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kenshi228のブックマーク (1,151)

  • 村上春樹『海辺のカフカ』 - INTERESSE

    海辺のカフカ (上) (新潮文庫) 作者: 村上春樹出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2005/03/01メディア: 文庫購入: 21人 クリック: 1,037回この商品を含むブログ (961件) を見るある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人の心を強く引きつける——少なくともある種の人間の心を強く引きつける。—p. 232 ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか具現できないのだと知ることになる。それは僕を励ましてくれる。—p. 233 全ては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities——まさにそのとおり。逆に言えば想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。—p. 277-278 彼女はおかしそうに笑う。「でも、よくわからないな。そんなの黙って勝手に

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    kenshi228 2013/02/26
  • 「再配分連盟」と「合理的な無関心」: 極東ブログ

    古い話題だとばかり思っていたが、「再配分連盟」と「合理的な無関心」は意外と今後の日政治に重要な視点かもしれないと思い直したので、少し補足的に書いてみよう。話の元はピーター・タスカ『JAPAN2020 不機嫌な時代』(参照)である。 「再配分連盟」とはなにか 「再配分連盟」は、ごく簡単に言えば、利権集団と言ってもよいだろう。ただし、ややこしくなるが、学術概念でもあるので、もう少し丁寧に見てみたい。 「再配分連盟」は"redistributional coalition"の訳語だが、訳語としてこなれているとも思えない。定訳語なのかもしれないが、この概念を提出したマンサー・オルソン(Mancur Olson, Jr.)の、邦訳書『国家興亡論―「集合行為論」からみた盛衰の科学』(参照)のオリジナル"The Rise and Decline of Nations"をネット上のリソースで検索すると

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    kenshi228 2013/01/03
  • Amazon.co.jp: 会津という神話: 〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉 (MINERVA人文・社会科学叢書 158): 田中悟: 本

    Amazon.co.jp: 会津という神話: 〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉 (MINERVA人文・社会科学叢書 158): 田中悟: 本
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    kenshi228 2013/01/03
  • 「会津という神話」書評 呼び戻された「悲劇」の死者|好書好日

    会津という神話 〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉 (MINERVA人文・社会科学叢書) 著者:田中 悟 出版社:ミネルヴァ書房 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理 会津という神話 〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉 [著]田中悟 「いまだに長州への怨念(おんねん)を抱いている」 お酒の席でそんな思いを吐露する会津の人と、私はこれまで何度も出会ってきた。幕末の戊辰戦争で長州軍にさんざん痛めつけられた会津は、いまでもその時の恨みを忘れていないというのである。 しかし、書の著者はそのような感情は戦後になって高揚したもので、戦前・戦中の会津では、長州人と同じ「勤皇精神」の持ち主だという思いが大勢を占めていたという。「長州への怨念」は、戦後に「無垢(むく)な敗者」「近代日の被害者」というアイデンティティーを獲得する過程で、あらためて喚起され直した感情だというのである。 戊辰戦争の死者は、

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    kenshi228 2013/01/03
  • 一人で読めて大抵のことは載っている「講座」もの全リスト 読書猿Classic: between / beyond readers

    「講座」もの、と呼ばれるシリーズ物の出版物がある。 シリーズ名に「○○講座」とか「講座××」と付いているのがそれだ。そう名乗らないものもある。 出版社によって、いくらか違いはあるが、ある時点での当該分野の研究成果を整理して示すことを目指した企画ものと考えてよい。 読み手の立場に立てば次のようになる。 「講座」ものとは、その分野で何が問題であり、何が分かっていて、どんな未解決の課題があるのか、その学問のコンテンツとコンテキストを、第一人者たちがざっくりと、しかし紙面の制限をあまり受けずに、紹介してくれている出版物だ。 はじめての分野に挑むなら、その分野について「講座」ものがないか、チェックすることをお勧めする。 以下の記事で紹介したself-containedな(必要なものはその中に全部書いてある)教科書は日ではあまり出版されないが、その欠けているところを実質的にカバーしているのが「講座」

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    kenshi228 2013/01/03
  • 1年あれば学べること/毎日それを飛び越えるための工夫とブックリスト

    Author:くるぶし(読書猿) twitter:@kurubushi_rm カテゴリ別記事一覧 新しいが出ました。 読書猿『独学大全』ダイヤモンド社 2020/9/29書籍版刊行、電子書籍10/21配信。 ISBN-13 : 978-4478108536 2021/06/02 11刷決定 累計200,000部(紙+電子) 2022/10/26 14刷決定 累計260,000部(紙+電子) 紀伊國屋じんぶん大賞2021 第3位 アンダー29.5人文書大賞2021 新刊部門 第1位 第2の著作です。 2017/11/20刊行、4刷まで来ました。 読書猿 (著) 『問題解決大全』 ISBN:978-4894517806 2017/12/18 電書出ました。 Kindle版・楽天Kobo版・iBooks版 韓国語版 『문제해결 대전』、繁体字版『線性VS環狀思考』も出ています。 こちらは10刷

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    kenshi228 2013/01/03
  • 【手帖】岩波書店が創立100周年記念企画 - MSN産経ニュース

    大正2(1913)年の創業から来年で100周年を迎える岩波書店は、平成25年初頭から記念企画の刊行を始める。 主要企画は5つ。来年1月にスタートする「創業百年記念文芸」は、純文学からエンターテインメントまで、幅広い現代作家の書き下ろし文芸作品を中心に展開。丸山健二さんの小説『我、涙してうずくまり』(来年1月刊)、出久根達郎さんの随筆集『隅っこの四季』(同2月刊)などがラインアップに挙がっている。 同社の岡厚取締役は「近年の岩波書店は全集や講座、広辞苑などのイメージが強いが、もともとは夏目漱石の『こゝろ』を出すところから始まった出版社」と話し、創業の原点に立ち返った文芸書の強化路線を打ち出している。 ほか、岩波講座の『日の思想』全8巻(来年4月刊)と『日歴史』全22巻(同11月刊)、約半世紀ぶりの新訳改訂版となる『新版 アリストテレス全集』全20巻+別巻(同10月刊)、定評ある同社の西

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    kenshi228 2013/01/01
  • 日本政治の「原型」 : 池田信夫 blog

    2011年10月17日01:21 カテゴリ政治の「原型」 大学の講義録なんて、普通はとしては読めたものではないが、丸山眞男の講義は単行ぐらいの密度がある。同じ「日政治思想史」の講義でありながら、毎年テーマを変え、詳細なノートを用意している。書は1967年の講義だが、半分近くが「歴史的前提」と題した日文化論にあてられている。ここで「原型」として論じられているのが、のちに「歴史意識の『古層』」で彼が論じたテーマである。呪術の世界にはそれぞれのsituation(場)にそれぞれの精霊が内在している。かまどの神とか、へっついの神とか、厠の神とかいう表象をみよ。だから、特定の場に特定の祭儀が対応することとなり、祭儀自体が多様性をもつ。いいかえれば、「聖なるもの」が多様であって、場に応じて使い分けられることになる。(pp.60-61 強調は原文)彼はこのような日人の状況に依存した行

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    kenshi228 2012/11/27
  • 丸山眞男を読みなおす : 池田信夫 blog

    2009年03月12日22:11 カテゴリ 丸山眞男を読みなおす 丸山眞男は、おそらく戦後の思想家としてもっとも多く語られてきた人物だろう。彼の正式の著作は少ないが、その講義録や座談集まで数多く出版され、いまだに研究書が出される。そこには戦後の「進歩的知識人」の黄金時代へのあこがれもあるのかもしれない。書もその一つで、これまでの多くの研究書とは違って、時事的な「夜店」の部分を捨象し、日政治思想史という「店」の部分に絞って丸山の思想の発展を跡づけたものだ。 しかし初期の代表作である『日政治思想史研究』は、近代化論的な思い込みを荻生徂徠に読み込むもので、文献学的には疑問が多いとされている。丸山が生涯を通じて闘ったのは、彼が晩年の論文「歴史意識の『古層』」で語った日人の精神的原型だった。それは「つぎつぎに・なりゆく・いきほひ」と要約される、超越的な価値観をもたず、その場のなりゆきに流

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    kenshi228 2012/11/24
  • 速い思考と遅い思考 : 池田信夫 blog

    2011年11月12日18:43 カテゴリ 速い思考と遅い思考 書は著者がノーベル賞講演で示した枠組を一般向けに敷衍し、行動経済学をデカルト以来の「意識中心主義」を否定する知的な革命として位置づけるもので、社会科学を学ぶ者すべての読むべき21世紀の古典となるだろう。ナシーム・タレブは、書に最大級の賛辞をささげている。“This is a landmark book in social thought, in the same league as The Wealth of Nations by Adam Smith and The Interpretation of Dreams by Sigmund Freud”もっとも著者はそういう大げさな言葉は使わず、具体的な実験で淡々と「人間が意識的に行動している」という新古典派経済学の神話を反証する。その原因は、脳がきわめて非効率的にできて

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    kenshi228 2012/11/24
  • 速い思考と遅い意思決定 : 池田信夫 blog

    2011年11月13日12:53 カテゴリ科学/文化 速い思考と遅い意思決定 きのう紹介したカーネマンの理論は、いろいろ応用できる。今までアドホックに論じられてきた日人論も、実験で検証できるかもしれない。私の経験した範囲でいうと、テレビ番組の作り方には日人の特異性がよく現れている。 海外のドキュメンタリーを見ると、テンポが速くコメントがびっしり入っていて、情報量が多い。これに対して日のドキュメンタリーはカットが長く、まったり間を置いてコメントが入る。これは番組の作り方がまったく違うからだ。 日以外では、まず全体の時間配分を決めてコメントを書き、同時に映像を編集する。これだと50分の番組は最初から50分で編集するので、並行して作業でき、手直しが少ない。コメントと絵の合わない部分を直す程度だ。これはカーネマンの理論でいうとシステム2の分節言語で編集し、システム1の映像をそれに合わせるも

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    kenshi228 2012/11/24
  • 「まつりごと」の構造 : 池田信夫 blog

    2012年07月28日13:51 カテゴリ法/政治 「まつりごと」の構造 日政治がグダグダになっている原因を「民主主義の不足」に求めて「ネットで直接民主主義」とか「官邸デモで政治を変えよう」などというのはナンセンスだ。ある意味で、日は古来から非常に民主的な国であり、むしろ民主主義の過剰が「非決定」をもたらしているからである。 この点を丸山眞男は論文「政事の構造」や講義で論じている。そのキーワードは、まつりごとである。これを漢字で「政」と書くため、古代の日では祭政一致だったという俗説があるが、日では祭祀と政治は古代から明確に分離されていた。記紀では「まつる」の主語は天皇ではなく、その派遣したヤマトタケルやオホビコノミコトなどの皇子であり、彼らは天皇に職務を委任されて奉仕する(まつる)。つまり日では政治とは、臣下が天皇に奉仕することなのだ。 これは皇帝が権力を独占して国家を支配する

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    kenshi228 2012/11/19
  • 「バリケード」としての法の支配 : 池田信夫 blog

    2012年08月11日17:47 カテゴリ法/政治 「バリケード」としての法の支配 アゴラの書評で取り上げた仲正氏のは、丸山眞男論としてはお粗末だが、「丸山をネタにした雑談」としてはおもしろく読める。中でも重要なのは、法の支配についての丸山の言及である。ヨーロッパにおいて大陸の合理主義が絶対君主による政治的集中(官僚制の形成)を前提とした法治国家(Rechtsstaat)の形成と相即しているとすれば、イギリスの経験論には地方自治の基盤の上に自主的集団の論理として培養された「法の支配」(rule of law)の伝統が照応している。(『日の思想』pp.37-8)一般には法治国家と法の支配は同義に使われるが、丸山は前者を大陸法の系譜、後者を英米法の系譜の概念として区別している。法学プロパーでは、前者を法治主義と呼ぶことが多いようだ。これは近代より古くからある概念で、中国では皇帝の属人的な意

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    kenshi228 2012/11/19
  • 政党政治という幻想 : 池田信夫 blog

    2012年09月02日12:22 カテゴリ法/政治 政党政治という幻想 島田裕巳氏のツイートと同じことを思っていたので、ちょっとメモ。最近の政治を見ていると、政党という単位が機能しなくなっているのがよく分かる。民主党も政権をとるための道具で、政治結社ではなかったようだ。これから、維新など新しい政党が生まれるのだろうが、政党としてのまとまりを維持するのが難しいだろう。きのう松野頼久氏など5人が大阪維新の会に参加すると表明したが、松野氏は「TPPを慎重に考える会」の幹事長だ。「維新八策」で「TPP参加、FTA拡大」を重点政策として掲げる維新の会に参加するのは、政策より選挙で生き残ることが優先だということだろう。維新の会は、こんな政治家ばかり集めてもしょうがないのではないか。 前にも書いたようにdemocracyを「民主主義」という理想ととらえるのは間違いで、それは「民衆支配」であり、その実態は

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    kenshi228 2012/11/19
  • 「自然」から「作為」へ : 池田信夫 blog

    2012年10月07日10:09 カテゴリ 「自然」から「作為」へ 書の初版は1952年、収録されている論文が書かれたのは戦時中だが、いまだに現役だ。もう古典の地位を獲得したといってもいい。私が書を読んだのは学生時代で、当時は「丸山眞男の限界」が語られることが多かったが、最近久しぶりに読み直して、その意外な新しさに感銘を受けた。 たしかに20代で書かれた論文は観念的で、文献学的には疑問もあるが、丸山が一生を通じて追究した「自然」と「作為」という問題が書では鮮明に打ち出されている。ここでは国家を自然の秩序とする朱子学が伊藤仁斎や荻生徂徠によって解体されて居宣長に至る江戸時代の思想史が描かれ、近代社会の質を作為による自発的結社に求める丸山の思想が、ヘーゲルやウェーバーを踏まえて論じられている。 日人が初めて「古層」を超える普遍的な理念と闘ったのが、江戸時代の儒学だった。そこではス

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    kenshi228 2012/11/19
  • 「下克上」の伝統 : 池田信夫 blog

    2012年10月18日01:41 カテゴリ 「下克上」の伝統 日の組織の最大の弊害は年功序列だが、その起源は意外に新しく、戦前は官庁でさえ年功序列ではなかった。「日はタテ社会だ」という人がいるが、中根千枝氏もいうように日の社会はタテの階級関係が弱く、平等主義的なのが特徴だ。日社会がタコツボ的な中間集団にタテ割りになっていてヨコの連携が弱いというのが「タテ社会」の意味である。 これを書は、下が上を支配する「逆方向のタテ社会」だという。江戸時代の大名でも、主君と家臣の上下関係は弱く、主君だけで意思決定はできなかった。家臣のコンセンサスを踏み超える乱心の殿様や急進的な改革をする殿様は、押込によって隠居させられることが珍しくなかった。幕府も主君につねに味方したわけではなく、このように主君の権威が弱いことが「お家騒動」の頻発する原因だった。 日社会は年齢で上下関係をつくらないといけない

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    kenshi228 2012/11/19
  • 市民社会というフィクション - 『フーコー 生権力と統治性』

    ★★★★★(評者)池田信夫 フーコー 生権力と統治性 著者:中山 元 販売元:河出書房新社 発売日:2010-03-17 クチコミを見る ミシェル・フーコーが死去してから四半世紀以上たつが、いまだに彼の全貌はよくわからない。彼の早世によって主著『性の歴史』が途絶し、日では講義録の翻訳も止まっているため、彼の名はいまだに「構造主義」とか「人間の死」などのキャッチフレーズでしか知られていないが、著者も指摘するように、こうしたイメージは誤っている。 特にフーコーの中心テーマだった権力の問題については、彼の方針が二転三転し、まとまった著作を残さなかったため、早すぎた晩年の「空白の8年間」の講義やインタビューなどをたどらないと真意がよくわからない。書はそれを未公刊の草稿まで渉猟し、あちこちに分散しているフーコーの(断片的で一貫していない)権力論を体系的にまとめた労作である。 フーコーといえば、「

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    kenshi228 2012/11/19
  • 自我の源泉 : 池田信夫 blog

    2010年08月16日10:57 カテゴリ科学/文化 自我の源泉 大ベストセラーになったサンデルの師匠、テイラーの主著が20年ぶりに翻訳され、今月末に出ることになった。9975円という値段は一般の読者には無理なので、ビジネスマンには書を要約したラジオ講演、『「ほんもの」という倫理』をおすすめする。 書は訳で700ページもあるが、大部分はよくも悪くも常識的な西洋哲学史のおさらいである。著者はカナダの哲学者だが、昔は新左翼の活動家でヘーゲルの研究者という経歴からもわかるように、近代的自我を自明なものとは考えず、特殊西欧的なイデオロギーととらえ、この人工的な概念がどのようにできたかを明らかにする。 人類は、歴史の圧倒的大部分で数十人から数百人の小集団に組み込まれて暮らしており、王以外の個人名が残ることはきわめて異例だった。その例外が古代ギリシャだが、そこでもプラトンの背後にはポリスという

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    kenshi228 2012/11/19
  • 一揆の原理 : 池田信夫 blog

    2012年10月14日15:43 カテゴリ 一揆の原理 ひところ騒がれた官邸前のデモも、最近は主催者発表で6500人(実数はたぶん数百人)と収束したようだが、こういう大衆運動は歴史的にも珍しくない。その代表が、書のテーマとする一揆である。 一揆というと筵旗を掲げて代官所に押し寄せる江戸時代の百姓一揆を思い浮かべるが、書によればその最盛期は中世で、参加者も百姓だけではなかった。僧兵の行なった強訴や、武士が将軍の住む御所を取り囲んで要求する御所巻も一揆の一種だった。指導者には武士が入っていることも多く、そういう古典的な一揆の最後が島原の乱だった。 歴史学の主流だった唯物史観では、一揆は階級闘争とみられることが多いが、書はこれを否定し、むしろ「一味神水」などの儀式で日常的な共同体と縁を切り、権力に対して訴える一時的な結社のようなものだったとする。網野善彦のいう無縁の世界は、自由だが不安定

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    kenshi228 2012/11/19
  • 美徳なき時代 : 池田信夫 blog

    2011年01月06日11:07 カテゴリ科学/文化 美徳なき時代 日がいま直面している問題は、大きくいえば「啓蒙なき近代化」の挫折だろう。経済発展のためには、自由主義よりも国家資主義のほうが効率的な場合もあるが、経済が成熟すると行き詰まる。社会を自律的に軌道修正するメカニズムを内蔵していないからだ。会社という「家族」で人々を統合する日型コーポラティズムも、残念ながらもはや持続可能ではない。 だとすれば、あらためて啓蒙とは何かを考え直すことは避けられない。書は道徳哲学の観点から啓蒙の失敗を批判し、その現代版としてロールズとノージックを批判して、その後の論争の出発点になったコミュニタリアニズムの原典である(第1版は1981年)。サンデルの議論は書の焼き直しであり、彼のに出てくるアリストテレスの話も書がネタ元だ。 著者(マッキンタイア)によれば、啓蒙は倫理思想としては破産してい

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    kenshi228 2012/11/19