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編集や通覧のためのthinking

着色して新曲探し

2020-10-26 11:21:31 | 日記
旋律をデザインすることについて考えることが増えた。
旋律は往々にして、日常と記憶の混交がその大きな伏線になっているものなんだな、
と気づき始めている。

例えば今日がそう。やや肌寒く午後まで寝ていて、起きても頭が重くやる気が出ない。
場所を移動してカフェに行く。
音楽だーーそう思ってyoutubeでポルガーシューカイの70sトリビュートっぽい曲を。
https://youtu.be/W-3pj3maYUU
聞いた瞬間、あるイメージに自分の時間が定着する。今が、あたかも例えば年末の、ポッカリ開いた夕刻の、
街中自由タイムのようにイメージづけされるーー全然サンデーモーニングではないけど。
そうなってやっと、つまりイメージ、物語に定置してやっと、今日がちゃんと着色され、肉体が血流を始める。
きっと、何か明確なボタンが押されたんだと思う。
押されるべきボタンがわからないと、心身ともに宙に浮き、そこでは<何も起動しない眠さと気怠さ>が広がる。
よくあることだ。
でも何かが起動すればこの通り、たった2分かそこらで私はこんな量の文章を書いている。
そういうものなのだ。
この起動要因を、サラリーマンなら会社通勤というトリガー、家族サービスというトリガーできっと代用してきたのだろう。
でも時代意識の変容、エピステーメの変更によってそのトリガーはうまく使えなくなるのかもしれない。わからない。
でも自分自身がちゃんと、この起動トリガーや「ボタン押し」に覚醒的であることはかなり大事だ。それはセルフコンフィデンスにつながる。
さて今日はどのスイッチを押そうか?それは大体気まぐれで偶然。まあ、youtubeのプレイリストでどの曲を再生させるか、みたいなもの。
いや待てよ、、
youtubeの曲のリストでどの曲を再生させるかによって、その日最初に押されるボタンは決まる。確かにそれはそうだ、当たり前だけどそう。
そこから旋律が始まるよね。プレイリストの順番に委ねるのか、リストの順番を変更するのか、あるいは新しい曲を足すのかーーきわめて効率が悪いがこれが最も革新的だーーそのどれかによって一日の旋律は紡がれていく。
新しい曲ーー当然だがAppleMusicやYoutubeの話ではもはやないーーが見つかるといいけどね。


HOW TO UPDATE?

2015-06-26 03:14:25 | 日記
物語には形式があるし、それはもう既に前世紀にある程度、類型化されているという。
短いけど端的でいい余韻のこんなのがある。

そう、われわれは物語を生きている。というか、いくつかの物語の形式の中でグルグル回りながら生きている。
客観的に観たら、まあずいぶんと飽きない人たちだな、みたいなもんだ。

よく言われているものだと、
1.主人公がある日常に居て(だいたいつまらない日常)
2.そこに闖入者が現れる。その闖入者は、主人公を非日常に誘おうとする。
3.最初は闖入者に抗ったり無視したりする主人公だが、何かのきっかけで致し方なく闖入者とともに非日常へ。
4.そこではさまざまな新たな体験が待っている。主人公を襲う試練。
5.ひとつひとつ試練をクリア。
6.最後にラスボスが待っている。難儀に難儀を重ねて、ラスボスを倒す。
7.非日常でのカタルシスを経て、日常に戻る。そこは、昔と同じ日常だが、
主人公は確実に成長をしている

みたいな成長ストーリーだ。
エバもベイマックスも結局この構造だ。

我々は物語を読んで、観て、この構造になっていると自然に落ち着いてポヤーっとなるようだ。
しかしそれでは再生産がされるだけで、僕らは進化しないし、アップデートされない。
されなくてもまあ、一向に構わないんだけど。。まあでもたまには違う読後感を感じたい。

ロランバルトは、すべてのテクストは
「作者の狙い通りに読まれるわけではなく誤読されるもの」
もっといえば
「誤読されるべき」
さらにいえば
「わざと誤読して勝手に面白がるお前大OK!」
と言っている。このわざと誤読して全く別のものに読み替える技術を彼は「テクストの悦楽」
(快楽ではなく悦楽)と言っていた。

ざっくりいえば、ここで言うテクストっていうのは本や映画やドラマ、と言い換えてもいい
(本当はその構成パーツである文章、シーンなどなんだけどまあいい)。

そう、そのようにざっくり言えばテクストっていうのはそもそも構造が決まっていて、こう読むのが普通だよね、っていう言ってみればユニクロの既製服みたいなものだ。
でも本当は、ユニクロのTシャツを買ってきて、それを風呂桶に浮かべて怪獣として扱っても別に構わない。新しい湯船怪獣。この怪獣前のより手ごわいぜ!とか言いながら騒ぐ。
まあただの変人ではある。でもまあ本人が楽しければ構わない。
これは悦楽=目的外使用ということ。

じゃあ、そもそもの目的ってなんなの?という話でもある。


例えば電車に乗る。英会話やエステやPCスクールや雑誌の広告。
これらは多くは、要するに「今の自分だと市場価値が低いから、武装せよ(そのために私たちに金落としなさいよ)」と言っている。
その意味でメッセージは結構同じだ。
でも、そのメッセージをまともに受け止めず「このタレントウケる」とか「このコピーが面白い」とかで消費している日常があったりする。

ところがコンテンツ、本とかドラマとかなんだとか、になると途端にみんなまじめにマトモにメッセージを受け止めてしまったりする。
そうじゃなくていい。

先般から人の涙腺崩壊のパターンについて考えていたんだけど、
例えばコレとかが典型的な涙腺崩壊文法で作られているのだが、これも別に読み替えるくらいタフになれれば、受け手ではなく作り手側にまわれるのかもしれない。

そのためにも類型を押さえて、その再生産ではない、新しいアップデートに向かって進まないと。寝ても覚めても同じストーリーの強制消費だと、自分たちの成長がないんだからと。






役割

2015-06-25 15:11:34 | 日記
実践の場にも、抽象的な読み解きって必要だったりする。

例えば、打合せに必要な人ってどんな人なのかと言う話。
実装系の打合せなら、文字通りプログラマーとか、デザイナーとか、あるいは社会実装系なら流通とか、メディアとか。
割と具体的な、ルーチンな職能の人の参加が必要。

しかし、まず一体何をやるのか?っていう企画とかコンセプトの打合せは違う。

ブレストに欲しいパーソナルスキルに役割を振って見るとこんな感じだろう。


⚫︎ネタ提供力のあるリサーチャー
→PC内蔵の映像資料とか、さまざまな資料(リサーチ、サーベイ)を可視化、提示して
ネタを共有する。
ここで、そのネタの一つ一つがどういう方向性を示すものなのか、っていう抽象度の高い解説が必要。

例えばこれを示すとする。


「ロボットアーム使ってこういうイベントがあったみたい」
だったら誰でも言える。せめて、
「撮影というのをそのままイベントにして、皆が体験できるように変えた」
くらいの言い方にはしておく。

そうすると、ヒントの提示として、
「今までそうでなかったものを、皆が体験できる形に設計し直す」
っていうお題がでてくるし、そこから企画が広がるわけだ。
レストランの調理体験、ソシャゲの開発体験、ヘッジファンドのトレード体験。
一番参加者の笑顔度が高そうなものってなんだろうと、話が膨らんで行く。


⚫︎ネタに中心にしたドライブ(ジャンプ)を請け負うプランナー
→ネタを料理しながら企画をふくらませていく。
いくつかの企画骨子候補がでてきた時に、また異なる要素を掛け合わせて一段解像度を上げる人。
みんなが鳥になれて、その人間鳥の視点を下にいるギャラリーが見れる、みたいなものは?
など、要はブレのない動画のイメージに高めていく。
手書きで、きたなくていいのでスケッチも残す。


⚫︎企画の特徴点抽出、類型化、インデックス整理などをする、コンセプトチューナー
→でてきた資料やアイディアを抽象的に分析して、そのネタに潜む「本質」を結線する。
今のは体験のUXとして「未知体験」もっというと「手軽な仮死体験」だよね、など、ネタ及びジャンプした企画についての特徴点を整理して一覧化していく。
ここ結構重要。場が白けないように、極秘でメモってメンバーには後でその分析を展開するのもあり。


⚫︎具体実行への要素分解(実行、実装)をするテクニカルディレクター
→本当にできるかの検証を、ひたすら考える。できなくても、代替案がないかを必死で探る。
同時に、もっと面白い方向に足せそうな実装トピックを逆提案もできる。この逆提案は全体のグルーブ感にとって超重要。

⚫︎時間予算かねの制御(制御)をするマネージャー、プロデューサー
→予算や時間を(その打合せ自体のタイムキープも)考える。その他打合せの空気が良くなるような環境設定にも腐心する。

こんなプロの5者がいれば最強だが、実際には兼務をするので3人くらいから可能。いや最終的には、1人で全部できるのが理想だ。
コンセプトチューナーとプロデューサーは兼務が多いし、ココは口数が少ないニコニコ系態度が流儀だろう。


1人で全部できるためには、
⚫︎日常的なサーベイの蓄積が、類型化されて整理されていること
⚫︎時々に思いついたクリエイティブジャンプのアイディアがメモってあること
⚫︎技術や実現性、予算や時間の感覚が正確であること。これは場数によることが多いか。

1人でも全部できるような能力の5人が集まったら最強だが。

そしてこれは企画打合せだけではなく、森羅万象なんにでも当てはまる気がする。

旋律

2015-04-28 01:47:56 | 日記
シーパラ行ったら観音崎行きたい。
ステーキ食べたらアイスを買って夜の公園で食べたい。
Aと飲んだ後はXとチャットしたい。
この曲聴いたら、次はこの曲聴きたい。
などなど。

生活の快感のリズムって、流れにある。
データにあてはめると、一つ一つのデータの最適化以上に、流れの最適化。
人と人の関係もそう。最悪からスタートしても、何処かで曲が変調して別の旋律になるような。

その流れをアルゴリズム化できるのかどうか。
つまり自分の心理リズムを明文化できるものなんだろうか。


おおお。
それ、多分できる。
で、そこ、
そこにはお宝がねむってる気もする。

自分の好きな、生活旋律。
自前のUXサンプルが少ないなら文学があるよね。
こうして、生活UXの並び方のデータ、
ちょっと今©とったけど、「旋律工学」というものが発見されていきそうな気がする。
ブランドのエンゲージ方法もここから見つかる気がする。
序破急、守破離、のその先に行ける感じがほのかにする。

UXのパーソナライズはここからしか開けない。

初頭

2015-01-04 22:50:49 | 日記

新年おめでとうございます。

以下はメモ。まとまりはない----この新年は予想より早く、特に国営放送のNHKさんによって人工知能や不老不死、のような、カーツワイル的話題が一般の人々にも流布したように思う。

ちなみにBS-1をはじめ、いわゆる「世界の潮流」や「未来の世界観」を伝える番組を量産するモードに入っているのがこのNHKだ。何しろキャッチアップが早い。制作期間も早い。単なるニュース・断片情報ではなく、それをまとめ、テーマやコア部分を炙り出して丹念に番組を作っている。つまり、ちゃんと線に、ストーリーにしている。未来永劫、このコンテンツ会社が潰れることはないだろう。

この年末年始でいうと、松岡正剛が出演した「100分de日本人論」、宮沢章夫が展開している「ニッポンサブカルチャー論」。この2つは出色のデキだった。どちらも日本人の意識、あるいはその潮流遍歴を照らす。

松岡の番組中に、中沢新一は日本の本質(=無差別知の世界とか、粋の世界とか、死者との交信のようなもの)を分別知で解明し、そして世界へ発信できるような人、いわば「翻訳者としての日本人」の必要性を説いていて、それって要するにクリエイティブプロデューサーみたいなこと?
だと思った。それが番組全体のメッセージに帰結していた。そういう翻訳者を日本人の中からどんどん生もうぜと。多分超少数派だけどね。だってみんな脱サラするとラーメン屋開く国だし。作るの大好き、がんばるの大好き。だからそうじゃないって、違うって、という。
抽象化して見てみること、そうすればラーメン屋以外の新しい選択肢が、いくらでも出てくる。
まずだから、抽象化ってヤツをしようよと。

それができれば、職人のやっていることをメタレベルで翻訳できる。
そのバリューにレバレッジを効かせて、付加価値やストーリーを付加して売ることが出来る。


で、その翻訳行為というのは、宮沢が60年代ー00年代までを通覧しながら時代のマイノリティUXを説明する、サブカル番組の構造そのものだった。彼も無差別知的な文化現象を丹念に翻訳してくれていた。
一つ一つの事象を、抽象化して線でつないだ。バラバラな事柄がストーリーで繋がり、知らなかった過去がグッと近いリアリティになって、グングン興味が湧いてくる。これこそ歴史を学ぶってことなんだよ。そう思った。

つまりこうだ。
中沢が論じていたことを、すぐ横の番組で宮沢がやってる。この構造に気づけよみんな。物事は抽象化出来る翻訳者によってどんどん繋がって見えてくる。個別の点だけをパクパク安易に消費してんじゃねえ。そんなんじゃ下痢するぞと。


これらの番組のテーマは、日本の無意識・底流のUXの解明だと思う。
で、それを再発見していく。抽象化してテーマワードを紡ぎ、可視化していく。皆に伝わるように伝える。俺たち日本人って、大きく言えばこんななのよと。見てみろよと。

この気付かせ方って、プロデュースを考えるには相当良い参考になる

文化って、結局はその、社会(民族)心理やUXが基にあるんだぞと。そこからでてくる現象だぞと。
そのホント、誰でも見えてる現象の中に、誰もカラッキシ見えてない時代意識があるじゃんよと。お前ら何みてんの?何にも見てないじゃん実は、と。
言われてからじゃおせーんだよと。

可視化していくこと。可視化してやること。ミームみたいなもの。



一方で「ネクストワールド」では人工知能や不老不死についてが語られた。これって間違いなく2010年代勃興の正真正銘のイノベーションだろう。
今まで交通やエネルギー、エレクトロニクス、インターネットが出てきた。これからまた、基本インフラがまた革命を起こす。絶対おこしちゃうぞと。

現象・文化=コンテンツやカルチャー、はその上に乗っかる。そういう感じで進む。TVが出来る前にはTV番組、って文法はなかったわけで。

同時に次のイノベーションのあと、人々は脳や生体機能が拡張した世界のなかでいったい何して生きるわけ?という問いもついてまわる。
楽しむしかないね、的な。


でも他方で、ニコ動で展開している「スタンダードジャーナル」。
ここでは、これからの政治軍事世界の展望や資本主義について評してる。
米中の衝突は多分避けられない、数年後に予想される経済クラッシュ。グローバル企業競争、ネクストワールド的なイノベーション競争。格差の増大。

それらをかわせ。そしてサバイブせよ。そのために何が必要か。
「柔軟性・選択肢の存在・冷静さ」が個人の基本的な戦略、そしてその延長として「資産の運用スキル・一生稼げる仕事・子供」を具体的なサバイバル戦略と明かしていたよ。企業も国家も守ってくれないし。リアリスティックな視点とはこういうこと。



じゃあこれらをつなげてみるとどうなるか。いろんな番組つなげようぜと。

グローバルスキルとはまずはイノベーションへの関与。これはあり。
イノベーションを利用したサービスに関わる、というのも同じ。これはどちらかというと、仕組みの世界。新しい仕組みを提供する側にまわる。(ただ、これらは交通網だのエレクトロニクスだのインターネットのように、そのうち普通のインフラになる。)

他方、イノベーションを利用した形での、日本なりのコンテンツやカルチャーを「文化のUXを理解して」外側へ展開するような動きもあり。これはどちらかというと、気分や趣味性の世界。

そして両方のハイブリッドもある。今のニコニコ動画のようなもの。

こういうプロジェクトに関われる選択肢をたくさんもつこと。
どちらも教育というのがすごく大事なキーになる。

ツールや方法論、これは新しくなったり廃れたりがあるけど、そもそも根源的なUXというのは、そうそう変わらない。「今までになかった自由な気分」とか「自分の感覚の地平が変わる」とか「この瞬間が楽しい」とか「進歩している気がする」とか「他者に受容されている」とか。

だからUXを起発点として、サービス/コンテンツをイノベーションレイヤー上に組み込む。大事なことはUXをオペレーションのUXと履き違えないこと。気分としてのUXだということ。だから気分の類型のストック、ストックに次ぐストック。
気分の食べ比べ、ミシュラン。それをちゃんとコトバにできる力。


いっぱい遊べ、ということか。
そうともいう。
お前がつくる、お前祭りだ。最高のUXは、お前の祭り。
だろうと思う。
おしまい。