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thinkingとanonymousCowardに関するkenjiro_nのブックマーク (2)

  • 「不快なものを俺の視界に入れさせるな」圧が高まってるよな

    Google検索のノイズ問題とか「いろんなページが引っかかって困る」というより 「そもそもノイズが表示されることが我慢できない」という人が多いように感じる。 不快なものが視界に入ってくるたびイライラして仕方ないって感じ。 はてブでもサイトブロック機能やNGワード機能を要望する人が多いし フェミも「ゾーニング」を「俺の視界に入れるな」という意味で使ってるし Twitterでは政敵をスパム報告して潰したりしてるし。 不快なものは「ブロック」する、「ブロック」でも足りなければ「BAN」に追いやる、 そういう「見たくないものを見せるな」っていう圧が高まってる感じがするんだよなあ。 これがキャンセルカルチャーってやつなのかね。 昔は「嫌だけど我慢する」っていうフェーズがあったと思うんだよな。 アドブロックやTwitterのブロック機能が便利すぎて 「見たくないものを消す快感」に慣れちゃったのかな。

    「不快なものを俺の視界に入れさせるな」圧が高まってるよな
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2020/02/21
    タイトルの「」内を前から俺は言ってるが、近年のミソミサ対立は本当に目に余る。「フェミ」とか書いてるあたり匿名ダイアリーを叩きのプラットフォームとして使いたいというやましい欲望が透けて見える。
  • コンテンツと人格のあいだ - やしお

    ネットの掲示板でも、Twitterでも、はてなブックマークでも、誰かをただの「コンテンツ」として扱ってしまう人がどうしてもいる。級友や同僚にはそんな言い方をしないはずの、罵倒や非難を平気で浴びせる光景は日常的に見かける。 コンテンツとして扱われた側は、自分は人格のある人間なんだと憤慨しても、そこには感覚の違いに深い溝がある。 人をコンテンツとして扱う感覚 この前NHKで「炎上弁護士」の特集を見た。ある弁護士がクライアントの依頼で、ネット掲示板への誹謗中傷の書き込み削除の請求をしたところ、その弁護士自身がネット上で誹謗中傷にさらされることになったという事件だった。ネットに留まらず、脅迫の郵便物が届いたり、親族も脅迫されたり、地元商店街に張り紙を貼られたり、お墓に落書きされたりもしたという。 最後に加害者と被害者が直接会って話をする場面が放送された。元加害者は「ネットのキャラクターみたいに感じ

    コンテンツと人格のあいだ - やしお
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/06/11
    件の「ブクマカの軽薄さ」の件は追えていない。当該記事は個人攻撃の意図が強すぎて顕名のブログのエントリとして起こすべきだったと思っていたので同意できないところもある。
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