【丸金3石碑】 丸金2の石碑から廃登山道の「鳴沢道」を東に400mほど進むと、丸金3の石碑が現れる。 ここでは石碑が二つあり、それぞれ年代と経緯が異なる。材質はやはり安山岩と思われる。今回の記事では石碑の謎についても書いていく。 まずは写真左(東)側の解読が簡単な石碑から。これは道標タイプ。 「 同行六人 右ぎやうば 丸に金マーク 詣 道 左なるさわ 明治丗丁酉年二月廿日建之」 丸金2同様、明治30年(1897年)2月20日に建てられたことがわかる。十干十二支はこの年の「丁酉」。丸金2石碑と同年同日であり、「同行六人」も前回紹介した、丸金2石碑と同じ施主によって建てられたのは間違いない。 「ぎやうば」は行場(ぎょうば、修行する場所)であり、富士講の修行で使われた精進御穴(日洞と月洞の二つがある)近くに作られた乾徳道場のことを示すのは間違いない。この行場