我慢すべきか、ガツンと言うべきか……政治学的にはどう考える?『言いたいことが言えないひとの政治学』(岡田憲治著)
記事:晶文社
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ふつうに生活しているだけで、私たちは他者との不和や衝突やトラブルに出くわしてしまいます。家でも職場でも地域社会でも、それから政治や国際社会でも、人間同士のハレーションはどうしたって避けられないものです。
そんなとき、自分が我慢すればいいことだと黙って耐える人は多いでしょう。周囲にさしさわりのない愚痴をこぼすことで気を紛らせながら暮らしているかもしれません。相手にガツンと言えたらスカッとするけど、後々のことを考えると言えない……そんな場面はいたるところにあります。我慢を溜め続けていたら、もうこれ以上は無理だというレベルになって、コップから水があふれるように爆発するというケースもあるでしょう。
でも、本当に「言える」か「言えない」かの二つしか選択肢がないのでしょうか? 主張したり発言したりできないのなら、私たちは黙って我慢するしかないのでしょうか?
そんなことはありません。私は長らく政治学を専門分野としてデモクラシー論を研究しながら、大学の教員、PTA会長、NPOの世話人などを務めてきました。大小のコミュニティに属しながら、そこでの社会関係を政治学的に考察するなかで、たくさんの伝達方法を見てきましたし実践してきました。黙るのでも声を荒げるのでもなく、ほどよく説得したり依頼したり交渉したりと、対話のための技法はたくさんあるのです。さまざまな技法と用例について、政治学の知恵をつかって考えてみようというのが、本書の主な内容です。
この本は、言いたいことは言えないときのほうが多い、でも本当はもっと風通しをよくしたい、一ミリでもいいから自分の世界を変えたいと思う人のために書かれました。
幼稚園から大学までの学生生活でも、大人になってからの職場や地域活動においても、公には「ハキハキとちゃんと言える人」にはスポットライトが当たりがちで、黙っていると「言わなきゃわからないじゃない!」などと叱られることもありました。堂々と話すことが美徳とされる建前があるわけです。いっぽうで、言いたいことをはっきりと主張すると、冷ややかに見られたり馬鹿にされたりもします。「かっこつけてる」「調子に乗ってる」「空気読めない」などと言われて。そんな経験をしていくなかで、中高生くらいから急にみんな本当のことや気持ちを言わなくなるものです。
それは政治や社会問題でも同じです。「声を上げよう!」「しっかり主張しよう!」「沈黙と無関心は悪!」と言われてきて、発言することがミンシュシュギを発展させるとか、世界を変えるきっかけになるのだと教えられてきました。だからものを言えないひとたちは、なんだか置いてけぼりになったような気分になります。いっぽうで、力を振り絞って声を上げてみれば、今度は「生意気だ」とか「権利主張ばかりしている」など腐すようなリアクションも出てきます。いずれにしても、「発言」や「主張」という言葉にはあまり幸せな香りを感じなくなってしまうでしょう。
でも、黙っていたり上手く言えないからといって、何も考えていないとか意識が低いとか言われると、やっぱりムカつくし、心が閉じてしまう気がするのではないでしょうか。考えていても言えないことだってあるからです。思いが強いからこそ言葉を選んでいるときだってあるからです。「いいよね、何も考えずにただ言っているだけの人って」なんて嫌味な気持ちも育ってしまうかもしれません。
私は、30年以上も大学教員の仕事を続けてきて、ひたすら「ちゃんと発言・主張できる人になってください」と若者に言い続けてきました。そして、今も言っています。「ここに(大学)いる人は、ちゃんと話せて、ちゃんと書けて、ちゃんと読める人にならねばなりません」と。その基本は、これからも変わらないと思います。
しかし、社会に対して「ものを言う」ための条件や環境は、時代や社会構造や場所によって異なり、一律に同じではありません。ちゃんとものが言える、多少の悪条件や悪環境にあっても、堂々と主張できる人たちだけをメンバーにして政治や社会と向き合うだけでは、協力者がまだ足りないのです。つまり世界を変えることができません。「ものを言えない人は、人の言いなりになるしかない」とする結論では、弱くて小さな人間が協力をするためのスペース(社会)を維持することができないのです。民主政治とは、なるべく多くの人の力を引き出すためのシステムだからです。にもかかわらず私は、「人の言いなりになる人生を送りたくなかったら、読めて、書けて、言える大人にならねばならない」と、大学にいる若者たちを長い間、追い詰めてきたことになります。
私はこれまで、言いたいことを言えないひとたちの環境や境遇を軽く見てきたし、「条件が整わなくても主張をやめてはならないということは変えられない」と諦めてきたのです。でも、それでは自分たちや愛すべき隣人を守ることのできる分厚い社会をつくっていくことができないと思い直しました。そういう「なかなか言えない人たち」の持っている、まだ発揮されていないさまざまな力を、これまでのやり方とは違う方法で引き出さねば、社会はより良くなっていかないと思ったのです。だから、この本は自分がこれまで軽視してきたものごとや人々に対して、反省的にもう一度向き合い直すためのチャレンジでもあります。
言いたいことはそうそう言えない。でも自分だけが我慢しているのも納得できない。自分のなかでモヤモヤを溜め続けるよりは、なんとか言葉やふるまいで思いを伝える工夫をしてみてもいいかもしれない。そう思われる方は、お付き合いいただければと思います。
本書は二部構成になっています。第一部の理論編では、「言いたくても言えない」という歯がゆい状況がどのように生まれ、そこからどうやって脱することができるかの方法を探ります。第1章では、私たちは何を恐れて「言えない」と思うにいたるのかを考えます。第2章では言葉で伝えるための工夫を、第3章ではふるまいによって思いを伝える技法を掘り下げていきます。
第二部の実践編では、10の具体的な事例を考えていきます。家庭、生活圏、社会、国家、世界と、エリアを変えつつ私たちが出くわしがちなシチュエーションで、思いや考えを伝えてほんの少しでも世界を変えるための技法を考えてみました。「ちょっと設定を変えれば自分の話と重なる」と読者のみなさんに感じていただければ嬉しいです。
それから、この本のページをめくっていただくにあたって、みなさんに心に留めておいてほしいことがあります。
それは、「言えないことはまったく問題ではない」ということです。うまく言えない自分を卑下するよりも、したいこと、したくないこと、できること、できないことを切り分けるほうが建設的なスタートです。みなさんは気づいていないだけで、すでにさまざまなことを言うことができるし、ふるまうこともできているはずです。ゼロから始めるのではありません。すでにもっている経験や技術を活用しながら、一緒に考えていきましょう。
(『言いたいことが言えないひとの政治学』「はじめに」より)