「フリーソフトウェア」「無料アプリ」の中には便利なものがたくさんあります。しかし、有料のソフトウェアの中にも「無料のコード」が多数内在しています。さまざまなプロトコルを用いてデータを転送するライブラリ「libcurl」とファイルを送受信用コマンドラインツール「cURL」を開発し無料で提供しているダニエル・ステンバーグさんが「オープンソースプロジェクトを公開すること」にまつわる自身のエピソードを語っています。
こんにちは。Findyで副業をしている、@k-kuwaharaです。 様々なツールのソースコードが公開されることが、今や当たり前になってきています。代表的なもので言うと、Swift, Ruby などのプログラミング言語、Angular、React, Vue.js などのJavaScriptフレームワーク、Linux, Android などのOSやディストリビューションが挙げられます。 有償のサービスの多くはクローズドソースではありますが、無償のサービスですとオープンソースのものが増えてきており、オープンソースの文化はより主流になって行くのではないかなと感じています。 エンジニアのキャリアやステップアップを考える上で、コミュニティ活動やOSS活動をすることをおすすめされることはないでしょうか?これにはもちろん理由があります。今回はその理由やメリットをご紹介したいと思います。 ※注意:本記事は
研修などを考えるときに,ずっと感じていたことを書き出してみた. 何か特別新しいことを書いている訳ではないけど,何かしらコンテンツを投下しようとしている人やこれから何か学び始めようとしている方の参考になると,良いように思っている. なお,自身でフリーソフトウェアやOSSを開発した人の学び方ではなく,誰かが作ったフリーソフトウェアやOSSを学ぶ人のお話なので留意ください. OSS時代の学び方とは もうン十年も前からフリーソフトウェアやOSSを組み合わせた開発になっている フリーソフトウェアやOSSは "しょっちゅうリリース" される どこでその "しょっちゅう" に自身の知識やスキルをアプデするかで,コストの種類や金額も変わるよね,というお話 書いているうちに,OSS時代だろうが何だろうが一緒に思えてきた 学びはじめるタイミングで学習者をタイプ分け イノベーター理論で学習を例えると,スッとまと
めーるあどれす ruby -rbase64 -e'puts Base64.decode64 %q(dGFrYW5vMzJAZ21haWwuY29t)' ■ [FLOSS] えっ?FLOSS って過保護に英才教育するものなの?ref. OSS開発の活発さの維持と良いソフトウェア設計の間には緊張関係があるのだろうか? はじめにわたしは別に @tagomoris や @t_wada や @hsbt にケンカを売るつもりでこの文章を書いていないですし、まあ、そういう考えのヤツもいるんだなって思ってくれればそれでいい感じです。 ただ、ネット弁慶というか、思っていることの強さを伝えるためにちょっと語尾が感情的になっていたりする部分があるかもしれない。これから一気に一度で書くつもりなので、そういう語尾がなければないで、それはそれでってことでお願いします。 FLOSS って「ゆりかごから墓場まで。」ってい
会社のブログに「database_rewinderにpull requestを投げた結果」という記事を書きました。 rails の良い所の一つに、豊富なgemによるエコシステムが優れているという点があります。 gemの多くはOSSとしてgithubにそのソースが公開されています。githubにはPull Requestがあります。Pull Request、いい響きですね。世界の名だたるエンジニアの作ったソースコードにPull Requestが送れるだなんて、なんて感動的なのでしょう。 railsを使う企業であれば、そのエコシステムに入る覚悟が必要です。OSSへの貢献が自然とできるような環境で仕事出来る事ということは、railsを使う覚悟のある会社を見定める際の一つの基準になるかも知れません。 OSSに貢献する気持ちとは何でしょう、エコシステムの一員として当事者意識を持って関わるときの喜びを
小飼弾(@dankogai) まずはMOONGIFTさん、10周年おめでとうございます。今調べたら、404 Blog Not Foundも今年の11月が開設で、今年は個人的にも社会的にも節目の年なのかも知れません。 節目といえば、 "Open Source"という言葉も今年の2月3日に0x10歳の誕生日を迎えます。オープンソースのこれまでの沿革を振り返り、これからのことに思いをはせるには絶好のタイミングとも言えます。これまた偶然にも、その8ヶ月後に私は一児の父となりました。私にとって、オープンソースが育っていた月日は娘たちが育っていた日々と重なっています。 ただし同い年の長女とオープンソースには違いが一つあります。「オープンソース的」なものはすでに長らく存在していて、なかったのはオープンソースという名前だけだったのです。 俺のサーバーがこんなに売れないわけがない いわゆるLAMPを構成する
by opensource.com 情報に誰でもアクセスできるようにし、レシピを自由に改造・改変・再配布可能にすることでソフトウェアの発展をより容易にするオープンソースソフトウェアを開発するプロジェクトが世界中に存在しますが、オープンソースのプロジェクトを成功させる上で「根本的にオープンソースのソフトウェアをどう考えるべきなのか?」ということから「どのようなライセンスを使えばいいのか?」ということまで、OpenSolarisの失敗を例にとってエンジニアのBryan Cantrill氏がまとめています。 Corporate Open Source Anti-patterns http://www.slideshare.net/bcantrill/corporate-open-source-antipatterns スライドは以下から見ることが可能です。 2005年にサン・マイクロシステムズが
突然ですが、現在OSASKのリリースについて大幅な方針転換を予定しています。実際にどうするかはこの日記への反響次第ですが、もし特に何もなければ、OSASKの一般公開を永久にやめます。一般公開の必要がなくなればベータもリリースしません。 いろいろ考えたのですが、現在は僕にとってOSASKを一般公開するメリットがありません。いえ、全くないわけではありません。それについては後述します。しかし基本的には、僕がリリースすることで、「早く○○もできるようにしろ」「○○ができないから使えねー」などと言われるだけで、僕にとってのメリットがないのです。僕はそのような文句や要望を言ってほしくてリリースしているのではありません。使いたくない人は使わなければいいのです。将来なんて知りません。僕は僕のペースで作るだけです。 僕が始めてオープンソースに触れた頃、いやそれより前のフリーソフトを初めて使った頃から、僕は作
ふたたび blogger より転載。 私の記憶力は人と比べてかなり適当なので、間違っていたら申し訳ない。 思い返すに、JLS2009の上田さんのセッションでは、自分にとって画期的な1枚のスライドと説明があった。 一つの製品を出すときに、昔は、内容はあまり気にする必要のない些細な部分と、自社のユニークな部分とで構成されていた。が、今日は、あまり気にする必要のない些細な部分と、自社のユニークな部分以外に、製品を構成するのに重要だがユニークになりえない部分があるというのだ。 自分が思うに、市場の要求として、例えばTCP/IPが使えることは多くの製品に強制されつつある。製品は複雑化する一方で、強制されつつある部分も増える一方だ。こういうところは、製品に関わるどの層もあまり関心がない。技術者にしろ、消費者にしろ、そうだ。したがって、経営者としてはここにはOSSを使いコストを削減するのが重要ということ
Latest topics > 理念でおまんま食えるのか? という話 宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! « 拡張勉強会ではなく敢えて拡張機能勉強会と呼びたい Main アクセスカウンタ » 理念でおまんま食えるのか? という話 - May 21, 2007 勉強会の二次会三次会でZINさんとかと話したこと。 Firefox(Mozilla Foundation/Corporation/Japan)って、広めたいの? それとも、広めたくないの? という根本的な問い。目的のために手段を選ばない、という割り切りを何故Mozillaは持とうとしないのか。Mozilla Manifestoのような綺麗事に何故いつまでも拘泥するのか。 思うに、きっ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く