前に通して見たのが竹中直人の秀吉だから真面目に大河見る気になってるの二十年ぶり。 登場人物の言動がいい匙加減で現代的。 ツイートする
前に通して見たのが竹中直人の秀吉だから真面目に大河見る気になってるの二十年ぶり。 登場人物の言動がいい匙加減で現代的。 ツイートする
中身はもちろん知らないけど、新しい大河ドラマ、ちゃんと真田幸村ではなく真田信繁って表現するのがとてもいい。「幸村こと信繁」とか紹介している。とても丁寧。 歴史って、昔のことだからもう動きがない、とか新発見はないor少ないと言われる。だがもちろん新発見・新認識ってのはいろんなレベルである。 寛文12(1672)年の軍記物『難波戦記』が「幸村」表記の初出だそうだ。 有名な『寛政重修諸家譜』でも「幸村」が採用された。 この後、沢山の物語が「幸村」を採用し、『戦国無双』『戦国BASARA』などの現代の作品にまで至る。 信繁自体は幸村と言ってないわけだな。 340年くらい、必ずしも正確ではない名前からイメージを膨らませていたのだ。 これがどうした、大した問題ではない、と思う人も多いだろうけど、「幸村」が340年の間「物語」として想像されてきたことを留意するきっかけにはなるだろう。 自分が楽しんでいる
真田丸はほんとにいい。 まず主人公まわりがやたら現代的な価値観をゴリ押ししてこないのがいい。 天下とったわけでもない分際で反戦平和みたいなのを口に出す連中にはうんざりしてたんだ。 お仕着せのメッセージ性なんかいらん。ドラマが見たいのだ。 ポリティカリー・コレクトネスなんかいらん。そんなものはティッシュで丸めて捨ててしまえ。 メッセージ性のために精通するかしないかみたいな子供がやおら天下国家を語り出すようなのは脚本とも言えぬわ。 ティッシュ以下である。 その点真田丸はお茶の間共感ポイントが「家族」に絞られてて、自然に見ていられる。 まぁ戦国では「家族だいじ」みたいなのだって通じないご家中もあるにはあるんだけど……。 真田家でやるぶんにはリアルと言っていいんじゃないかと思う。 かといってシリアス一辺倒ではない、現代っぽいノリのホームコメディ感もまた良いのだ。 大河でコメディタッチはなにかと軽侮
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