05年の反日デモの前後、私は中国にいて、色んな目にあった。
深く悩んだが、周りは中国人ばかりである。私の周囲には当時日本人はいなかった。
中国人は、多かれ少なかれ日本への反感を持っているわけで、「私は反日ではありません」という中国人がいても、それが本心なのかわからない。そもそも、今までそう言ってきた中国人にひどく裏切られてきたからである。
悩みを話す相手がいないのは苦痛なもので、悩みそのものよりも、話す相手がいないこと自体が苦痛に思えてきた。
そこで、以前から付き合いのあった知り合いの中国人僧侶へ相談に行った。
中国人僧侶との対話
「日本と中国はこれからどうなりますか」
自分の悩みを打ち明けた後で、そう聞いてみた。
私と向かい合って座っている僧侶は、しばらく黙り込んだ。そして、
「必ず仲良くなります」と一語一語ハッキリと、宣言するかのように私に告げた。
「それはいつ頃の…」と私が言い終わる前に、
「但し百年後…我々が生きている間は無理です」と答えた。
それから僧侶は自分の身の上を話し始めた。彼は日本軍に「侵略」された地域の出身で、出家するまで彼も反日であった。
「日本との戦争がこの国に残した傷は大きい。その傷が癒えるのには時間がかかります。これから百年ぐらい経てば、日本と中国の関係は良くなっていることでしょう」
私が二の句を継げずに黙っていると、
「しかし今我々が、そのために何もしなくても良い、という事ではありません」と付け加えた。
「中国人と日本人が、それぞれの立場で、百年後のために今、何を出来るのかを考えるべきでしょう」と僧侶は言った。私は彼に感謝の意を述べて、寺を去った。
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僧侶との対話からほどなくして、私はいわゆる「反中保守」になった。日本と中国の関係が良くなるためには、全く真逆の選択かも知れない。
しかし、「日中友好」のような、日本を貶めて中国に屈従するやり方は、即効性のある「近道」のように見えるが、千年繰り返しても関係が良くなることはない。百年後の未来のためには、敢えて険しい回り道を選んだ方が良いのではないか…と思うのである。