おきゃがれ こぼし おきやがれ小法子
おきやがれ こぼし おきやがれ こぼうし
=前半は「おきあがりこぼし」ですよね。
後ろは、
「起きやがれ」と取れば「起きろ」です。
「置きやがれ」と取れば、「(くだらない事を言って)ふざけるのはやめやがれ(江戸時代の言い回し)」です。
ゆんべもこぼして 又こぼした
ゆんべもこぼして またこぼした
=夕べも寝小便をして、また寝小便をした だと思います。
だとすると上はやっぱり「起きろ」でしょうか。
たあぷぽぽ たあぷぽぽ ちりから ちりから つったつぽ
たあぽっぽ たあぽっぽちりから ちりから つったっぽ
一瞬意味わからなくてパニックになりますが、
鼓(つづみ)の音の擬音です。前の「こぼした」の「た」から一応音がつながっています。
たっぽたっぽ 一丁だこ
たっぽたっぽ いっちょだこ
「たっぽたっぽ」も鼓の音です。「いっちょうだこ」は「タコが一丁」と「一町(は言い過ぎだけど、大きい)凧」をかけてるかと思います。わかりにくい部分です。自信ないです。
落ちたら煮て食お 煮ても焼いても 食われぬものは
おちたらにてくお にてもやいても くわれぬものは
=(凧が)落ちたら(タコを)煮て食おう、(とはいえ)煮ても焼いても食うことができないものは
五徳 鉄きゅう かな熊童子に
ごとく てっきゅう かなぐまどうじに
煮ても焼いても食えないものを並べていきます。
・五徳、今もガスコンロに付いてる鍋を乗せる台です。昔はこれだけ売っていて火鉢に乗せて使いました。
・鉄きゅう、鉄灸、鉄弓とか書くようです。お魚を焼く網です。
・かな熊童子、
大江山に「酒呑童子(しゅてんどうじ)」という鬼が棲んでいました。その家来で「四天王」と言われたのが「金熊童子(かなぐまどうじ)」「石熊童子(いしくまどうじ)」「ほし熊童子(ほしくまどうじ)」「虎熊童子(とらくまどうじ)」です。
のなかのひとりです。食えません。
手下がいる鬼ってヘンですが、ようするに、これは鬼じゃなくて盗賊だったのでしょう。鬼より怖いです。
「五徳」「鉄きゅう」「かなぐま」と「金属つながり」です。
石熊 石持 虎熊 虎きす
いしくま いしもち とらくま とらきす
「石つながり」に「虎つながり」で、食えなさそうなかんじで並べています。
「石熊」と「虎熊」は、上に挙げた酒呑童子の手下たちです。「石持」はおさかなの「イシモチ」です。「虎きす」もおさかなの「キス」の一種です。当然食えます。
「食えないもの」を挙げていきながら、名前はゴツいけど食べられるものをこそっと混ぜ込んだシャレです。
中にも 東寺の 羅生門には
なかにも とうじの らしょうもんには
=その中にも、京の東寺にある羅生門には
「中にも」というのは、上の「酒呑童子」の手下たちの中で、という意味です。
ていうか、いや羅生門は平安京の都そのものの門で、東寺のそばにはあったけど東寺の門じゃないし(つっこみ)。
茨木童子が うで栗五合 つかんでおむしゃる
いばらきどうじが うでぐりごんごう つかんでおんしゃる
「茨木童子」は上の「酒呑童子」の一の子分です。鬼です。
平安時代の有名な武士(もののふ)であった「渡辺綱(わたなべの つな)が、茨木童子の右腕を切り落しました。
茨木童子は、この右腕を綱から取り返して、それを持ってその後も羅生門に巣くっていたのです。
渡辺綱と茨木童子との話は、能や歌舞伎の「茨木」で有名ですよ。
「(切り落された自分の)腕」と「茹で栗」とを引っかけています。
「おむしゃる」は「お蒸しやる」だという説があるのですが、すでに茹でてあるものを蒸すかどうかが疑問です。
=茨城童子(という鬼)が、(切り落とされた自分の)腕と、ゆで栗を五合つかんで(棲んで)いらっしゃる
ところで、「童子(どうじ)」はこの場合「子供」ではなく。鬼などの異形のモノを言います。なぜ「童子」が「鬼」を指すかといいますと、中世において男性の髪型は、頭の上で束ねて烏帽子か頭巾をかぶることに決まっていたからです。髪を束ねずにいるのは子供だけです。
鬼は身なりにかまわないのでみんなザンバラ髪ですが、これは子供と同じ髪型です。なにで「童子」と呼びます。
「童子」というのは、なので、人間社会の常識が通じない相手=人外のもの、という意味があるのです。
かの 頼光の 膝元去らず
かの らいこうの ひざもとさらず
「頼光(らいこう)」は平安時代の武将「源頼光(みなもとの よりみつ)」です。家来の「四天王」を従えて、上述の大江山の酒呑童子を退治したので有名です。
ここまでずっと「酒呑童子」ネタをひきずってます。
=かの(有名な源)頼光の膝元から離れることなく付き従って、
で、誰が「膝元を去らない」のか、茨城童子がか、と謎だったのですが、以下の部分、彼の家来であり、「酒呑童子」を退治した伝説的勇者たちである「頼光四天王(よりみつ してんのう)」たちの名前とのシャレのようです。
鮒 きんかん 椎茸 定めて後段な
ふな きんかん しいたけ さだめて ごだんな
まず頼光の家来、俗に言う「頼光四天王」の名前書きます。当時は有名でした。
渡辺綱(わたなべの つな)、坂田金時(さかた きんとき)、占部季武(うらべ すえたけ)、碓井貞光(うすい さだみつ)。
=鮒(綱)、きんかん(金時)、しいたけ(季武)、定めて(貞光)、(おそらく想像するに)食後のデザートの、
「後段」というのは当時の宴席などで、食事の膳を全て出し終わった後に出るデザート的な軽食のことです。お菓子や果物ではなく、そばやそうめんなどが多かったようです。飲んだ後は麺類!!
「後段な」は「剛胆な」に引っかけているかもしれません。
そば切り さうめん うどんか 愚鈍な 小新発知
そばぎり そうめん うどんか ぐどんな こしんぼち
「そば切り」はそば粉を練って、切ったそば、ようするに「そば」です。昔は煉ってたそば粉につゆをかけてそのまま食べる「そばがき」も多かったので、「そば切り」と言って区別しました。
「新発知(しんぼち)」は正しくは新発意と書くようです。発心して仏門に入ったばかりのヒトです。
=(後段で出る)そば切り、そうめん、うどんか(音だけつなげて)愚鈍な、なりたて小坊主
ここまで、ずっと「煮ても焼いても食えないもの(といいつつ食べ物)」の話と「酒呑童子」関連の話ををまぜこぜにしゃべっています。
小棚の こ下の 小桶に こ味噌が こ有るぞ
こだなの こしたの こおけに こみそが こあるぞ
まあ、テンポよくするので「こ」を付けてるだけだと思います。訳はいいですよね。
ここから↓
小杓子 こ持って こすくって こよこせ
こじゃくし こもって こすくって こよこせ
=味噌をすくってよこせと(笑)
おっと合点だ 心得たんぼの
おっとがてんだ こころえたんぼの
=おっとがってんだ、心得た、そのたんぼのある(かけことば、ていうかだじゃれ)
川崎 神奈川 程ヶ谷 戸塚は 走って行けば
かわさき かながわ ほどがや とつかは はしっていけば
↑ここまで、ひと息に言うんだそうです。長い。
あと、「心得たんぼの 川崎…」ですが、
「てんぽの皮」という言い回しとのシャレだと思います。「てんぽ」は「転蓬」と書き、根から離れて、そのへんをころころ転がる枯れ草です。そのように運任せ出任せのイキオイだけの態度を言います。「皮」は調子付けで意味はありません。
「おっと合点だ心得た、出たとこ勝負でイキオイでやっつけよう、川崎・神奈川…」というかんじかと。
=川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚の間は走っていけば
やいとを摺りむく 三里ばかりか
やいとをすりむく さんりばかりか
「やいと」、ひざの下のちょっと外側のくぼみです。足の疲れをとって丈夫にするためにお灸をすえます。「三里」ともいいます。「奥の細道」で芭蕉もここに灸をすえています。
意味は
=(川崎→戸塚までの間は走っていけばすぐなので、)「やいと」をすりむく「三里ばかりの距離」くらいに感じられる
藤沢 平塚 大磯がしや 小磯の宿を
ふじさわ ひらつか おおいそがしや こいそのやどを
「大忙し」と「大磯」をかけております。「小磯」は幕府が定めた正式な宿場ではなかったのですが、「大磯」の補助的な役割を果たしていました。
=藤沢(宿)、平塚(宿)を通り過ぎ、大忙しで大磯や小磯の宿を
七つ起きして 早天早々 相州小田原 とうちんかう
ななつおきして そうてんそうそう そうしゅうおだわら とうちんこう
「明け六ツ」が夜が明ける時間です。午前6時ごろです。「七ツ」はそのだいたい2時間前。朝4時ごろです。
上の「川崎、神奈川…」のところから、小田原を出発して江戸にいたるまでの様子をテンポよく描いています。
大急ぎで大磯の宿を、早朝午前4時に起きて出発して、小田原名産の透頂香を持って江戸に着いたのです。
=午前4時に起きて早朝に宿を発ってきた、相州小田原の透頂香です。
もちろん「そうてんそうそう」「そうしゅう」と音を意識して並べています。
これは「早口言葉風」というだけでなく、江戸という時代に書かれたものはたいがい、こういう風に「似た音を並べる」「ひとつの単語で複数の意味を持たせる」といった「言葉遊び」がはいっているのです。
縁語、掛詞の伝統と「地口。しゃれ」という庶民の遊びが融合した結果だと思います。
隠れござらぬ 貴賤群衆の 花のお江戸の 花ういらう
かくれござらぬ きせんくんじゅの はなのおえどの はなういろう
=この世の中にこの商品が隠れている場所はありません(知らない人はいないすばらしい商品です)。身分の高いひとも低いひともたくさん集まっている、華やかな花のお江戸の盛りの花のように全盛の、花ういろう、
「花」はただの飾りの接頭語です
あれ あの花を 見て お心を おやわらぎや という
あれ あのはなを みて おこころを おやわらぎや という
『仮名手本忠臣蔵』七段目、「祇園一力茶屋の場」で、敵討ちをする気がないフリをして遊び呆ける大星由良之助(大石蔵之助ですね)の刀が赤く錆びているのを見て、
様子を探りに来た敵方の家来たちがバカにしてシャレを言います。
「この刀、銘は「赤子丸」はいかがでござる」
「して、そのココロは」
「研ぎゃあい、研ぎゃあい」。(一部てきとうに略)
…下らねえ。
まあとにかく、この時代、「ぎゃあ」が語尾に付けば「赤子の泣き声」にひっかけていいことになっていたようです。ということで↓に続きます。
=(花のお江戸の、その花ではありませんが)あれ、あそこにある花を見て、そのお心をなごやかになさいませなという、
産子 這子に 至るまで この外郎の 御評判
うぶご はうこに いたるまで このういろうの ごひょうばん
=(そのように「お(やわら)ぎゃあ」と泣く)新生児や乳幼児にいたるまでが、
この外郎の世間でご評判いただいている様を
ただ「評判を」でもいいんですが、「御」が気になるのでこんな感じにします
御存じないとは 申され まいまいつぶり
ごぞんじないとは もうされ まいまいつぶり
=ご存じないとは申されまい、まいまいつぶり(まあ音だけで繋げてるのでこんな訳で)
角出せ 棒出せ ばうばう眉に
つのだせ ぼうだせ ぼうぼうまゆに
=(かたつむりなので)角出せ、棒出せ、ぼうぼう眉に、
ぼうぼう眉って、「ぼう」の音以外に意味あるんでしょうか。二代目団十郎は、というか代々の団十郎は目がぎょろりと大きいので有名なので、ついでにぼうぼう眉だった可能性は高いかもしれません。
臼 杵 すりばち ばちばち ぐわらぐわらぐわらと
うす きね すりばち ばちばち がらがらがらと
「すりばち」から擬音の「ばちばち」につなげ、さらに「がらがらがら」と拡張していったのだと思います。
臼も杵もすり鉢も、使うとうるさいです、ゴリゴリガンガンガリガリ、にぎやかな感じでしょうか。
羽目をはずして 今日おいでの いずれも様に
はめをはずして こんにちおいでの いずれもさまに
「外郎売」の口上は路上パフォーマンス販売ですからにぎやかな場所でやります。お客さんたちもにぎやかな場所にハメをはずして遊びに来てるのです。
=(にぎやかな感じで)はめをはずして、今日ここにおいでのいずれもみなさまに、
上げねばならぬ 売らねばならぬと
あげねばならぬ うらねばならぬと
=(この薬を)さしあげなければならない、ていうかつまり売らなければならない、という気持ちで、
息せい引っぱり
いきせいひっぱり
古語辞典というものは、出てるだろうと信じてた単語は出てなくて、「わきゃねえだろ」な単語をダメもとで引いてみると出てることが多いので、油断はできません、
=力をこめ、うんと気を張って、
東方世界の 薬の元じめ 薬師如来も 照覧あれと
とうほうせかいの くすりのもとじめ やくしにょらいも しょうらんあれと
「東方世界」、つい、西洋文化圏に対するアジア仏教文化圏という意味だと思いたくなってしまいますが、違います。江戸時代だから。
「西方世界」は極楽浄土を指しますが、「東方世界」は「東方浄瑠璃光世界(とうほう じょうるりせかい)」を指します。この世の東にあり、薬師如来が仕切っているらしいですが、西方浄土(さいほうじょうど)と違って人間は死んでも行けないようです。
「薬の元締め」については、
薬師如来さまは薬壺を手に持っています。病苦を救う仏様として信仰をあつめました。
それを薬商人の総元締めで、いちばんえらい人、というい感じに冗談で言ってみたのだと思います。
=東方浄瑠璃光世界の主にして、衆生の病苦を救う薬師如来。薬の効力の源である薬師如来も(この「透頂香」のすばらしさを)はっきりとご覧あれと、
ホホ 敬って
ほほぅ うやまって
「ほほう」と発音します。歌舞伎に頻出するかけ声みたいなもんです。重々しさを添えます。「ほほほ」と笑ってるのではありません、
言い方は、後ろの「ほ」にアクセントを置き、はじめの「ほ」はできるだけ低いキーで、
「ほ ほぉおおぅ」というかんじに重々しく言います。
=(薬師如来も、お立ち会いの皆様も)敬って、申し上げます。
外郎は いらっしゃりませぬか
ういろうは いらっしゃりませぬか
=ういろうは、お入り用ではございませんか。
=[1]へ=
=[2]=へ
おきやがれ こぼし おきやがれ こぼうし
=前半は「おきあがりこぼし」ですよね。
後ろは、
「起きやがれ」と取れば「起きろ」です。
「置きやがれ」と取れば、「(くだらない事を言って)ふざけるのはやめやがれ(江戸時代の言い回し)」です。
ゆんべもこぼして 又こぼした
ゆんべもこぼして またこぼした
=夕べも寝小便をして、また寝小便をした だと思います。
だとすると上はやっぱり「起きろ」でしょうか。
たあぷぽぽ たあぷぽぽ ちりから ちりから つったつぽ
たあぽっぽ たあぽっぽちりから ちりから つったっぽ
一瞬意味わからなくてパニックになりますが、
鼓(つづみ)の音の擬音です。前の「こぼした」の「た」から一応音がつながっています。
たっぽたっぽ 一丁だこ
たっぽたっぽ いっちょだこ
「たっぽたっぽ」も鼓の音です。「いっちょうだこ」は「タコが一丁」と「一町(は言い過ぎだけど、大きい)凧」をかけてるかと思います。わかりにくい部分です。自信ないです。
落ちたら煮て食お 煮ても焼いても 食われぬものは
おちたらにてくお にてもやいても くわれぬものは
=(凧が)落ちたら(タコを)煮て食おう、(とはいえ)煮ても焼いても食うことができないものは
五徳 鉄きゅう かな熊童子に
ごとく てっきゅう かなぐまどうじに
煮ても焼いても食えないものを並べていきます。
・五徳、今もガスコンロに付いてる鍋を乗せる台です。昔はこれだけ売っていて火鉢に乗せて使いました。
・鉄きゅう、鉄灸、鉄弓とか書くようです。お魚を焼く網です。
・かな熊童子、
大江山に「酒呑童子(しゅてんどうじ)」という鬼が棲んでいました。その家来で「四天王」と言われたのが「金熊童子(かなぐまどうじ)」「石熊童子(いしくまどうじ)」「ほし熊童子(ほしくまどうじ)」「虎熊童子(とらくまどうじ)」です。
のなかのひとりです。食えません。
手下がいる鬼ってヘンですが、ようするに、これは鬼じゃなくて盗賊だったのでしょう。鬼より怖いです。
「五徳」「鉄きゅう」「かなぐま」と「金属つながり」です。
石熊 石持 虎熊 虎きす
いしくま いしもち とらくま とらきす
「石つながり」に「虎つながり」で、食えなさそうなかんじで並べています。
「石熊」と「虎熊」は、上に挙げた酒呑童子の手下たちです。「石持」はおさかなの「イシモチ」です。「虎きす」もおさかなの「キス」の一種です。当然食えます。
「食えないもの」を挙げていきながら、名前はゴツいけど食べられるものをこそっと混ぜ込んだシャレです。
中にも 東寺の 羅生門には
なかにも とうじの らしょうもんには
=その中にも、京の東寺にある羅生門には
「中にも」というのは、上の「酒呑童子」の手下たちの中で、という意味です。
ていうか、いや羅生門は平安京の都そのものの門で、東寺のそばにはあったけど東寺の門じゃないし(つっこみ)。
茨木童子が うで栗五合 つかんでおむしゃる
いばらきどうじが うでぐりごんごう つかんでおんしゃる
「茨木童子」は上の「酒呑童子」の一の子分です。鬼です。
平安時代の有名な武士(もののふ)であった「渡辺綱(わたなべの つな)が、茨木童子の右腕を切り落しました。
茨木童子は、この右腕を綱から取り返して、それを持ってその後も羅生門に巣くっていたのです。
渡辺綱と茨木童子との話は、能や歌舞伎の「茨木」で有名ですよ。
「(切り落された自分の)腕」と「茹で栗」とを引っかけています。
「おむしゃる」は「お蒸しやる」だという説があるのですが、すでに茹でてあるものを蒸すかどうかが疑問です。
=茨城童子(という鬼)が、(切り落とされた自分の)腕と、ゆで栗を五合つかんで(棲んで)いらっしゃる
ところで、「童子(どうじ)」はこの場合「子供」ではなく。鬼などの異形のモノを言います。なぜ「童子」が「鬼」を指すかといいますと、中世において男性の髪型は、頭の上で束ねて烏帽子か頭巾をかぶることに決まっていたからです。髪を束ねずにいるのは子供だけです。
鬼は身なりにかまわないのでみんなザンバラ髪ですが、これは子供と同じ髪型です。なにで「童子」と呼びます。
「童子」というのは、なので、人間社会の常識が通じない相手=人外のもの、という意味があるのです。
かの 頼光の 膝元去らず
かの らいこうの ひざもとさらず
「頼光(らいこう)」は平安時代の武将「源頼光(みなもとの よりみつ)」です。家来の「四天王」を従えて、上述の大江山の酒呑童子を退治したので有名です。
ここまでずっと「酒呑童子」ネタをひきずってます。
=かの(有名な源)頼光の膝元から離れることなく付き従って、
で、誰が「膝元を去らない」のか、茨城童子がか、と謎だったのですが、以下の部分、彼の家来であり、「酒呑童子」を退治した伝説的勇者たちである「頼光四天王(よりみつ してんのう)」たちの名前とのシャレのようです。
鮒 きんかん 椎茸 定めて後段な
ふな きんかん しいたけ さだめて ごだんな
まず頼光の家来、俗に言う「頼光四天王」の名前書きます。当時は有名でした。
渡辺綱(わたなべの つな)、坂田金時(さかた きんとき)、占部季武(うらべ すえたけ)、碓井貞光(うすい さだみつ)。
=鮒(綱)、きんかん(金時)、しいたけ(季武)、定めて(貞光)、(おそらく想像するに)食後のデザートの、
「後段」というのは当時の宴席などで、食事の膳を全て出し終わった後に出るデザート的な軽食のことです。お菓子や果物ではなく、そばやそうめんなどが多かったようです。飲んだ後は麺類!!
「後段な」は「剛胆な」に引っかけているかもしれません。
そば切り さうめん うどんか 愚鈍な 小新発知
そばぎり そうめん うどんか ぐどんな こしんぼち
「そば切り」はそば粉を練って、切ったそば、ようするに「そば」です。昔は煉ってたそば粉につゆをかけてそのまま食べる「そばがき」も多かったので、「そば切り」と言って区別しました。
「新発知(しんぼち)」は正しくは新発意と書くようです。発心して仏門に入ったばかりのヒトです。
=(後段で出る)そば切り、そうめん、うどんか(音だけつなげて)愚鈍な、なりたて小坊主
ここまで、ずっと「煮ても焼いても食えないもの(といいつつ食べ物)」の話と「酒呑童子」関連の話ををまぜこぜにしゃべっています。
小棚の こ下の 小桶に こ味噌が こ有るぞ
こだなの こしたの こおけに こみそが こあるぞ
まあ、テンポよくするので「こ」を付けてるだけだと思います。訳はいいですよね。
ここから↓
小杓子 こ持って こすくって こよこせ
こじゃくし こもって こすくって こよこせ
=味噌をすくってよこせと(笑)
おっと合点だ 心得たんぼの
おっとがてんだ こころえたんぼの
=おっとがってんだ、心得た、そのたんぼのある(かけことば、ていうかだじゃれ)
川崎 神奈川 程ヶ谷 戸塚は 走って行けば
かわさき かながわ ほどがや とつかは はしっていけば
↑ここまで、ひと息に言うんだそうです。長い。
あと、「心得たんぼの 川崎…」ですが、
「てんぽの皮」という言い回しとのシャレだと思います。「てんぽ」は「転蓬」と書き、根から離れて、そのへんをころころ転がる枯れ草です。そのように運任せ出任せのイキオイだけの態度を言います。「皮」は調子付けで意味はありません。
「おっと合点だ心得た、出たとこ勝負でイキオイでやっつけよう、川崎・神奈川…」というかんじかと。
=川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚の間は走っていけば
やいとを摺りむく 三里ばかりか
やいとをすりむく さんりばかりか
「やいと」、ひざの下のちょっと外側のくぼみです。足の疲れをとって丈夫にするためにお灸をすえます。「三里」ともいいます。「奥の細道」で芭蕉もここに灸をすえています。
意味は
=(川崎→戸塚までの間は走っていけばすぐなので、)「やいと」をすりむく「三里ばかりの距離」くらいに感じられる
藤沢 平塚 大磯がしや 小磯の宿を
ふじさわ ひらつか おおいそがしや こいそのやどを
「大忙し」と「大磯」をかけております。「小磯」は幕府が定めた正式な宿場ではなかったのですが、「大磯」の補助的な役割を果たしていました。
=藤沢(宿)、平塚(宿)を通り過ぎ、大忙しで大磯や小磯の宿を
七つ起きして 早天早々 相州小田原 とうちんかう
ななつおきして そうてんそうそう そうしゅうおだわら とうちんこう
「明け六ツ」が夜が明ける時間です。午前6時ごろです。「七ツ」はそのだいたい2時間前。朝4時ごろです。
上の「川崎、神奈川…」のところから、小田原を出発して江戸にいたるまでの様子をテンポよく描いています。
大急ぎで大磯の宿を、早朝午前4時に起きて出発して、小田原名産の透頂香を持って江戸に着いたのです。
=午前4時に起きて早朝に宿を発ってきた、相州小田原の透頂香です。
もちろん「そうてんそうそう」「そうしゅう」と音を意識して並べています。
これは「早口言葉風」というだけでなく、江戸という時代に書かれたものはたいがい、こういう風に「似た音を並べる」「ひとつの単語で複数の意味を持たせる」といった「言葉遊び」がはいっているのです。
縁語、掛詞の伝統と「地口。しゃれ」という庶民の遊びが融合した結果だと思います。
隠れござらぬ 貴賤群衆の 花のお江戸の 花ういらう
かくれござらぬ きせんくんじゅの はなのおえどの はなういろう
=この世の中にこの商品が隠れている場所はありません(知らない人はいないすばらしい商品です)。身分の高いひとも低いひともたくさん集まっている、華やかな花のお江戸の盛りの花のように全盛の、花ういろう、
「花」はただの飾りの接頭語です
あれ あの花を 見て お心を おやわらぎや という
あれ あのはなを みて おこころを おやわらぎや という
『仮名手本忠臣蔵』七段目、「祇園一力茶屋の場」で、敵討ちをする気がないフリをして遊び呆ける大星由良之助(大石蔵之助ですね)の刀が赤く錆びているのを見て、
様子を探りに来た敵方の家来たちがバカにしてシャレを言います。
「この刀、銘は「赤子丸」はいかがでござる」
「して、そのココロは」
「研ぎゃあい、研ぎゃあい」。(一部てきとうに略)
…下らねえ。
まあとにかく、この時代、「ぎゃあ」が語尾に付けば「赤子の泣き声」にひっかけていいことになっていたようです。ということで↓に続きます。
=(花のお江戸の、その花ではありませんが)あれ、あそこにある花を見て、そのお心をなごやかになさいませなという、
産子 這子に 至るまで この外郎の 御評判
うぶご はうこに いたるまで このういろうの ごひょうばん
=(そのように「お(やわら)ぎゃあ」と泣く)新生児や乳幼児にいたるまでが、
この外郎の世間でご評判いただいている様を
ただ「評判を」でもいいんですが、「御」が気になるのでこんな感じにします
御存じないとは 申され まいまいつぶり
ごぞんじないとは もうされ まいまいつぶり
=ご存じないとは申されまい、まいまいつぶり(まあ音だけで繋げてるのでこんな訳で)
角出せ 棒出せ ばうばう眉に
つのだせ ぼうだせ ぼうぼうまゆに
=(かたつむりなので)角出せ、棒出せ、ぼうぼう眉に、
ぼうぼう眉って、「ぼう」の音以外に意味あるんでしょうか。二代目団十郎は、というか代々の団十郎は目がぎょろりと大きいので有名なので、ついでにぼうぼう眉だった可能性は高いかもしれません。
臼 杵 すりばち ばちばち ぐわらぐわらぐわらと
うす きね すりばち ばちばち がらがらがらと
「すりばち」から擬音の「ばちばち」につなげ、さらに「がらがらがら」と拡張していったのだと思います。
臼も杵もすり鉢も、使うとうるさいです、ゴリゴリガンガンガリガリ、にぎやかな感じでしょうか。
羽目をはずして 今日おいでの いずれも様に
はめをはずして こんにちおいでの いずれもさまに
「外郎売」の口上は路上パフォーマンス販売ですからにぎやかな場所でやります。お客さんたちもにぎやかな場所にハメをはずして遊びに来てるのです。
=(にぎやかな感じで)はめをはずして、今日ここにおいでのいずれもみなさまに、
上げねばならぬ 売らねばならぬと
あげねばならぬ うらねばならぬと
=(この薬を)さしあげなければならない、ていうかつまり売らなければならない、という気持ちで、
息せい引っぱり
いきせいひっぱり
古語辞典というものは、出てるだろうと信じてた単語は出てなくて、「わきゃねえだろ」な単語をダメもとで引いてみると出てることが多いので、油断はできません、
=力をこめ、うんと気を張って、
東方世界の 薬の元じめ 薬師如来も 照覧あれと
とうほうせかいの くすりのもとじめ やくしにょらいも しょうらんあれと
「東方世界」、つい、西洋文化圏に対するアジア仏教文化圏という意味だと思いたくなってしまいますが、違います。江戸時代だから。
「西方世界」は極楽浄土を指しますが、「東方世界」は「東方浄瑠璃光世界(とうほう じょうるりせかい)」を指します。この世の東にあり、薬師如来が仕切っているらしいですが、西方浄土(さいほうじょうど)と違って人間は死んでも行けないようです。
「薬の元締め」については、
薬師如来さまは薬壺を手に持っています。病苦を救う仏様として信仰をあつめました。
それを薬商人の総元締めで、いちばんえらい人、というい感じに冗談で言ってみたのだと思います。
=東方浄瑠璃光世界の主にして、衆生の病苦を救う薬師如来。薬の効力の源である薬師如来も(この「透頂香」のすばらしさを)はっきりとご覧あれと、
ホホ 敬って
ほほぅ うやまって
「ほほう」と発音します。歌舞伎に頻出するかけ声みたいなもんです。重々しさを添えます。「ほほほ」と笑ってるのではありません、
言い方は、後ろの「ほ」にアクセントを置き、はじめの「ほ」はできるだけ低いキーで、
「ほ ほぉおおぅ」というかんじに重々しく言います。
=(薬師如来も、お立ち会いの皆様も)敬って、申し上げます。
外郎は いらっしゃりませぬか
ういろうは いらっしゃりませぬか
=ういろうは、お入り用ではございませんか。
=[1]へ=
=[2]=へ
今日、早口言葉の練習用に「ういろううり」の台本を頂き、分からない所を調べておりました。
「やいと」=灸
どれを調べても灸としか出ていなくて、検索してやっと見つけました。
全訳をこの次のお稽古に持っていくためプリントさせていただきました。
ありがとうございました。
私も外郎売りというものを練習中でして、本当に参考になりました。ありがとうございました。
後輩たちへの指導の参考にさせて頂くためにプリントさせていただきます。
本当にありがとうございました。
ありがとうございました!
早口言葉の「のら如来・・・」から入らせていただきました。
ほんと面白かったです。歌舞伎の「外郎売」をいつか観劇しまっせ~の気分に。
ありがとうございました!
先日、演劇のクラスを受講した際に講師の方が言っていたのですが、一丁だこというのは「干だこ」の写し間違いだということでした。干したたこなので、「落ちたら煮て食お」につながるのだそうです。手書きで写したためにいろいろと曖昧なんですねえ。これが絶対というわけではないと思いますが、一応……
ありがとうございました。
意味もわからず闇雲に練習するより、情景を思い浮かべながらした方が効果もありそうです。
ありがとうございます!