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仏教に関するsaavedraのブックマーク (3)

  • 煩悩即菩提

    ぼんのうそくぼだい/煩悩即菩提 煩悩がそのままさとりの縁となること。原始仏教や部派仏教では、煩悩と菩提は対立的に捉えられたが、大乗仏教において煩悩も菩提(さとり)も空であり、来は不二で相即していると説かれるようになった。さとりの面から捉えれば煩悩も真如の現れであり、それを離れてさとりはないということになる。大乗仏教の一思想表現として「生死即涅槃」と併称される。『大乗荘厳経論』六に「法性を離れて外に諸法あることなきにより、是の故に是の如く説く、煩悩即菩提なりと」(正蔵三一・六二二中)とある。 【参照項目】➡即、煩悩、生死即涅槃 【執筆者:大屋正順】

    煩悩即菩提
    saavedra
    saavedra 2021/03/30
    "原始仏教や部派仏教では、煩悩と菩提は対立的に捉えられたが、大乗仏教において煩悩も菩提(さとり)も空であり、本来は不二で相即していると説かれるようになった"
  • バクティ

    バクティ/Ⓢbhakti 神々への絶対的で熱烈な帰依(信愛)によってすべての苦を超越し、梵我一如の境地に至れることを説くヒンドゥー教の信仰のこと。ヒンドゥー教では解脱に至る方法として祭式(カルマ)、知識(ジュニャーナ)、神への絶対的帰依(バクティ)を説いているが、中でもバクティを至上であるとしている。バクティの語は「参加する」を意味し、神への参画あるいは合一のこととされる。最も顕著にこの信仰が説かれているのは叙事詩『マハーバーラタ』の中の一詩編『バガヴァッド・ギーター』(ⓈBhagavad-gītā)においてである。そこでは骨肉相む戦いを躊躇する一王子アルジュナにヴィシュヌ神の権化ごんげクリシュナが、この戦いが神の命であることを告げ、最高神に対する熱烈な信仰をもって義務を行うことによって恩寵と救済があることを諭している。バクティの目標は、神との極めて人格的な関係を通じての救済である。仏教

    バクティ
    saavedra
    saavedra 2021/03/30
    "仏教においては、仏に導かれることへの信とともに自己に仏性が具わっていることへの信が強調される。大乗仏教では信の究極は仏となることであり、仏の本願に導かれることが信仰であると言える"
  • 王舎城 - Wikipedia

    王舎城(おうしゃじょう、梵: राजगृह, Rājagṛha, ラージャグリハ、巴: Rājagaha, ラージャガハ〉は、インド、ビハール州ナーランダ県にある都市。ガンジス川中流域に位置する。羅閲祇とも。現在はラージギル(Rajgir)という名で呼ばれている。 古代にはマガダ国首都が置かれ、釈迦が説法した地の一つで、外輪山に囲まれた盆地の中にある都市遺跡だが、考古学的にはあまり解明は進んでいない。北インドでは珍しく温泉が湧き出る。 名称[編集] 南伝仏典によれば、かつてマンダァータ、マハーゴーヴィンダなどの大王(ラージャは王と訳す)に支配されたので名づくという。[要出典] なお、『大智度論』3では、名称の由来について3つの説を挙げている。 昔、マガダ国王の子に一頭両面四臂あり、王がこれを不吉祥となして、その首身を裂いて広野に棄てた。梨羅という羅刹女が、その身を合わせて乳養し、成人しての

    王舎城 - Wikipedia
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