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thinkingとdisasterに関するkenjiro_nのブックマーク (5)

  • 地震雑感 「大丈夫だよ」って言う難しさ - スズコ、考える。

    今回の熊・大分を襲った震災で被災されたみなさまに御見舞い申し上げます。 私も揺れる地域に住んでいるので、直後からTwitter上でたくさんの方にご心配いただき、余震が恐くて眠れない夜の不安を和らげてくれました。当にありがとうございます。 3日ほどは夜も怖くて車中や公民館や頑丈な作りの夫の実家を渡り歩きましたが、幸い我が家やその周辺では被害らしいものはなく週を明けてからは子供たちも登校登園し、日常が再開されています。 いつも通りの毎日、時間軸も色々な用事もほぼ通常通り行われています。仕事も多少影響を受けながらもまぁ流れて行っていて、テレビやラジオやネットからの情報で入ってくる熊や由布の大きな被害に想いを馳せながら、被災者とそうでない人たちの狭間にいるような自分のあり方を時折考えたりしています。 今朝はゆっくりの出社だったので久しぶりにNHKのあさイチを見ながら溜まった洗濯物を片付けてい

    地震雑感 「大丈夫だよ」って言う難しさ - スズコ、考える。
  • 実家が被災した

    実家は熊市中央区だ 親は生きている 家も倒壊はしていない 運がよかったのだろう ただ,親も土日は避難所や車暮らしをしていた 今日はたぶん実家で寝るのかな. 私は関東で会社員をしている 私に今出来ることは何か 飛行機や新幹線が止まっている今,助けに行くのか? 福岡まで飛行機で飛んで,福岡でレンタカーを借りて熊まで親を迎えに行って,福岡に避難させた友人はいる. ただ,私はそこまでやるのか?そこまでする必要は無いと思った. 私にも仕事がある. 正直,きちんと避難をしていれば,命を落とすことは無いだろうと思う. 迎えに行ってあげられない代わりに, 土日は遠くからLINEでサポートをした. 停電が長く,テレビやラジオが使えずに情報を得ることが出来ないと言われた. 土日はずっと家で待機をしてテレビの熊地震のニュースを流しながら パソコンでSNS等の口コミを収集した. 例えば,どこどこのスーパーの

    実家が被災した
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/04/19
    似た者同士として☆をつけさせていただいた。
  • 「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト

    オーストラリアに生まれ、日に40年以上暮らした歴史学者が、2011年3月11日、宮城県で被災した。彼はその日を、そしてそこから4年を、どう過ごし、考えたのか――。

    「人は簡単に『忘れてはいけない』という。でもね......」外国人歴史家が体験した3.11 | ハフポスト
  • 「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」と言うTweetから始まった一連の流れに対する、その場に居た自分の思うところ:THE SHOW MUST GO ON:オルタナティブ・ブログ

    「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」と言うTweetから始まった一連の流れに対する、その場に居た自分の思うところ 前の1月3日の東海道新幹線大混乱を堪能して幕を開けた2014年は波乱の予感?というエントリーでも書いたのですが、例の1月3日の新幹線大混乱の場に私はいました。朝9時半に新神戸駅で呆然と立ち尽くしたところから始まったその日は流石に疲れつつも帰省先からなんとか自宅に戻り、土日はバタバタと諸々用事を済ませている中で「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」という主旨のTweetから大炎上が起きていた事を知りました。 勿論誰が何に対してどんな意見を持とうが自由な訳ですが、色んな意見やら何やらをツラツラと眺めつつ、とりあえず混乱する新神戸で3時間+新大阪駅で2時間弱待って最終的に最終的に臨時ののぞみで新大阪から新横浜まで立って帰ってきた私が知ってる範囲での現場の事を書い

    「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」と言うTweetから始まった一連の流れに対する、その場に居た自分の思うところ:THE SHOW MUST GO ON:オルタナティブ・ブログ
  • 裁きとしての災害――『災害ユートピア』について - 綿野恵太@edoyaneko800

    著者・レベッカ・ソルニットが描き出すのは、災害後に形成される人びとの友愛や協調である。サンフランシスコ大地震(1906)、ハリファックスの爆発事故(1917)、ロンドン大空襲(1940)、メキシコ大地震(1985)、アメリカ同時多発テロ(2001)、ハリケーンカトリーナ(2005)。これらの歴史的災害において、人びとは秩序だった避難を行い、すぐさま救援活動に身を呈し、物資を配給した。一方、政府や軍隊などの官僚組織は機能不全に陥り、また人びとの暴徒化を恐れ、被災者に対して武装するまでにいたった。無実の被災者が略奪者として撃ち殺され、隔離され、十分な救助を与えられないままであった。災害以上に人的な二次災害を引き起こすのは彼らである。ソルニットはそれを「エリートパニック」と呼び、その原因は被災者に対する間違ったイメージにあるという。ハリウッド映画などの災害スペクタクルに描かれるような、混乱した群

    裁きとしての災害――『災害ユートピア』について - 綿野恵太@edoyaneko800
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