語り口の問題、というものがある。「何を語るかより、誰が語るかだ」という話にも近い。科学という営みは「誰が語っても同じ答えになるもの」に漸近していくものだから、こうした「語り口」に対しては距離感のある学者が多いと思う。もちろん「教育者」として考えるなら、彼らの仕事は人を動かすことなので、「語り口の上手な教師」が人気になる傾向にあるし、それが大学であれば研究費を獲得できたり院生が増えたりして研究リソースの拡大につながるという側面もあるから、語り口と無縁というわけでもないのだけど。 そのジレンマは、僕自身にもある。研究という面で言えば、この数年、内容よりもハッタリ、根拠よりもビジョン、何を言うかよりも誰が言うかが重視される傾向が、ソーシャルメディアの普及とともに強くなり、それがスタートアップにおける独自のハッタリ文化を作り上げたり、「意識高い系」と揶揄されるような人々の振る舞いの自己啓発化を促し