冒頭の「正月の遊び」から、この作家のすごみが発揮されている。年末に帰省してきた三姉妹の末っ子、淳子。東京の大学に進み、そのまま就職した。どうやら不倫しているようで、男を思い出しながら姪っ子を撫で接吻していると、姪は子供ながらに不審を感じ取る。次いで、母と地元にいる姉たちのチェックの視線に遭う。この娘はもう男を知っているんじゃないかと疑うわけだ。それを跳ね返すのは無邪気さだと淳子は知っている。母と枕を並べる寝床で、家族団欒の席で、甘い記憶を反芻する……。誰もが心当たりがあって、しかし日常に溶かして見えなくしていることを逐一取り出してはっきりと言葉を与え、一シーンを創り出す。それらを重ねて物語に仕立ててみせた。
二作目の「白いねぎ」の貧乏くささは秀逸だ。女が住むのは町はずれのプレハブのアパート。男に教わるのはパチンコや麻雀。女に買い与えるのは二千円ぽっちのパチンコ玉にすぎないのに、電器店を経営する男が張る虚勢。口調も何もかも、しみったれていてたまらない。そして、胡瓜でも茄子でもなく、ねぎというところがいい。買い物袋から飛び出していると、一番所帯じみて感じるのがねぎだ。林さんは、しがない庶民の生活から決して目を逸らさないし、ないがしろにしないのである。
続く「プール」「トライアングル・ビーチ」は一転してこじゃれた翻訳家の女性と、スタイリストの女性が主人公。意地悪に下世話に物語は進む。「プール」では中年太りと「別れた男は鴨の味」をテーマにし、「トライアングル・ビーチ」では沖縄での撮影隊の内幕を描く。いずれの設定も林さんが得意とする分野で、筆のノリが一段といい。例えば前者では、終幕の「プールの中には退屈な未来が、後ろのデッキのあたりには投げやりな過去があった」という切り取り方の鮮やかさ。後者でいえば、若いモデルの食事の注文の仕方、食べ方というわずかな描写に男の影を見せ、この若いモデルのありようを一気に浮かび上がらせる。そしてどちらも、終わり方がえもいわれぬ不安感や怖さを感じさせる。
「この世の花」で主人公にしたのは主婦。母の予言通りに生活が変わっていくというストーリーテリングに妙味がある。主婦の火遊び、主婦のカラオケ、予言のあけすけな言葉。すべてが混然一体となって現代の主婦像の一端に迫っている。
最終話の「私小説」には三十二歳の小説家を持ってきた。男にしか魅力が分からない女性というのは確かにいて、その変貌を含めて活写する。「この世の花」でも言えることだが、林さんはこんなふうにある種の女性の特徴をとらえて物語にすることが本当にうまい。もちろん、男性に対してもだが。
実は、こうして現代人を切り取り続けることは非常に難しい。それを可能にするには、時代に寄り添い続けなければならないからだ。若い頃は難なくできる。しかし、年を重ねるごとに相当な努力をしないと時代とズレてしまう。化粧やファッションが、若い頃のまま止まってしまいがちになることに象徴されるように。
林さんは時代と走り続ける稀有な作家だ。『週刊文春』ではギネス世界記録となるエッセイの長期連載をし、そこからは執筆の傍ら直接小説にかかわらない活動もいとわず、多くの人との交流を広げている様子がうかがえる。『週刊朝日』では毎週、対談のホステスを務める。こうして常に最新の情報に触れている賜物という面もあろうが、世の中にアンテナを張り続けるのはどれほどの好奇心、知力、体力が必要なことか。
長編小説のラインアップを見ると、いかに時代の先端と切り結んでいるかがよくわかる。不倫を描いた『不機嫌な果実』(九六年)▽化粧品業界の裏側を扱った『コスメティック』(九九年)▽OLが登場する『anego』(二〇〇三年)▽下流社会に向かう時代を切った『下流の宴』(一〇年)▽介護問題を描いた『我らがパラダイス』(一七年)▽現代のお金持ちの実態に迫った『愉楽にて』(一八年)――。二一年の最新作は、引きこもり問題を題材にした『小説8050』である。
容赦なく人間の本質をつかみ取りつつ、時代に切り込んでいく。デビューから一貫した姿勢は称賛に値する。その真摯な姿勢に裏打ちされた、圧倒的な存在感に魅了されるばかりである。
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