Kさん | 自称Kくんの嫁 @shisha_story 職場でのパワハラセクハラに悩む人を見かけるたびに、「復讐は何も生まないが、きっちり復讐する人間だという評判は将来の被害から私を守ってくれる」というセリフを思い出す。職場に限らず、人間関係全てに通ずる金言だと思う。 2021-06-30 20:03:04
Kさん | 自称Kくんの嫁 @shisha_story 職場でのパワハラセクハラに悩む人を見かけるたびに、「復讐は何も生まないが、きっちり復讐する人間だという評判は将来の被害から私を守ってくれる」というセリフを思い出す。職場に限らず、人間関係全てに通ずる金言だと思う。 2021-06-30 20:03:04
会社に戻れてよかった約11ヶ月のテレワークを経て、会社通勤に戻った。安心したというのが率直な気持ちだ。もうこれ以上自宅勤務を続けたら、頭がばかになってしまうのではないかと不安にさいなまれていたところだった。朝起きて着替え、玄関を開けて外に出ることがこれほど大事だとは思わなかった。世間的には今後、テレワークの常態化を推進する流れもあると聞くし、たとえば子育て中の夫婦や、性格的に在宅勤務が向いている人にとっては朗報だと思うのだが、個人的にはもう一度自宅勤務を命じられたら、会社の机につっぷして泣いてしまうのではないかと思う。テレワークは二度としたくない。毎朝電車に乗りたいし、会社に行かせてほしいと心の底から懇願する私である。 当初、自分ほどテレワークに向いている人間はいないと思っていた。通勤時間がゼロになり、始業ぎりぎりまで寝ていられる。生活に余裕が生まれ、好きな本を読んだり、趣味のギターを弾い
テロ・紛争解決の専門家で実務家でもある永井陽右さんが「共感」の問題点を考察する連載です。過去6回は思想家や哲学者ら各界の知識人を招き、多角的に議論を深めてきました。識者の意見に触れ、永井さんの思考にも変化が生じます――。 弱者との向き合い方も「人それぞれ」 これまで分野の異なる6人の方々と対談させていただき、「共感」について様々な視点から検討を重ねてきた。それらを通じて私が考えたことは大きく二つある。 一つは、本連載の第1回から第5回で指摘したとおり、共感にはポジティブな面だけでなくネガティブな面が多数存在しているということだ。人は何かに強く共感したとき、視野が狭まりやすい。その延長線上に、共感できない相手に対する攻撃や排除といった暴力が顔を覗(のぞ)かせることもある。 私が共感を巡る大きな問題と考えているのが、この排除に近い行為だ。社会的支援を必要とする弱い立場の人が、世間から共感されな
女子高生と山月記 「虎になる」というフレーズが流行った。 高校時代の話だ。かつて鬼才と呼ばれた男が、己の心に潜む獣に振り回されて虎になる話を習った。重い題材なのにどうにも心にひっかかる上、人間が虎になるという衝撃的展開に驚いた。加えて「尊大な羞恥心」だとか「臆病な自尊心」とかいう妙に語呂の良いワードが登場することから、わたしたちは授業が終わってもこの話を忘れられず、結果「虎になる」というフレーズを局地的に流行らせた。 わたしたちは虎になった。主に葛藤してどうしようもない時や人間関係が煩わしい時、そして自分が嫌いになった時に。具体的に言うならテスト前や恋愛にまつわる他者とのいざこざ、理想と現実の狭間でもがいた時に、現状の気怠さを「ほんと虎になるわあ」と溜息交じりに吐き出したのだ。 仲のいいグループだけで使う暗号のような、気怠さの共有コードのような使い方をしていたのに、いつしか他のグループにも
『正・善・優』を規定することは、反対側に『誤・悪・劣』を作り出すことと、イコールである https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20181004-00099257/news.yahoo.co.jp ↑周辺で、「NHKのような公的な場にキズナアイのようなモノが出て来ると、"男性に媚びる、性的な女性が正しい女性像であり、そうでなければ女性は愛されない"という社会的メッセージが発せられてしまうから駄目だ」という意見を見かけた。 しかしこれは、少々一面的すぎる見方だと思う。 確かに、ある属性や表現や価値観の社会での扱われ方が、社会的メッセージを発するということは、ある。それが公的に採用されたものであれば、その価値観が「正しい」ものだと、社会のお墨付き得ているのだというメッセージを発する効果もあるだろう。 それに沿った「正しい」女性像を現実の女性
ネットの掲示板でも、Twitterでも、はてなブックマークでも、誰かをただの「コンテンツ」として扱ってしまう人がどうしてもいる。級友や同僚にはそんな言い方をしないはずの、罵倒や非難を平気で浴びせる光景は日常的に見かける。 コンテンツとして扱われた側は、自分は人格のある人間なんだと憤慨しても、そこには感覚の違いに深い溝がある。 人をコンテンツとして扱う感覚 この前NHKで「炎上弁護士」の特集を見た。ある弁護士がクライアントの依頼で、ネット掲示板への誹謗中傷の書き込み削除の請求をしたところ、その弁護士自身がネット上で誹謗中傷にさらされることになったという事件だった。ネットに留まらず、脅迫の郵便物が届いたり、親族も脅迫されたり、地元商店街に張り紙を貼られたり、お墓に落書きされたりもしたという。 最後に加害者と被害者が直接会って話をする場面が放送された。元加害者は「ネットのキャラクターみたいに感じ
「いいねいいね病」に罹患し、心優しく「割り算」かまして、「犬の道ドボン」にご用心!:課題解決で陥りやすい3つの思考の罠 「また、いいねいいね病がはじまったか・・・このままいくと、割り算して、犬の道に入っていくな」 ・ ・ ・ 仕事柄、「学生のグループワーク」の様子を見つめている時間が長いです。 立教大学経営学部では、ビジネスリーダーシッププログラムと称して、初年次1年生のうちから、必修科目で学生400名弱に、企業の経営課題を素材としたプロジェクト学習(グループワーク)を課しているためです。僕自身は、このプログラムの統括責任者を仰せつかっています。また2年生の授業の教材開発責任者をつとめており、学生のアシスタント(Student Assistant / Corse Assistant)とともに、教材をつくっています。 ▼ 冒頭申し上げたとおり、経験上、学生のグループワークで、もっとも頻繁に起
togetter.com この『トロッコ問題』、僕はマイケル・サンデル教授がとりあげていたのが印象に残っているのですが、「僕だったら、これは『運命』みたいなものだから、と、自分で線路を切り替えることはないだろうな」と思っていました。僕も「自分で選択すること」の責任をとりたくないのかもしれません。 ただ、もしこれがテレビゲームの中の話であるとか、自分の目の前の出来事ではなくて、現場の状況がみえず、どちらかのスイッチを押すだけであったら、「5人を助ける」のではなかろうか。 fujipon.hatenadiary.com 『トロッコ問題』について、この本には、こう書かれています。 線路の切り替えスイッチのそばにいるあなたは、とんでもない光景を目の当たりにしていました。 あなたの右方向から石をたくさん積んだトロッコが猛スピードで暴走しています。ブレーキが故障しているのか明らかに異常なスピードです。
Twitter上の議論が拗れる理由は色々ありますが、最大の理由は「そもそもナニを論点として、ナニについて話し合い、ナニを決めるのか?」という議論の前提がなく、またソレを参加者間で合意・共有することも出来ないからです。(オープンスペースなので当然ですが) しかもTwitterは、ソノRTの性質上「穏当で複雑な意見より、過激で単純な意見のほうが目立ってしまう」という最悪の構造があります。 その為、Twitterではコノ「ナニを議論しているのか?」と「過激で単純な意見が目立つ」を組み合わせて、容易に「相手のアレな意見を正論で叩き潰して議論に勝利した」というポーズがとれてしまいます。 実際、Twitterで議論してる方の大半は「如何に自陣営に対してウケがいい意見を言うか」「如何に相手陣営が愚かであることを示すか」「相手陣営を嫌がらせ、自陣営の溜飲を下げるか」等の勝利のポーズを誇示するかに終始してお
成人した人間の最低限の処世術として、自分の感情を無闇矢鱈に他人にぶつけない、ぶつけてもどうにもならない、他人はコントロールできない、自分の感情のツケは自分が払うしかないって理解しなければ、社会生活は大変に難しい、と言う前提があると思う。 ところが、世の中には些細なことを粗探ししたり、小さなことで他人を恫喝したり、意識せずにモラハラを働くような(それこそ、「なんで私が怒ってるかわかる?」式の)人間や、逆に他人からの評価が自己評価に直結してて、他人からの承認を集めないと自分を保てない承認欲求モンスターたちが掃いて捨てるほどいる。こう言う人たち は何を考えて生きてるんだろう? 他人を支配したいと言う欲望を抱えているのか? 普通に考えて、自分と他人の精神は別で、他人の精神はコントロールできないなんて当たり前のこと、誰にでも分かりそうなもんじゃないか?自分と他人が未分化なのか?赤ん坊なのか?社会は赤
33歳の関西女です。都内で会社員、そして一児のママをやっています。ツッコミもボケもできないので、ときどき「本当に関西人…?」と疑われること多々。HNはnatukiFM。自宅を森にしたくて、着々と緑化計画を進行中。次にほしい木はゴムの木です。 「じゃあ、一緒に箱根へ日帰りへ行かない?」 と言ったのは彼女だった。 「ほぼ日の塾(実践編)」後の居酒屋にて。 ことの発端は、わたしが箱根から わりと近いところに住んでいるのに、 「一度も行ったことがない」と話したことだった。 彼女はよく箱根へ行っているらしく 「そんなに近いのに行ったことないなんて、もったいない!」 と驚き、冒頭のひと言につながって、 あれよあれよと日帰りでの箱根行きが決まった。 箱根に行きたい気持ちはあった。 だから、彼女の誘いには「行きたいです」と即答した。 けれど、さすがに「ちょっと待てよ…」と 考えずにはいられなかった。 「ほ
33歳の関西女です。都内で会社員、そして一児のママをやっています。ツッコミもボケもできないので、ときどき「本当に関西人…?」と疑われること多々。HNはnatukiFM。自宅を森にしたくて、着々と緑化計画を進行中。次にほしい木はゴムの木です。 そんなことが1年以上続いていたある日、 一通のメールが届いた。 「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンテンツ作りについて学べる 「ほぼ日の塾(80人クラス)」に当選したのだ。 このとき、ちょうど転職が決まっていたこともあり、 気持ち新たに仕事へ向き合うきっかけとして、 とてもうれしい知らせだった。 しかし、そうは問屋が卸さない。 ほかの同僚から、 彼女も「ほぼ日の塾(80人クラス)」に参加すると聞いた。 逃げ切るまで、あともう一歩だったのに! なぜ、しかも「ほぼ日の塾(80人クラス)」で!? とはいえ、当日は彼女とわたしを含めて 80人の参加者がいる。 「ほかの
33歳の関西女です。都内で会社員、そして一児のママをやっています。ツッコミもボケもできないので、ときどき「本当に関西人…?」と疑われること多々。HNはnatukiFM。自宅を森にしたくて、着々と緑化計画を進行中。次にほしい木はゴムの木です。 好きな人がいれば、 嫌いな人もいたりして。 わたしにとって「嫌い」は「好き」と同じく、 一度その気持ちに火がつくと、 もう、どうにも止められなくなってしまう。 ・・・・・ 今回は、わたしの嫌いな人について、 お話したいと思います。 まさか、その「嫌いな人」と2人きりで 旅行することになるなんて 思ってもみなかったんです。 全3回です。 「嫌い」とは、ちょっと乱暴なイメージですが もしよろしければ、お付き合いください。 彼女は、2つ年上の同僚だった。 とはいえ、同じプロジェクトに関わったことがないので、 一緒に仕事をしたことはなかった。 彼女はスラリと背
ここ1年ほど、ブログ間でブックマークを付け合ういわゆる「互助会」という組織?が話題になっていますね。 調べたところどうやらこの「互助会」は、より多くのPV数、あるいはそこから派生するブログ収入を稼ぐために、お互いにブックマークを融通しあってホットエントリーに互いのブログを乗せることを活動の目的としているそうです。 さらにここ数日、互助会ともくされているらしいブログが炎上したらしく、新たに「なぜ互助会のブコメは賛同しかないのか、内容に批判点があるなら諌めるべきではないか」という話題が持ち上がっています。 zaikabou.hatenablog.com 僕自身、互助会の是非やそのあり方等の話題についてはさして興味は無かったのですが、この「なぜ互助会のブコメは賛同しかしないのか」という議論についてはかなり大きな興味を持ちました。 なぜなら当疑問に、以前このブログで「インターネットにおける言葉の暴
Togetter:生徒から「片腕の人の授業は、気持ち悪いので聞きたくない」との声が出たとのこと、職場から連絡があった。その生徒より、その発言を平然と伝えてくる職場の方に腹が立った。にまとめられているつぶやきの中に「子供をこんな考えを持つ子に育てたくない」というコメントがあった。私もそう思ったのだけど、やり方によってはうまくない結果もでちゃうかなと思って、自分の考えをまとめてみる。 口からでる言葉と頭・心で感じていることは必ずしも一致していない このブログでも、大学で学生を指導するときにも「自分の言いたい事が相手に誤解なく伝わるように適切な言葉を使え!」と言い続けている。でも、これは科学の場を含むビジネスの場でのコミュニケーションを想定した話であって、私的な場でのやりとりは話は別。自分が何を考えているのか、何を感じているのかすら自分でわかっていない場合もある。 今も流行っているかどうかわから
有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim 愚痴や不平不満は信頼できる相手にクローズドな場所で面と向かって打ち明けるのがいいと言うけど、そういう相手の居ない孤独な人はネットで爆発して炎上するしかないよなぁ 2015-08-08 14:17:01
映画監督、ノンフィクション作家の森達也さんと、さまざまな世代、立場の人たちとの対話をまとめた『アは「愛国」のア』(森達也著・潮出版社)という本を読んでいたら、こんな話がでてきたんですよ。 森達也:数年前に、ゼミの学生たちと飲みに行ったとき、誰かのギャグに対して他の学生たちが、手を叩きながら笑うことに気づきました。拍手ではなくて、柏手のようにして、笑う時に顔の前で手を叩く。僕たちが若い頃にはなかった習慣です。いつこんな作法が始まったのだろうと不思議だったけれど。 D:言われたらそうですね。でも当たり前のように手を叩いていました。 森:もしかしたら世界的な傾向なのだろうかと思ったこともあった。でも去年。ヨーロッパで学生たちを観察する機会があったけれど、笑うときに手を叩くことはなかった。日本だけかもしれない。そこから推察すると、テレビのお笑い番組の影響なんだと思う。関根勤さんなんかが典型だけど、
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