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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

死者の時間は止まっている

2005年06月11日 | テレビ鑑賞記
金曜ナイトドラマ「雨と夢のあとに」第9話

このドラマ、地方により週遅れでの放送となる。
該当地域の方、以下ネタバレがあるのでご注意のほどを。




暁子さんはやっぱり幽霊だったのか。
オープニングで朝晴と対になるような描かれ方をしているからもしかして?と思ってはいたが。
木村多江さんは幽霊役似合いすぎ。
美しさと色気と優しさと残酷さ、女性の特質が幽霊になってさらに純粋なものになっているような。
きれいで優しい女性、って何か計り知れないものがあって怖い。普通の女性でも男にとっては永遠に不可解なものがあって怖い。男の幽霊は何だか間が抜けてるが、女の幽霊は恐ろしい。丸山応挙の幽霊画も女ばかりだ。
暁子さんの「私の時間はもう止まっている」という台詞が特によかった。
生者の時間は終わりに向けて止められない強さと速さで流れるが、死者の時間は無限であり動きがない。
渓流が静かな湖に流れ込み動きを止めるイメージを頭に思い浮かべる。


急に話は変わるが、いわゆる「靖国神社問題」について「新しい戦没者慰霊施設を作るべきだ」という意見がある。左派の人たちに多く見られる意見だが、このあいだ読売新聞もそんな社説を書いていた。保守派にも一定の支持があるようだ。
私自身はその考えに特に反対はしないが、あまり意味のないことのような気もする。
はたして靖国に眠る霊たちが現世の都合で新居に引っ越してくださるのかどうか、非常に疑わしく思う。「靖国で会おう」と言い交わして戦死された英霊にとって時間はそこで止まっており、よそに移ってくれとお願いしても理解してもらえないのではないか。靖国の神官が宗教儀礼に則って御霊を勧請すればいいのかもしれないが、そうしてしまうと新慰霊施設がミニ靖国になるだけでますます無意味になる。
ときどき新聞の投書欄などに「小泉総理が靖国参拝を中止しても英霊は理解してくれるはず」という意見が載るが、どうも納得できない。基本的に霊というのは物分りの悪い存在であろうと思う。道路工事などで御神木を移動させようとして作業員が祟られる、なんて話がたまにあるが、力の強い霊というのはだいたいはそういうものだ。靖国のご神体は戦場で倒れた何百万という若者たちの霊である。その霊力の強さは日本最強であろう。現世の人間の都合で安易に扱えばどれほどの祟りがあるか、考えただけで空恐ろしい。

と、書いてはきたものの私自身は霊の存在をそれほど強く信じているわけではない。7割くらいの割合で「死んでしまえばそれですべて終わり」と思っている。逆に言えば3割は信じているわけだが。野球で3割打てば強打者なのだから、自分も「強く霊の存在を信じている」と言っていいのかもしれない。
はたして世の中の人たちはどれくらいの割合で霊の存在を信じたり信じていなかったりするのだろうか。多くの人が霊を信じていなければ新しい慰霊施設など不要だし、信じているのであれば現世の都合を霊に押し付けるのは身勝手で不遜な気がする。



急に話は戻るが、来週の「雨と夢のあとに」はいよいよ最終回。
雨と朝晴が幸せになってくれるといいな。朝晴は無理でも雨だけはなんとかして。
暁子さんも美しい姿をもう一度見せてくれるものと信じる。
すべての鍵はネックレスと蝶の標本にありそうな予感。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (acoyo)
2005-06-18 09:51:29
なんか、お久しぶりになっちまいました。

ドラマについてはわかんないので、靖国のことだけ。

私も新しい慰霊施設を作るべきという意見には、同じ視点で「どうだかなあ」と思いますが、同時に、これだけ、つうか戦後ずーっと靖国でもめてきて、何で反対派がマジで「違う施設」を作ろうと大声出さないのかが不思議でした。

勿論、言ってはって私がきちんと調べてないだけなんでしょうが、単にぼーっとニュースだけ見てると「ともかく政府と政治家行くな」の大声の陰に隠れてる感じがする。

それがすごく非建設的だなあと思ってたわけで、もし反対派が大本気で「別の施設」を作るべく大同団結するのなら、むしろ、「霊を祀る」って何とか「死者って何」という突っ込んだ議論ができそうな気もするんですよ。

「行くな」「行く」議論よりはまだ建設的な気がするんです。いたずらな理念論争で終わりそうな気もするんですが。
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Unknown (藤田)
2005-06-18 23:23:21
こんばんは。お久しぶりです。

私は「死んだら終わり」が8割、「ひょっとしたら」が2割くらいです(笑)。でも、「死者を冒涜するとバチが当たる」という「祟りへの恐れ」というものは私自身持っていますし、こういう気持ちを無くしたらいけないな、とも思っています。

ほとんどの現代の日本人は、こういう「ひょっとしたら」という部分をかなり強く残しているのでは、と思います。「神頼み」「バチが当たった」「災いを避けるお守り・おまじない」「縁起の良し悪し」・・・これらの言葉は、まだまだ日本社会で強い力を持っていますよね。

「新しい慰霊施設を」等という意見は、やっぱり「霊」という存在を非常に軽んじた立場から出ているとしか思えないです。また、彼らが作ろうとしているのは、「慰霊のための」施設ではなく、あくまで戦没者の「生前の」行いを顕彰するための単なる「追悼施設」なのではないでしょうか。
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お返事が遅れてすみません (玄倉川)
2005-06-22 19:28:27
acoyoさん、藤田さんコメントありがとうございます。

お返事が遅くなってしまってすみません。



「新しい慰霊施設」について小泉さんは「靖国に代わるものではない」と言ってました。ごく当然のことで、いわゆる靖国問題なるものは靖国に参拝しようとする政治家がいなくなるか中国や韓国が文句を言うのを諦めるか、どちらかでないと解決はしないでしょう。自由な信仰表現が許される日本では前者は無理なので、後者に期待するしかありませんね。
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