人権を守るため闘ってきた韓国社会の歴史といま──『「ふつう」の私たちが、誰かの人権を奪うとき』
記事:平凡社
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本書を理解するうえで、まず知っておきたいことは、「国家人権委員会」(以下、人権委)の存在だ。著者は人権委で長期にわたり、調査官として働いた。人権委は、韓国社会において人権を守る役割を担っている。国家人権委員会法によって設立され、その目的は「すべての個人が有する不可侵の基本的人権を保護し、その水準を向上させ、人間としての尊厳と価値を実現し、民主的な基本秩序の確立に役に立つこと」(第一条)としている。2001年に設立され、捜査や裁判などにおける人権侵害や軍での人権侵害などを調査し、解決の指針を提示し、勧告を出してきた。ただ、その勧告には強制力がない。しかし、差別や人権侵害を、「差別だ」「人権侵害だ」と、国家機関が明確に示すことで、社会全体への警告になり、被害者の気持ちに寄り添う結果を生む。
もう一つ知っておきたいことは韓国の現代史だ。1945年に日本から独立した韓国は、1948年に南北それぞれ別の政府が成立し、1950年から1953年までの朝鮮戦争を経て、南北は休戦状態に入り、その後、葛藤が続いてきた。1961年に韓国では朴正熙によるクーデターで軍事政権が発足、1979年に朴が暗殺されたが、今度は全斗煥が軍隊を動員し、政権を握ることになる。1987年の民主化宣言により、大統領を直接選ぶ時代がやってきた。そして、ここから軍事政権が行った人権侵害(ときにそれは人の命を奪うものであった)がより明確になっていくのである。それらを今となって裁くことはできないかもしれないが、誰かが実態を調査し、被害者の「悔しさ」を癒す必要があった。それは、社会統合の上でも非常に重要なものだと考えられる。人権委は、まさに人権を踏みにじられた人々の、気持ちに寄り添った機関と言っても過言ではない。もちろん、そこでもはっきりさせられない事件はあるが。
韓国現代史における組織的で悪質な人権被害といえば、たとえば「仙甘学園事件」だ。2024年、京畿道は、仙甘学園で人権侵害により犠牲となった人々の遺骨発掘作業を行うと発表した。1942年に朝鮮総督府が設置した仙甘学園は、1946年から京畿道が管理することになり、1982年まで40年間存続した。表向きは親と離れて暮らす子どもたちを育てる児童養護施設だったが、裏では、迷子になった子どもを無理に連れさり、監禁し、国家予算を搾取した。子どもたちは暴力にさらされ、なかには性的な暴力を受けた子もいた。暴行や飢えによる死亡、脱走時に溺死するなどして亡くなった子どもも多い。1982年に閉鎖され、42年も経ってやっと京畿道が重い腰を上げたのは、人権委からの勧告があったからだ。仙甘学園には5,700人余りが収容されており、現在、被害を訴えている人は239人だ。
似ている事件は釡山でも起きていた。仙甘学園が子どもたちの収容施設だったのに対し、釡山の兄弟福祉院には、子どもから大人までが「浮浪者」のレッテルを張られ、収容されていた。彼らには強制労働が課せられ、給料は与えられず、外に出ることは許されなかった。人権委は、実態調査を行い、暴行、監禁、脅迫、強制労働、虐待など深刻な人権侵害が行われた事件とし、国家に責任があり、特別法を制定するよう勧告した。だが、まだ特別法は制定されておらず、被害者の裁判は続いている。特別法が制定されないことに対し、人権委の存在意義を問う人もいるが、人権委がなかったら、兄弟福祉院の事件はこれほど知られることもなく、それが犯罪だったことも明らかにされなかっただろう。その意味で人権委は韓国の現代史における過誤を正す役割をしており、権力者にきちんと警鐘を鳴らしている。やっと勝ち取った民主主義をこれからも貫いていくために必要な機関である。人権委で働く調査官の生の声が収録された本書は、ぜひとも日本の読者にも手に取ってほしい一冊だ。
人権委には毎日「悔しい」思いをした人たちが足を運ぶ。だがみんながみんな真実を述べるわけではない。新米調査官の著者は騙されたりしながらも、自身の役割を忘れない。「悔しい思いをした人が、どんな悔しい思いをしたかを知ることが、被害者を減らすきっかけになる」(『KBSニュース』のインタビュー 2022年7月18日)と述べた。
ハンギョレ新聞は「事件について検事や弁護士などが本を書くこともあるが、人権委の調査官が書くのは珍しい」とし、本書は「調査官という労働者の立場から書かれており、人権委調査官でさえ人権や労働権を侵害される現場の話が書かれている」と載せた。
京郷新聞は、「救済されないつらさ、その悔しさの向こうにある物語」とのタイトルで、「本書には人権委の調査結果報告書には表れない人々の物語が描かれており、多くの事情を持つ様々な人々の生々しい姿が描かれている」と紹介した(2022年7月15日)。
著者は「私たちが信じて頼っている法律と制度は、私たちが期待するよりもずっと無力な場合が多い」とし、だからこそ「法律と制度を上手く作ることと同じくらい、誰がどんな気持ちでそれを遂行するかが重要」であり、人権を大切に思う心こそが、「法律の網で救済できなかったつらさや悔しさの拠り所になれるだろう」と本書で述べている。
誰にとっても生きるのは楽ではない。つらい思いをしたとき、すぐに叩けるドアがあり、一人でも自分の味方になってくれたらどんなにいいだろうと一度は思うだろう。人権委は今の韓国社会にとってまさにそのどこにでもあってほしいドアなのである。
金みんじょん
(『「ふつう」の私たちが、誰かの人権を奪うとき』訳者あとがきより)