こえなくなってしまったみたいな、調和が乱れているさまはいつだって魅力的に感じる。昂って声が裏返ってしまう、怒りすぎて笑ってしまう、徹夜しすぎて逆に眠くない、みたいな感じを、若さからくる青さみたいなものを伴わせずにうまいこと出せたらな、と思いながら作ったこの曲で、EPは終わる。

アートワーク

 自分のやっているPotluck lab.という音楽制作のワークショップで知り合ったhyper thanks bomb経由で知り合ったシマブクという男に依頼をした。頼むのはこれが初めてではなく、2022年作「Park with a Pond」収録のシングル"Fidgety”のジャケットも彼が担当している。
 活動する上で、ユーモア成分というのは常々意識していて、とにかく何においてもシリアスになりすぎることが嫌な性分であるから、in the blue shirtの音楽や、それにまつわるものは、ある種の軽薄さというか、なんならうっすらふざけている感じが伴っていてほしいと感じている。そういう意味で、シマブクの独特のユーモアのあり方が自分は好きである。
 カーブミラーがろくろっ首のようにクネクネしている様は、ひょうきんさみたいなものを多分に含んでいる。なんとなくどこ向いてんねん、と突っ込みたくなるような感じもよい。加えて、これまでなんとなく青っぽい(青面積が多いグラフィックばかりを使ってきたので、今回のこの赤さは新鮮である。一方で、彼が何を思ってこれを作ったのかの話はいまだにちゃんと聞いていない。

 

無題

 ほうぼうで"みんな音楽を作った方がいい"と説いているが、説くからにはやはりその理由を考える責務があるわけである。「その心は?」と問われたとして、「みんな違うからです」というのが暫定回答である。ここにおける音楽は別に音楽でなくてもいい。みんな違ってみんないい、みたいな話は、たいして何も言えていない月並みな視点であるようにも思えるが、正直これに尽きるのである。

 学生時代のマゴチネサウンドシステム(溜まり場となっていた友達の一軒家の通称)、少し大きくなり関西の電子音楽シーンやマルチネレコードなどから始まり、いまに至るまで音楽を作って聴かせ合う遊びをずっと続けた結果、自分の抱いた感想は「みんな違いすぎるやろ」というその一点である。パソコンで、任意の時間軸に任意の音を配置するだけの遊びで、かくも差が出るのか。考え方から、作り方、完成品に至るまで何もかも違う。上には上がいる、といった優劣の話ではなく、ただ違うだけである。そんなことを、心の底から認識したのである。

 個々人の顔とか、体つきとか、声が違うように、曲を作らせると全然違う。その事実は、世の中に蔓延るしょうもない成功の尺度みたいなものからおれたちを解放してくれる。違いすぎて定量化が不可能であるため、比べる目的が優劣ではなくなるからである。比べる目的は、自分と人をよく知るためになる。人と違っても楽しいし、人と同じような部分を見つけるとそれはそれで楽しい。練度を上げると、ますます違いをよく認識できる。自分は、音楽を通じて、自分のことと人のことを相対的に理解するツールを獲得したのである。

 このコンセプトさえわかれば、別に音楽でなくてもいい。 要するに、あらゆる性質を個人に帰属する訓練をすればよい。関西人はおもろい、とか東京人はおもんない、とか言っているうちはド3流であり、われわれが判断するのはそいつ個人がおもろいかどうかだけである。そしてどのみちみんな違うから、そこに優劣はない。

 みんなの部屋を見てみよう。かくの如く、どの部屋もバラバラである。あいつの部屋は整頓され、おれの部屋は散らかっている。比べる目的は、自分と人をよく知るためである。ああおれは(物理的にも、精神的にも)散らかった人間なんだ!ざまあみろ!!

 ここまで来ると、性差別や人種差別などの類や、戦争にしても、反対する理由は明確である。それらは個人に帰属するものを奪い去るからである。だから みんな音楽を作った方がいい。みんな違うから。音楽を作り、それに自らをレペゼンさせろ!

 

1月某日

 渋谷asiaで出演。らむこくんとかillequalくんとかkegonくんとか人気の若手の中にほりこまれるという座組。safmusicさんに「昔有村さんのタイプビート作ったことあります!」といわれる。知らん間に不思議な立場になっている。25歳と30歳はあんまかわらないが、15歳と20歳は大違いであり、この等価とは言い難い世代間の時間傾斜のおかげでシーンのムードが変わっていくんだろうなーと思う。自分が5年がんばる、それはそれとして、その下でがんばった10コ下の5年がもつ青春の輝きみたいなやつは自分にはもうない。ないのにやっていることに意味がある。

 

某日

 サーカス東京でライブ。オファーのメールに「ギターを弾いてもらえませんか」と書いてある。書いてあるが、単身のマシンライブでギターを弾いてよくなった記憶はなく、あまり気はすすまない。気は進まないが要望には応えたい、ということでゆnovationに連絡して一緒に演奏してもらえるようにお願い。

 ゆnovationの曲の中でも好きなroki storeと、ただ関係なくカバーしたかった慰安旅行の2曲をアレンジし直してデータを送る。難しい要素を排除しているのでぶっつけ本番でいいかと思っていたら、「ちゃんと練習しましょう」と連絡が来る。

 急遽翌日に西浦和のスタジオにギターを持って向かう。楽器持って新幹線に乗るとミュージシャンになったような気持ちになる。楽しく練習。

 ロイアルホストで晩飯を食っていると、いたく荒れたseaketaが酔った状態でやってきた。人間そんな日もある。のべの運転で西川口のホテルまで送ってもらって就寝。

 翌日朝に渋谷に移動。友達ばっかで楽しいイベント。話す機会のあまりないphritzくんとゆっくり喋ったり、サンドリオンのアレンジで一緒だった星くんに会えたりしてうれしい。急にラスオダがきたり、ゆいにしおちゃんが見にきてくれたりとちょっと予想外のうれしさも。

 

某日

 ボーカロイドのゆくえ、という若者がやっているボカロのコンピのリリースイベント。様々な理由から急に3曲も初音ミクの曲を作り、どれも結構気に入っているが大して跳ねることもなかったわけであるが、こうやって新しい出会いもある。

 皆を見ていると昔自分がマルチネの界隈に合流したり、トレッキートラックスの面々と出会った時の頃を思い出す。インターネットで面白い音楽を作っている人をみつけ、イベントに行くと次から次へと友達が増えていたさなか、「この世には音楽を作っている気の合うやつが無限にいるんだ!」と浮かれていたわけであるが、それは気のせいであり、その短い期間に登場した有限のメンバーとの関係を大事に大事に、いい意味で変わり映えしないメンツとかれこれ10年近くやっている。

 ランキング上位になれば一度スターダムにのしあがれるほどの巨大イベントになったボカコレという名のランキング形式の楽曲投稿イベントが若きボカロPに与えた影響は大きく、次から次へと才能あるミュージシャンに光が当たるので、おそらくボカロ界隈でも昔のおれのように数多の出会いに浮き足立つ若者がいるであろう。しかしながら人材は有限であるのが現実である。有限であるからこそ一生遊べる友達ができるともいえる。ボカゆくで出会ったみんながずっと楽しく音楽をやれれば良い。

 

某日

 メトメさんとの焼肉のさなか企画されたイベントがソーコアで。身近なメンバーの前でやるほうが逆に緊張したりする。おれたちはもっと焼肉に行ったりそのメンバーでそのまま音楽をしたりしたほうがいい。いろいろな人が来てくれる。バンタンで教える林さんと授業資料トークをしたり。

 

某日

 美学校での音源視聴イベントサウンドシェア。美学校のスタンスとおれのやりたいことがいい感じにマッチしていて毎度楽しい。ロケーションの性質なのか、本当に老若男女と言った感じ。

 一応初心者向けという建て付けの会であるが、「なに考えながらこの音楽作りましたか?」ときくとみんなよく話してくれる。来場者全員が5分ずつくらい強制的に自分語りをさせられるわけであるが、これよりも楽しいことはないのではとも思える。

 世の中の重力は基本的にあるあるを探す方向に向かっているので、〇〇の音楽を聴くやつは大体こんな格好してるwみたいな抽象化がおもしろがられるのは自然であるが、資本的な利益を生み出さない創作に意味を持たせるにはそれに逆行する必要がある。自分の趣味嗜好それ自身は技術の巧拙によらず、常にオンリーワンであるという事実は積極的に自覚していかないといけない。要するに、ほら、みんな違いますよね、だから音楽作って人に聴かせましょう、ほら、みんな違うでしょう?を繰り返しているだけである。おれはそれで人生足りている。

 

某日

 神戸でイベント出演。JRが止まってしまい到着に2時間半かかってしまった。

 seihoさんと久しぶりにゆっくり話す。 seihoさんと共演するたびに「界隈のお仲間はseihoを許すのか」的な旨でネットに直接名指しで批判的に書かれたりするわけであるが、それに関しては活動を再開する上での声明の足りていなさはあるとは思っていて、その点はseihoさんが悪いと思っている。同時に、事件に関しておれから直接言えることはなにもない。2023年にシエスタでイベントをやった時に、seihoさんから遊びに行くわと連絡が来たので「めんどくさいから来ないでくださいよ」とやんわり出禁にしたこともあるが、人様のプライベートの行動をおれが制限すんのかよという意味でも、いまだに正しかったかどうか思い出して悩んだりもする。

 イベント後に輪になってひたすら音楽の話をしていたらすごい時間が経ってしまい、急いで終電で帰宅。みんな同じようなことで悩んでいる。

 

2月某日

 ホームカミングスとくるりのライブをKBSホールに観に行く。達者にMCをするくるりに対して、なるみさんが最後なのにろくに話さないホームカミングス。演奏後に肩に手を置いて電車みたいに連なってはけていくホムカミ一行をみて胸が熱くなった。いい演奏でした。

 

某日

 ホムカミライブアフターパーティに出演。

 リハの時に脚立が置いてあり、ハコの機材かと思ったらSummes Eyeの夏目さんのステージ道具であった。「有村くんも使っていいよ」と言われたがおれに脚立を使いこなしてステージをよくする技術はない。昨年森道市場に出演した時に、遊園地ステージでかましていた2組のことを思い出す。Summer Eyeと、掟ポルシェさんである。遊園地ステージの演者と客が遠い特殊な構造において、夏目さんは柵に上り、掟さんは下に降りていた。できる男は上下を使う。

 開演と同時にたくさんのお客さんが来る。いい雰囲気である。ドラムのなるみさんがこれで卒業であるので、出会った当時のことを思い出さざるを得ない。

 おれがインディロックを7インチでかけ続けるイベントをやっていたところに遊びに来たのが福富畳野であるが、その時点で2人とも少しでも音楽を続けたいと意思が割とはっきりとあって、一方で福田さんとなるみさんは以上でも以下でもなく大学の部活といった感じであった。モチベーションが揃っていないバンドの末路なんて、大体は素早い解散か、メンバー変更である。しかしそれがそのまま続くのである、10年も!

 普通は望んでも10年もバンドなんてできないわけであるから、結局4人とも才能があったわけである。一方で一生は続かないのがバンドでもある。就職はどうするんだ、いつまで続けられるんだ、上京するのか、と辞めてしまうにちょうどいいチェックポイントはいくつもあったはずなのに、すべてを超えてバンドで10年ドラムを叩き続けた姿は、規模拡大の意思が全くなかったのにいま音楽で食っている自分と重ねてしまう部分もある。おれの記憶のホームカミングスはいつまでも昔で止まっていて、演奏が下手であるから、いつ見ても今の現実のプレイのタイトさに驚かされる。無理もない、おれがパソコンをいじっている間に、4人はずっと弾いてきたのである。

 福富畳野はベロベロであり、畳野は後半ずっと泣いていた。福富は「最後にかけたい曲があるんですよ」といい木村カエラのリルラリルハをかけていた。

 なるみさん本人に「もうしばらくは全然ドラムやんないの?」と聞いたところ、「いつ呼ばれてもいいように練習はしとく」と返された。そんな素晴らしすぎる回答がずばりくると思っていなかったので、「そうか〜」みたいなリアクションになってしまった。

 音楽に始めるとか辞めるとかないですよ、程度の問題です、みたいなことを常々言い続けているのは自分自身であった。音楽はやったほうがいい、やれる分だけ!

パレスチナのグッドミュージック

なるべく金払えそうなリンクを貼るようにしています

7ajee - SAMA' 

Popular Art Centerに保存されているパレスチナ民族音楽をサンプリングして制作をする企画 'Electrosteen:' という企画の1曲。全曲いい。

youtu.be

 


Muuden (Sama’ Abdulhadi Remix)

おれが紹介するまでもないパレスチナのテクノDJのエースのリミックスワーク。

 

 

Asifeh - 2003

ラマッラーのラッパー、ビートメイカー。美しい

 

Elos Byuri - Scene 1: Crossroads

ラマッラーのラッパー。UKドリルっぽい雰囲気あるけどビートはまた違うフォーマット。

 

Arhan Afndy - Tale of a Merchant

バークリーで学んだマルチルーツのミュージシャン。アラブ文化と西洋音楽の絶妙な距離感のことを考えたりしてしまう。

 


E R R O R - TEAR$ OF THE DEAD

 トラックがどれも面白い。インスタは何故か全部顔面モザイク(シリアスなのかユーモアなのか空気感すらもいまいち捉えられない)。

 

Masta Shifu- THE KEEPER

紹介した中では一番おれに作風が近い。チョップ&フリップでのインストアルバム。素晴らしい。

 

 

Firas Shehadeh - Vortex

詳細不明。良い作品。なんとなくインスタフォローした。

 

BOUNCYDUCK - childhood memories

 BOUNCYDUCKは多作。聞ける範囲ではこれが一番好き。

 

Bahal Amma - Bahal

metalタグついてるけどなんか独特。

 

 


Bassam Beroumi - Circus

ポップスなんやがやっぱスケールの感覚とかが自分の日常外なので聴いてていい気分になる。

 

Ghost of Myself - Ethereal

アーティスト名からしてかなりいい。サウンドスケープ

 

無題

 最近色々と考えを整理していると、自分の音楽遍歴というのはつまるところ選択の自由を獲得する旅であるのということに気がついた。

 中学生、日本の音楽だけ聴いてていいんか、と思い、いわゆる洋楽を厨二マインドで聴こうとする。わからないので本屋でロッキンオンを読むと、「オアシス、グリーンデイ、レディオヘッドが最高」みたいなことが書いてある。まだ閉じている。とりあえず雑誌でフィーチャーされているバンドを順番に聴いた。高校生、西宮北口バーミヤンでバイトをして、その月数万円の金によって少し開かれた。横のブックオフでいわゆるロックの名盤を安い順に片っ端から買って聴いた。感動はするが、まだしっくり来ない。18歳の時に初めて自分用のPCを買い、インターネットによりまた開かれる。知らない電子音楽が沢山あった。ここでmyspaceやサンクラを通じて、市井の人によって作られた、大量のベッドルームミュージックに遭遇し、ここでようやく、これがおれのための音楽だと強く感じた。それに倣って今がある。インターネットは手に入れられる情報量をブチ上げたブレイクスルーそのものであり、自分にとって選択の自由の象徴みたいなものであった。

 選択するには聡明である必要がある。おれはなにが好きで、なにに興味があるのか、社会において何の仕事をすべきなのか?誰に投票すると世の中が良くなるのか、次の休日は誰と遊べばいい?全ては選択である。時には望んで、時にはやむを得ず。

 正しい選択のため、すべきことは聡明さの獲得、となる。となると果てがなく、これはまた難しい。

 逆に最近のインターネットというのは選択の自由を毀損する仕組みばかりである。threadsも、Xも、選んでもいない人間の発言を読まされるし、選んでいない情報を与えられる。選択をすべきはずの人々は、インフルエンサーにその選択の権利を委ね、「〇〇についてどう思いますか?」と尋ねている。買おうと思う少し前に商品が提示され、選んでもいない怒りを覚えさせられる。選択の自由をおれに教えたはずのインターネットが、おれからそれを奪うなんて!

 自分がDJを好きなのは選択そのものだから(ここでは技術の巧拙を競うようなものは除外する)である。選択、というのは深淵で、聡明なものにはどこまでも開かれた娯楽である。要するに、よいDJとは聡明であると言ってしまってよい。聡明でないと選択なんてできないからである。「DJなんて他人の曲をかけているだけでしょう?」という質問、その通り!いきなりステージに上げられて、「いい感じにしてください」と言われてもたまったもんではない。既存のものの中から好きな音楽を選んで、並べて、いい感じにしてください。その自由度の程度こそがちょうどいい。なんて面白い、これには一生飽きない自信がある。

 音楽を作るのもそうである。DJよりその構成要素の粒度が細かいだけである。選んで、並べて、いい感じにする。カットアップ&エディットは、自分にとって選択の自由のシンボルである。この世の八百万のサウンドそれ自身が、また曲を作るための素材となる。スケーターにとっての街、おれにとってのサウンド。全ての音が材料であるだけでなく、作った料理を再びミキサーにかけ、さらにまた料理に使う。このメタ構造(うんこを食べて、また新しいうんこができる!)はとんでもなく自由である。これによって、かつて自分がそうさせられたように、他人に選択の自由を提案できることも知っているのである。

 

某日

 ソーコアファクトリーでDJ。なんかpaperkraftとかとメトロとかで明るいだけのパーティやりたいなーとかぼんやり考えたり。

 

某日

 hyper thanks bomb氏が上京するというのでそれにかこつけて焼肉。メトメさんとtsumasakiさんも呼ぶ。「みんな一回集合して焼肉とか行ったほうがいいんすよ」という自分に対して「ソーコアでイベントやる?」とメトメさん。1/19。みんな来てください。焼肉オファーも待ってます。

 

11月某日

 JR西日本のプロモーション企画のロケ。同行した、エベレストに登頂経験がある写真家の上田さんはよく喋り、話が面白い。自分もよく喋るわけであるので、全日程しゃべりまくりの刺激的な仕事であった。

 

某日

 町内会を悩ませるカラス対の策を講じる会議が週末にあると知らされる。残念ながらその日は岡崎市にいる。出席できない旨を伝える。これがのちにライフワーク(?)となるカラス当番の幕開けを告げるものであったことは知る由もない。

 

12月某日

 岡崎ひかりのラウンジにてイベント出演。ひかりのラウンジは無くなることが決まっているため、おそらく立ち入るのはこれが最後であろう。到着するや否や、fri珍さんに「トルコ絨毯を買わないか」と尋ねられる。この世には彼のように屋根も空調もないハコを運営しながら、ふと立ち寄ったトルコで大量に絨毯を買い付けてしまう人間もいるのである。「小さめのもあるよ」と言われる。絨毯はいつだって欲しいが置く場所がない。

 BBBBBBBもEOUもそうだが、岡崎出身の若者は面白い。その面白さの一側面を育んだのはこのひかりのラウンジとも言えるが、何をやったかというと場所を与えて自由にやらせただけである。どうしようもない演奏をしたバンドに店長がどうしようもない説教をするだけなのが凡庸な地方のライブハウスなのだとすると、どうしようもないを通り越した珍妙な音を出したところで何も言われない雰囲気があるのがここである。かくあるべき、という規範を取り除くのは想像以上に難しい。というか、規範を取り去るということはクオリティコントロールをしないことであるとも言えるので、儲けるのが困難になるということでもある(ここでも儲かってないといっている)。オルタナティブスペースがちゃんとオルタナティブであった貴重なベニューであったわけである。箱は無くなるが、ここで育まれたおもしろ音楽は続く。

 終わった後にこのみやくんとシソくんとレンタルチャリで三河安城へ。スタンドバイミーみたいな気分になるが、おれの終着点はアパホテルであった。

 

某日

 町内会を悩ませるカラス対の策を講じる会議の結果、カラス当番を持ち回りですることになったらしい。おれの担当は3月と7月である。当番なんて普通に働いている奴はどうするんだ、と思うが、普通に働いているやつ(というかアンダー40代自体が)はこのエリアではマイノリティである。決まったからにはやるしかない。無賃労働を通り越した、会費を徴収された上での労働。資本主義を超えていけ!


某日

 映画VORTEXを見る。自分にとってはやはりディスコミュニケーションについての映画であると感じた。たまたま老いや病気がトリガーになっていたが、そのへんのきっかけはまあなんでもいいのである。誰が悪いとかの理由ではなく、ディスコミュニケーションによって不和がもたらされ、その不和によってどうしようもなくなってゆく様をあまりにまざまざと見せつけてくるので、自分の過去のいろんな記憶とリンクして少し苦しい気持ちになってしまった。最後は死ぬ。死によって不和は解消される(感じ手自身がいなくなる)が、それをどれくらい肯定的に捉えるべきかわからんなと思った。あとやはり人間の尊厳は本当に明後日の方に宿るので、他人からは意味不明である。

 

某日

 久しぶりに自主制作の作品を入稿する。初めて冬をテーマにしたし、初めてストーンズ太郎と一緒に作った。自主制作は最も人生に必要なことであるが、資本主義的には一銭の利益ももたらしてくれない。雪の積もった京都の映像を編集している。今年、京都に雪は降るのだろうか。Cold December e.p.聴いてくれると嬉しいです。

 

某日

 かつておれの特集を書いてくれた京都新聞の松尾さんに誘われ飯。半分は政治の話。政治の話をする用の若者としておれを使う人は人生初。その他の最近の動向とか諸々聞かれる。雑談と情報収集をいい感じに混ぜるその感じはさすがベテラン記者という感じ。あとおれがちくまで書いた金井美恵子書評などを褒められる。文章を評価されるのは普通に嬉しい。

 

某日

 久しぶりに神戸でDJ。JRで人身事故があり到着するのに2時間以上かかってしまった。地元のようで地元ではない不思議な距離感の街。のちに岡山でイベントがあるトーフさんも来ていろんな人と喋る。若者からすると相対的に"売れてる人"として接されることが増えた。音楽で生活してはいるが、いわゆる売れている状態には程遠い。センタープラザの地下の謎の韓国料理屋で晩飯。うまかったが量が多すぎた。
 JRでまた京都に帰ってくる。0:32。めんどくさいのでタクシーで帰る。知らないBUMP OF CHICKENの曲(多分)がかかっていた。いい曲であった。
 ついでに京都メトロに寄る。リカックスと久しぶりに会話。「退職芸良かったよ」と言われる。「芸能を副業にする」「隙を作らない」と宣言していてなんか良かった。太郎とは身の上話をして帰宅。太郎リカックスは同い年であるが、我々に共通する特徴を強いて言うのであれば、真面目で、なかなかに根性があると言う部分な気がする。

 

某日

 家が寒すぎて何も手につかない。暖房器具を調べる。

 1Fと2Fどちらにも導入するのは難しい。電気毛布を買うことにする。おすすめ商品的なのを検索するが、やはり今のネットはこの手の日用品の良し悪しを調べるのはなかなかストレスフルである。本当に使ってんだかわからんやつの謎の商品比較動画たちは時代の産んだ謎の存在である。迷ったら高いやつ。17000円の電気毛布を購入。

 

某日

 武田(ドラマー)がおれの家に置いていたムスタングベースを取りに来た。「年末になると家に山盛り届くから」と言う理由でデカいブロックのベーコンをもらう。明日から毎日ベーコンである。ブロック肉の正しい取り扱い方はあまりよくわからない。

 

某日

 久しぶりの岡山。池宗さんに久しぶりに会う。「仕事辞めたんけ?思い切ったなあ」と言われ、「はい…そっすね…」と答える。「でもやれちょんやろ、がんばれや」。この絵に描いたような岡山訛りを聞くと安心する。呼ばれたイベントは思ったよりオタク寄り。みんなデジキャラットto heartの話をしている。我々はまごうことなき"オタクのおっさん"になってしまった。
 箱のスタッフに「前きたの19年くらいすか?」と聞かれる。正解。みんなよく覚えている。岡山人脈はじわじわと色々なところで躍動していて、ありがたいなと思う。
 池宗さんの奥さんが2時くらいにやってくる。息子さんは高専に入学されたそう。「有村くんみたいになりたいと言っていて・・・音楽にも興味があって・・・」高専は本当に素晴らしい進路なので頑張ってほしい。一方年度いっぱいで理系人材としての価値が消滅する自分を思うと悲しくなる。とは言っても、確かに理系のシマで暮らしていない人にとっては、自分が知人の中で一番イメージしやすい理系なのであったりするのは理解できる。誤ったn=1のサンプルである。
 3時くらいには丹生さんがくる。「のんじょけやあ」と言われテキーラ。「うちんとこのオタクは結構オタクじゃろう」と言われ、「はい…そっすね…」と回答。オタクに優しいタイプの豪傑。「震災ん時有村くん幾つや」「3才すね」「その頃神戸で働きよってのお・・・」初耳。そこから映画館買い取ってクラブやるんだからすごい。いいクラブにはいい若者が育つ。
 最近はよく”オタクさ”の是非について考えさせられる。自分のここ10年は、言ってしまえばオタクの悪いところをなくす戦いとも言って良いかもしれない。

 イベント終わりに「朝に空いている美味いラーメン屋があるんすよ」と言われ連れて行かれる。透き通った煮干しスープ。確かにうまい。朝7時の新幹線に乗車。最近は岡山市内に来るたびに毎度宿泊せず半日程度しか滞在していない気がする。新幹線で気絶。奇跡的に新大阪を超えたあたりで目覚める。

 

某日

 起きたら7時。得した気分。ごねまくった末にようやく発行された適格事業者番号を確認するためにe-taxにログイン。safariでしか開けないことに毎回微量のストレスを受ける。適格事業者番号を会社に連絡。これでやっとパナから金を受け取れる。ネットのインタビューで綺麗事ばかり行っている自分のリアルは金のことばかりである。授業の準備とメール返信。年内また数件打ち合わせを組まれた。今年はもう働きたくない。
 大学に移動。学生の卒業制作の制作計画書にサイン。ちょっとおれが手伝った感が出過ぎているような気がする。他の先生にはどんな印象を持たれるだろう。
 学生に「今日帰り牛丼屋とかよりますか?」と聞かれる。意図がわからず、「腹減るからなー大学帰り」みたいな適当な返事をする。話を聞くと要するに飯に行きたいということであった。「面倒なので、烏丸御池まで来るならいいですよ」と答え、結局学生が2人烏丸御池までやってくる。やる気(安めの焼き肉チェーン)連れていけばいいか、と思ったら月曜定休で、たまたまその裏にあった町屋イタリアンみたいな店に適当に入る。
 店内は20歳前後の学生カップル的な人が5組ほど。歳は変わらないが、こちらはクリスマスにイタリアンを予約するみたいな行為とは縁遠き?2人を連れている。邪魔してしまったカップルたち、すまん。

 

某日

 パナソニック出社日。年明けに納品する成果物の内容の確定作業。我ながらちゃんとやったと思う。サラリーマンじゃなくなった結果、よりソリッドにサラリーマンワークをするようになるのは面白い。
 会社にいると、珍獣見学のようにいろんな人が会いにきて、最近どうなのかを聞いてくる。「忙しいっすけど楽しいですよ」という。会社の人間はおれが貧困に喘いでいると想像している人が多いように感じる。サラリーマンの年収がまるっとなくなったその翌月から普通に生計がたっているイメージを持つのは確かに難しいよなとは思う。不安はあるがなんとかはなっている。
 来年週休3日で社員雇用する話が出る。「ぶっちゃけ週4も会社で働けないすね・・・」みたいに答える。いい身分になったものである。
 一旦帰宅して準備したのちに東京へ。せっかく渋谷以外での出演なのに、下北沢の欠点は渋谷を経由しなければいけないところである。
 BASEMENT BARに到着。いまいち27日が世間一般的に仕事がおさまっているのか、年末年始のカテゴリに入れて良いのか微妙であり、そんな日の深夜イベントであったので、ガッツリ年末感みたいな感じもない不思議な空気感。自分の出番はやたら盛り上がった気がする。ナイスパーティ。主催の谷ちゃんともかれこれ長い付き合いである。

 朝みんなですき家で飯をくう。livehaus組や他の箱の顔見知りと遭遇。下北っぽい。早朝宿泊プランみたいなのを一応取ってはいたが早く帰りたくて不泊。帰宅するためスマートEXで指定席を30分後の車両に変更。渋谷まではいけたが山手線で爆睡。1周半して東京駅で降りる。久しぶりに自由席か・・・と思いながら改札を通ろうとすると入れない。「年末年始は全席指定の運行であり、乗り遅れたあなたは座れる席がない」といった旨の説明を受ける。すっかり忘れていた。「一応連結デッキなら乗れますよ」と言われる。30時間くらい起きているので、立ち座りどころか今すぐ寝たい。「座りたければチケットを買い直せば良いですか?」と尋ねると「ひかりかこだまなら自由席があります」と言われる。しばらく待って7:57発のこだまに乗る。意外とガラガラ。気絶していたら京都。非常に深い睡眠。こだまでなかったら福岡まで行っていた可能性が高く、結果オーライである。

 

12/31

 nanoで平和に年越し。よくわからんけど年末感のあるDJができた。25時にイベントが終わったので取り合えずみんなでタクシーに乗ってシエスタにいく。
 シエスタに着いたはいいがラーメンが食べたすぎて大豊ラーメンへ。うまい。新年一発目の食事としてはかなりいい。航太さんに挨拶。その後ウエストハーレムに顔出したのち、初日の出までもうちょいですね的な会話を横目にしれっと帰宅。
 帰ったはいいがあまり寝られない。3時間ほどぼやっとしているうちに外がしらんでいる。いつ寝たかも覚えていない。

無題

某日

 パナとの業務委託契約初日。「あれ、帰ってきましたねえ・・・」などと所長やら部長やらに言われる。二重就労(複数の企業との雇用契約)を認めない仕組みにより、二択を課された自分は自らの意思で大学を選んだわけで、いってしまえばこちらは選ばれなかったほうである。にもかかわらず、IT系やコンサルなどの業態ではない、化学をバックグラウンドに持つ自分を、社員じゃなければええんやろ、と極論屁理屈みたいな方法で使ってもらえることは、個人的にいうと、”脱サラしてミュージシャン”なんていうもはや紋切り型の擦られたムーブよりも、よっぽど価値があることにも思える。

 会社からすると外部の人間を既存の仕組みの外で例外的に雇用するというのはリスクしかなく、リスクを取るに値すると一緒に働いていた人に思ってもらえることは、サラリーマンとしての自分に下された評価として本当に嬉しい。音楽業界っぽい誇張表現だと「シーンに風穴を開けた」とも言える。このシーンも風穴も世間からするとどうでもいいことであるが、前例ができたと言うことは、また社内でこんな感じで働きたい人が現れた時の道ができたと言うことでもあるし、逆にルールによって雇いづらかった人を会社が雇えるようになったとも言える。これは音楽で過去自分が達成したことと比較しても大きい。たとえ大企業にとっての、対外的な多様な働き方許容アピールのパフォーマンスとしての側面があったとしても、自分のために人がとったリスクというか、大袈裟に言うと勇気みたいなものを思うと、そんな役割は喜んで受け入れようと思う。

 

某日

 複数の学生が授業後にどかどかと入ってくる。申請をして教室を借りていて、みんなでライブDVDを見ると言うのである。なんのアーティストのを見るのか聞くとDUSTCELLだという。huezとかが演出をやっていたりなどしているので曲はもちろん聴いたことあるし、人気があるのは知っているが、自分がSNSでフォローしているような音楽ファンが何か音楽的な面で言及しているのをあまり見たことがない気がする。せっかくなので少し一緒に鑑賞。

 活動規模が大きいので、いわゆるデカ箱を意識したサウンドではあるが、UKやUSのダンスミュージックシーンのプロダクションと直接対応しているようには見えない不思議な作り(意味のわからない音楽を作っている自分が言うのも野暮ではあるが)であり、こうした作りの音楽が、まさにこうやって若者を夢中にさせていると言う事実を肌感としてあまり把握できていなかったのが事実で、改めて自分は10代の感覚を理解できていないのだと思わされる。

 「ネットばっかじゃなんもわかりません、やっぱ現場ですよ」みたいなことは教育現場にいる自分のポジショントークみたいになるので言いたくないが、最低限音楽のトレンドは追っているつもりであったのにこの体たらくであるので、もうネットありきでぼんやり俯瞰して、全体のムードを捉え、総論を述べるのは一部の天才を除いて結構筋が悪い時代であるのだなとは思う。

 自分の最近の基本戦略としては、2点と角度によって正確な位置を観測する三角測量の感覚である。スケールはさまざまで、理系の人間としての専門領域と、音楽の興味対象分野の2点の知識を持ってして、他分野の新情報に相対したり、インディロックリスナーとしての感覚とエレクトロニックミュージックのプロデューサーとしてのスキルを持ってして知らない音楽に向き合ったりとか、まあ要するに、自分の培った自信のある基準点との相対比較のみが、唯一の物差しであると言うことである。

 

某日

 気分を上げるために夕方にインスタライブをしながらECDのDirect Driveのブートeditを作る。テイトウワ氏のリリパで京都メトロ。途中でなか卯の親子丼を食ったのちに会場へ。neibissの2人にいかに世界のナベアツの3の倍数ネタが優れているかの話をする。理解はされたがおれのナベアツへの特別な感情があまり伝わった感じがしない。その後トーフさんが来たので、先日の中村佳穂さんと末次教授との話をまたすごい勢いでする。「うたって言うのは、みんなのものなんですよ!!!」とかいきなりいい出すのは完全にコミュニケーションに問題があるが、トーフさんにはその話を早くしたかったのである。こちらも自分の熱量が正しくデリバリーできたかは不明。氏は最近はDJ時などの撮影機材をGoProからDJI製品に置き換えてみたらしい。

 テイトウワ氏の出番が近づくにつれ楽屋や裏に人が増えていく不思議な日である。中塚さんのトーク以来のFPMの田中さんも来ていて、「最近はどうですか?」と聞かれる。その後HALFBY高橋さんも加えて喋っている最中、この並びは実に京都っぽいなーと思う。と同時に、隠さずに言うと、この京都ラインっぽさを正しく継承したいみたいな気持ちに、最近はかなり自覚的である。

 DJは時間のあやもあって変な感じの選曲。ともすれば軟派とも捉えられるような感じが自分にはあっている。逆張りでも順張りでもなく好きな曲をかける、みたいな当たり前のこと、自分のeditを1割くらい入れること、きめうちのライブセットと異なりDJの時はちゃんとその場で掛ける曲を考えること、逆にその場で考えるための補助として家で準備しておくこと、長い時を経て本当に少しずつではあるができるようになってきた。まじで少しずつ。メインではないが下手の横好きとしてDJも一応もう初めて10年になる。

 

某日

 朝9時ごろ帰宅、一瞬寝たのち前日のメトロの余韻を引きずりつつサーカス大阪へ。lil softtennisのリリパ。城北公園の焼肉屋で2人で飯食って以来。heavenの周辺の若者の面白いところは、先輩とか後輩とかの変なしがらみがほぼ感じられず、本当に友達だけでやってるところである。なのでプレーヤーも客も若い。オーバーエイジ枠として気まずさがないとは言わないが、自分を連れてきたテニスくんの心意気もぼんやり理解しているので頑張らないといけない。この前あったばっかりのvqくんとかaryyくんと雑談。

 かなりお客さんの反応見ながらのDJ。最後はigaくんの曲をかけて渡す。出番後にigaくんと雑談。「有村さんは鴨レ(鴨川レイブ、オタクのゆるいコミュニティ、鴨川で配信しながらDJしたり) の大将だと思ってるんで・・・」と言われる。会ったこともない10代のオタクに大将呼ばわりされる筋合いはないが、福井住みでいながらネットでぬるっとユニオンしていくその感じは自分の青春時代とリンクする部分も多く応援したくはある。

 終演後le makeupイイリと喋る。おれとかイイリの音楽のポップさの中途半端さっぽい話(と言うのは正確ではない気がする)をしたのち、どういう流れだったか「おれみたいなのが堂々としてる方が世の中としてよくないすか?」みたいなことを言われる。その通りである。悪事やズルをしている奴を除いて、全員が堂々とできた方がいい。

 PV撮影するからよかったらーみたいなこと言われたものの、眠すぎて終演後は潔く帰宅。

 

某日

 イベントの前乗りでひと足早く福岡へ。大智と焼肉屋で飲む。大学の同級生で、自分と同じで学部時代にさっさと留年し、周辺の工学研究科の卒業生の中でも珍しくさっさとフリーランスになった男である。

 大学時代の我々の悪いところというのは、ざっくりだらしなさ半分、もう半分はせねばならない、みたいなことに対する変な逆張り精神みたいな感じである。あとは謎の倫理意識というか変な理想論がある。それらの性質が良くも悪くも作用して、なんか知らんが自由業で生活している。

 大学の同級生に会う機会は大体誰かの結婚式であったので、コロナ前後はなかなか疎遠であった。くっちゃべること数時間。酔っ払いながら夜の福岡の街をゆく。大学の同級生の30代、基本みな立派なキャリアである。自分はインチキ枠として、なんかあいつ楽しそうだなみたいな感じを目指していきたい。

 

某日

 出演のため福岡grafへ。キースとセレクタ以外行ったことなかったので新鮮。プロジェクターに謎の縦線が入り込む、みたいなトラブル対応でひと盛り上がりしたのちに皆で一旦ラーメン屋へ。

 福岡は久しぶりなので楽しい。皆やたら酒を飲む。へべれけでライブセットとDJ 。MarbleくんがかけていたHALFBYのRodeo Machineのベースラインリミックスをはじめとする諸々が気になって色々教えてもらう。

SEGA NERDCORE GENERATION | Allkore

Stream 『Subculture BASSLINE EP3』Crossfade #SBE_1225 by FAIZ | Listen online for free on SoundCloud

 この曲がニコ動でミーム化していたこと、ブートを作ったのがTom-iくんなこととかも全然知らなかったし、FAIZくんとか3R2さんとか一緒になるイベントも決まっていて、なんか久しぶりにこういったネットレーベル黎明期みたいなノリを思い出す。やはり自分のdigにはムラがある。

 イベント終わりにキースフラックにいく。村瀬さんに挨拶をした記憶があるがかなり怪しい。ベロベロで親富孝通りを歩く。ハロウィンの週末であり変な仮想の若者とヤンキーが入り混じっている。道端で死んでいるとピスタチオスタジオのdiscordサーバーで酒癖の悪さをいじっていたはずのタンくんがきてくれてホテルまで連れて行ってくれる。持つべきものは優しい友達。いつ寝たかも覚えていない。起きたら枕元に2こ食ってもいないからあげクンが置いてあり意味不明であった。

 

某日

 templimeのリリパに出演するため東京へ。agehaなきいま、新木場に行く機会がこんなに早くやってくるとは思わなかったし、あと毎回思ったより遠い。

 1000キャパでのDIYイベントを主催するtemplimeチームの胆力は凄まじく、そして当日は運営兼プレイヤーとしてみなバタバタである。ゲストのパーゴル、tomgggさん、ソーゼンくんは呑気に海を見ながらひたすら雑談。ラウンジネオ周辺の、”トラックメイカーのライブ”という謎概念の普及とともに活動の幅を広げた我々であるが、パーゴルもtomgggさんも自分も興味の有無の問題もあるが、こういった主催イベントを大々的にやる、といった行為をサッパリしていない。「自分らがサボったぶん反面教師として若い子が頑張ってるのかもしれないですね」みたいな話をする。そういう意味でもパソコン音楽クラブはすごい。

 ノーノウハウでの1000キャパDIYイベントが完璧に首尾よく進行するわけもなく、諸事情でタイムテーブルの調整が必要ということになり、呑気に雑談していた我々の持ち時間を全員10分ずつ減らすことになる。この辺は皆さすがで滞りなく対応。

 人はたくさんいるが温まりきってはいない、みたいな時間帯に火を入れに行く、みたいなミッションを課される時がたまにあるがこの日はまさにそうであった。みな真の目当てはtemplimeであろうが、イベント全体の満足度は我々サポートアクトの質にかかっている。10分減らした分想定とは別ルートで持ち時間を走破。

 出番後はまた海を見ながら雑談。templimeは演出も含め圧巻のステージ。年下年上関係なく日々勉強である。もう皆と知り合って随分経つし、同じように活動しているが、年下の台頭も含めて立ち位置は緩やかに変わっていく。みなそれぞれの得意分野を活かして生活している。アーティストとしての個人活動、広告音楽制作業、プロデュースワーク、その他個人の属人的なスキル。内訳は似ていても割合はバラバラである。テニスくんも加えてみんなで帰宅。

 

某日

 新木場からやや品川に寄せてホテルで一泊したのちに京都へ。一瞬自宅で荷物を取って学園祭出演のために京都精華大学へ。バイク置き場で荷物を整理しているとわざわざ学祭実行委員の人が迎えにくる。わざわざすんません。

 イサゲンと展示を回ったのちにステージでライブ。意味わからんほど緊張してしまった。コピーバンドの合間に、謎のおっさんとして謎の音楽をかけるだけ、本当に大丈夫だったのであろうか。

 終演後にボカコレ経由で知ったタチマナユさんとか鴨レのメンバーとかIRIGINOくんとかfujimaruさんの新旧青木孝允さんの教え子邂逅とか色々ごった煮でおしゃべり。別々にはぐぐまれたバイブスがだんだんリアルで交錯し始め、京都のDTMシーンは確実にグルーヴし始めている。おもろいタイミングにおもろい立場でそれらを眺められて役得である。

 一旦制作仕事の打ち合わせを空き教室でしたのち、ちょっと遊ぶ。サバゲサークルの出し物でエアガンを触ったりしたあと、クイズサークルのブースでひたすらクイズ。クイズは面白すぎる。居合わせた参加者がトニカクカワイイの話をしていて、オープニングの曲を作らせていただいていて・・・などと話す稀有な機会も。

 

某日

 学園祭の勢いそのままに神戸へ。タクシーに乗って「湊河湯までお願いします」というと「この前新聞にも乗ったんですよ、活気がありますよ」と言われる。そんなみんなに知られているのか、と思いながら「今日は音楽イベントがあるんですよ、楽しみです」と答え下車。

 久しぶりのパ音柴田くんと関西の友人各位。銭湯でDJ。ブギーゴット温泉、というタイトルなのになのにみんな社会性があるのかないのか好き勝手DJ(ひたすらアンビエントだけかけたり)をする。逆にafrくんは完璧にブギーのDJをしている。自分はこういうイベントが好きである。

 京都のDTMシーンは確実にグルーヴし始めている、と感じた昨日同様、こういった自分が出るようなイベントにくるお客さんが、だんだんお客さん同士で仲良くなっていって、こちらもグルーヴし始めている感じがある。「内輪すぎ、客が全員DJ」みたいな揶揄がネットに沸き続けているが、自分は内輪の拡大こそが正しいアプローチだと考えているし。DJしていない人間には全員DJをさせたいと思っている。異論はあって然るべきだが、こちらは本気で考えてこうなっている。

 流石に3日も週末イベントが続くと制作仕事が滞る。朝までには修正しないといけないので打ち上げ行かずに帰宅。打ち上げだけもう一回やってください。