日本を代表する劇作家・別役実さんが死去 82歳、肺炎で 2枚 日本を代表する劇作家・別役実(べつやく・みのる)さんが3日に亡くなっていたことが10日、分かった。82歳。日本劇作家協会が公表した。日本語による不条理劇を確立した第一人者。尼崎県立ピッコロ劇団の代表も務めた。 別役さんは長くパーキンソン病を患い、入退院を繰り返していたが、今年1月から体調を崩していたという。 故人の遺志により、葬儀は近親者のみで執り行った。喪主は長女でイラストレーターのべつやくれいこと林怜さん。 続きを見る
仏南部カンヌで開催された第69回カンヌ映画祭での上映会場に到着した、俳優マックス・フォン・シドー氏(2016年5月14日撮影)。(c)AFP/ALBERTO PIZZOLI 【3月9日 AFP】(更新)ホラー映画『エクソシスト(The Exorcist)』などへの出演で知られるスウェーデン生まれの俳優、マックス・フォン・シドー(Max von Sydow)氏が8日、フランスで死去した。90歳だった。同氏の妻が明らかにした。 シドー氏は、スウェーデンの映画監督イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman)氏の作品で複数回主役を務めた後、米ハリウッド(Hollywood)の有名作品にも登場した。 AFPに送付された文書には「失意と無限の悲しみと共に、マックス・フォン・シドーの永眠をお知らせする」と記されていた。 シドー氏は、1957年のベルイマン作品『第七の封印(The Sevent
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米ニューヨークの国連本部で、イランが停戦に合意したことを伝えるハビエル・ペレス・デクエヤル国連事務総長(当時、1988年7月18日撮影)。(c)Mark CARDWELL / AFP 【3月5日 AFP】国連(UN)元事務総長で、イラン・イラク戦争の調停をはじめ、和平実現に向けた取り組みで知られるハビエル・ペレス・デクエヤル(Javier Perez de Cuellar)氏が4日、出身国ペルーで死去した。100歳だった。遺族が明らかにした。 1982年から1991年まで国連事務総長を務めた際には、世界の飢餓対策に取り組んだ他、8年に及んだイラン・イラク戦争や、エルサルバドル内戦で和平交渉に尽力した。 当時「天性の平和主義者」と評されたデクエヤル氏は、ペルー国内で今世代最大の偉人の一人とたたえられている。(c)AFP
故松田優作さんの主演映画「蘇える金狼」など数々の名作で撮影監督を務めたカメラマン、仙元誠三(せんげん・せいぞう)さんが1日午後8時2分、誤嚥の事故により自宅がある山形・川西町で死去していたことが5日、分かった。81歳だった。 2日に通夜、3日に葬儀・告別式が親族のみで執り行われ、喪主は妻の温香(はるか)さんが務めた。 仙元さんは1958年に松竹に入社し、67年にフリーに。アクションの撮影技術が秀で、薬師丸ひろ子(55)の主演映画「セーラー服と機関銃」や「探偵物語」のほか、テレビ朝日系「西部警察」シリーズや日本テレビ系「あぶない刑事」シリーズなどを手掛け、日本映画・テレビ界を陰で支えた。 90年に「愛と平成の色男」や「オルゴール」などで第13回日本アカデミー賞の優秀撮影賞を受賞。2014年には長年にわたる功績により、文化庁映画賞の映画功労部門を受賞した。
モーガン・フリーマンの吹き替えなどでも知られる俳優で文学座付属演劇研究所所長の坂口芳貞(さかぐち・よしさだ)さんが13日午前10時9分、大腸がんのため亡くなった。80歳だった。告別式は18日午前11時半から東京都新宿区信濃町の文学座アトリエで営まれる。喪主は長男の坂口芳輝(よしてる)さん。 坂口さんは4年前に大腸がんと診断され、俳優業のかたわら治療を受けていた。昨年12月から体調を崩し、療養中だった。1963年に文学座研究所に入所。65年に初舞台を踏み、67年に座員になった。NHK大河ドラマ「葵・徳川三代」「軍師官兵衛」などに出演する一方、米俳優モーガン・フリーマンの吹き替えも行い、「セブン」「ショーシャンクの空に」などを担当した。昨年10月に上演された「棲家」が最後の舞台出演で、同じ10月に収録したフリーマン役の映画「ポイズンロール」の声優が最後の仕事となった。
この記事の写真をすべて見る 野球解説者の野村克也さんが11日、死去したことがわかった。84歳だった。 【写真】ヤクルト監督時代の野村克也さん 現役時代は南海ホークス、 ロッテオリオンズ、西武ライオンズなどで捕手を務め、1957年に本塁打王、65年に戦後初の3冠王を獲得した。80年に引退後はヤクルト、阪神、楽天などの監督を歴任し、優勝4回、日本一に3回、数々の名選手を育てあげた。 昨年11月、AERA.dotの取材(野村克也氏がボヤく深刻な捕手不足「みんなかっこいいポジションをやりたがる」)で、捕手の魅力についてこう説いた。 「捕手は第二監督なんだよ。守備についたら一球ごとにサインを出して、野球というドラマの脚本を書いているんだ。巨人V9のときの森祇晶とか、西武黄金時代の伊東勤とか、南海のオレとか。そういう名捕手は出ないもんかね」 (AERA dot.編集部)
騎手時代にダービー2勝を含む1515勝を挙げ“剛腕”の異名をとった元JRA調教師の郷原洋行(ごうはら・ひろゆき)氏が1月31日、病気のため死去していたことが8日までに分かった。76歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われた。 昭和を代表するホースマンが旅立った。郷原氏は鹿児島・鹿屋市出身で1962年、中山・大久保房松厩舎所属で騎手としてデビュー。その力強い追いっぷりから「剛腕・郷原」と称され、67年には皐月賞をリユウズキで勝ちクラシック初制覇。その後も80年オペックホース、89年ウィナーズサークルでダービー2勝を挙げるなど第一線で活躍し、騎手会長の要職も務めた。JRA通算1万1906戦1515勝は歴代16位(当時は史上4位)。GI10勝を含む重賞83勝の記録を残した。 93年に騎手を引退し、調教師へ転身。2000、01年の中山グランドジャンプを連覇したゴーカイなどを送り出した。11年に調教師
「水戸黄門」などに出演した俳優の内田勝正さんが1月31日に死去した。享年75歳。内田さんが副理事長を務め、俳優の西田敏行(72)が理事長を務める協同組合・日本俳優連合が発表した。 発表によると、内田さんは10年前に胃がんを患い、小康状態の中で同連合の役職を務めるなど実演家の就業状態の改善に尽力。昨年に体調を崩し、入退院を繰り返していたが、今年1月31日に亡くなった。今月2日に家族葬が営まれた。 内田さんは青山学院大卒業後に劇団「四季」の研究所に入所。その後は劇団「浪曼劇場」を経て、名悪役としてTBS系時代劇「水戸黄門」「大岡越前」やNHK大河ドラマ「信長」などに出演した。
梓みちよさんが死去 76歳、「こんにちは赤ちゃん」、心不全か 4枚 昭和のヒット曲「こんにちは赤ちゃん」で知られる歌手の梓みちよ(あずさ・みちよ、本名・林美千代)さんが亡くなったことが3日、分かった。76歳だった。 所属事務所によると、2月1日に通販番組の生出演を控えており、打ち合わせのため先月29日午後にマネジャーが都内の自宅を訪ねたところ、ベッドで横たわっていたという。救急通報し、死亡が確認された。遺族の意向により、近親者のみで2日に葬儀を執り行った。 梓さんは1943年6月4日生まれ、福岡県出身。福岡女学院を卒業後、宝塚音楽学校に入学。62年に中退し、大手芸能事務所の渡辺プロに入った。翌年、「こんにちは赤ちゃん」が大ヒット。レコードの売り上げは100万枚を超えた。第5回レコード大賞を受賞し、翌年のセンバツ高校野球開会式の行進曲にもなった。 デビュー曲は「ボッサ・ノバでキッス」。他に「
米ロサンゼルス郊外で発生し、NBAロサンゼルス・レイカーズの元スーパースター、コービー・ブライアント氏が死亡したヘリコプター墜落事故現場の様子(2020年1月26日撮影)。(c)AFP/ Mark RALSTON 【1月27日 AFP】米プロバスケットボール(NBA)、ロサンゼルス・レイカーズ(Los Angeles Lakers)の元スーパースター、コービー・ブライアント(Kobe Bryant)氏が26日、米ロサンゼルス郊外で発生したヘリコプター墜落事故で死亡した。警察の発表によると、この事故で5人が犠牲となった。 ロサンゼルス郡保安官事務所によると、墜落事故は26日の朝、霧の中のロサンゼルス西のカラバサス(Calabasas)の傾斜地で発生し、生存者はいなかったという。 米メディアは速報で犠牲者の一人がブライアント氏だと報じ、ロサンゼルスのエリック・ガルセッティ(Eric Garce
英国の人気グループ「モンティ・パイソン」のメンバーとして活躍したテリー・ジョーンズさん=2015年1月、ロンドン/Myung Jung Kim/AP ロンドン(CNN) 英国の人気コメディーグループ「モンティ・パイソン」のメンバーとして活躍したテリー・ジョーンズさんが死去していたことが23日までに分かった。77歳だった。 英PA通信が代理人を引用して報じた。 ジョーンズさんは原発性進行性失語症を患い、近年闘病生活を送っていた。これは認知症性の疾患で、発語に影響を及ぼす。 家族が出した声明によると、ジョーンズさんは18日夜、妻に看取られながら息を引き取った。 ジョーンズさんがモンティ・パイソンの中で演じた役柄は多岐にわたる。女性のキャラクターに扮することも多かった。また「ライフ・オブ・ブライアン」や「人生狂騒曲」といったモンティ・パイソンによる映画では監督を務めた。 1980年代にモンティ・
現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。葬儀は家族葬で営まれる。 2013年限りで中日の監督を退任していた高木さんは、ここまで大きな持病もなく元気に過ごしていた。今月12日には名古屋市のCBCラジオ「坂東サンデー」に出演。パーソナリィーで親友の板東英二さんとともに現役時代の思い出話を披露。同番組では来月15日に名古屋市内でイベントすることも告知されていた。 ▼高木守道(たかぎ・もりみち) 1941(昭和16)年7月17日生まれ。岐阜市出身。県岐阜商から1960年に中日入団。同年5月7日の大洋戦で初打席初本塁打デビュー。63年に50盗塁をマークして盗塁王となり、以降65年、73年と計3度の盗塁王に輝いた。77年の4打数連続本塁打はプロ野球タイ記録。二塁手としてベストナイン7度、ダ
新日ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦。武藤敬司(下)の首をムチで絞め上げるナガサキさん(86年11月) 日本プロレス界の「ケンカ最強男」が天に召された。レジェンドレスラーのケンドー・ナガサキ(本名・桜田一男)さんが12日に死去したことが大日本プロレスから発表され、マット界は深い悲しみに包まれた。71歳だった。北海道・網走刑務所で育ち、海外で名声を獲得した後に日本のプロレス界で活躍。数々の団体を渡り歩き、1995年3月の旗揚げから大日本を支えた功労者は、知る人ぞ知る数々の武勇伝を持つ男だった――。 13日の大日本プロレス後楽園ホール大会ではナガサキさんの追悼セレモニーが行われ、旗揚げ戦から苦楽をともにしたグレート小鹿会長(77)と登坂栄児社長(48)が並び、一番弟子だった谷口裕一(41)が遺影を持った。大日本によると、ナガサキさんは12日に千葉・市原市内の自宅で亡くなっているところを知人に発
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