・性的少数者の権利回復につながる最高裁の判断が、1年あまりで4件相次いだ ・政治が動かないなか、不利益にあえぐ性的少数者が提訴せざるを得ない構図がある ・社会の変化も司法を後押しする。今後の焦点は同…
・性的少数者の権利回復につながる最高裁の判断が、1年あまりで4件相次いだ ・政治が動かないなか、不利益にあえぐ性的少数者が提訴せざるを得ない構図がある ・社会の変化も司法を後押しする。今後の焦点は同…
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><div class=\"naka6-banner\" style=\"margin:0 0 15px;\">\n<p style=\"display:block;margin:0 auto;\"><a href=\"https://www.asahi.com/special/bucha/?iref=kiji_bottom_banner\" style=\"display:block;\"><img src=\"https://www.asahicom.jp/special/bucha/images/banner/bucha-tokusyubanner_660x100.jpg\" alt=\"ウクライナ侵攻
元陸将の渡邊隆さんと憲法と自衛隊をめぐって対談した(MCはかもがわ出版の松竹伸幸さん)。 自衛隊制服組の人とはこれまで何度か話をしたことがある。防衛研究所で2012年から14年まで3年連続で講演を頼まれたのである。 依頼があったのは防衛研究所教育部から。特別課程研修での講演を頼まれた。演題は日本の安全保障についてということだった。 特別課程研修に参加するのは陸海空自衛隊の一佐たち。 「今後、行政部局で中心となるであろう将官直前の自衛官 等に資質涵養的な講演をして頂けないか、との希望です」と依頼書にあった。 幹部自衛官たちの前で安全保障についての私見を述べてもいいというお話である。こちらからすがりついてお願いしたってできるはずもないことを先方から「やって」と言ってきたのである。二つ返事で引き受けた。 それにしても、どうして私のような安全保障のど素人に講演を依頼してきたのか・・・とちょっと考え
配偶者に無断で子どもを連れて別居・離婚をしようとすることを禁止しようとする親子断絶防止法が、国会に提出されるかもしれません。別居する親との面会交流を、子どもと暮らす親に責任づけています。また附則で共同親権や子どもの居場所の特定などまでが入っている一方、DV(家庭内暴力)に対しては「配慮する」という文言があるだけ。各方面から、不安の声があがっています。 世界的には共同親権や面会交流をめぐってDVの問題が噴出し、むしろこれを再考・制限する方向に動いているなかで、なぜ日本は逆行する動きをしているのでしょうか。オーストラリアをはじめとする外国の家族法に詳しい福岡大学法科大学院教授、小川富之先生にお伺いしました。 ーオーストラリアでは、親子断絶防止法に似た法改正があったと聞いています。まず紹介していただけますか? オーストラリアでは、直近で、2回の法改正がありました。まず最初は2006年の法改正。こ
心と体の性が一致せず、男性に生まれながら女性として社会生活を送ってきた人は、刑務所内でも女性として扱われるべきか。傷害致死罪で実刑が確定し、男性刑務所で服役中の性同一性障害の受刑者が処遇の見直しを求めている。弁護団は「本人が真に立ち直って罪を償うためにも、自覚する性別に従って服役できるようにすべきだ」と刑務所に申入書を出した。 処遇の見直しを求めているのは、神戸刑務所(兵庫県)で服役中の受刑者(42)。同居していた男性への傷害致死罪で今年6月に懲役7年の刑が確定した。 弁護団によると、男性として生まれたが、幼少期から女性と自覚。18歳で女性ホルモン投与を始め、20代で性別適合手術を受けた。ただ、戸籍変更にはさらに手術をして性器を希望する性別に合わせた形に変える必要があり、心身への負担が重いことから断念。2004年、戸籍は男性のまま女性名に変更する審判を大阪家裁に申し立て、認められた。 弁護
日本国憲法が揺らいでいる。憲法解釈を大きく変更した安保法が国会で成立し、自民党はさらに改憲を目指す。その根底にあるのが「押しつけ憲法論」だ。だが日本国憲法がこれまで70年間、この国の屋台骨として国民生活を営々と守り続けてきたのも事実である。この連載では戦後70年、日本国憲法が果たしてきた役割、その価値を改めて考えたい。 第1回は日本国憲法がひとりの女性を救った物語である。 栃木県某市。その地域のことをどう表現すればいいのか、戸惑う。ちょっとした幹線道路と小さな道路に区切られた一角に団地が建ち並ぶ。辺りには民家と田んぼしかない。表現の手掛かりになるような特徴がなく、ぬるっと手から滑り落ちそうなところ。そんな地域が、日本憲法史上に特筆される裁判の舞台となった。 裁判の名前を「尊属殺重罰事件」という。日本で初めて最高裁判所が法令違憲の判決を下した事件といわれている。 事件は47年前の1968(昭
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