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天気の子に関するiixxxのブックマーク (5)

  • 「天気の子」の真の主題は、Amazon倉庫の労働者のような「システムの犠牲になる個人」だった。

    新海誠監督の「天気の子」をみた。 前作である「君の名は」が一般向けにも非常にわかりやすい作風だったのに対し、今回の天気の子は物凄く読み解きがいのある芯の入った作風で大変に面白かった。 一部では既に話題になってるが、ストーリーの仕立て方がパソコンのビジュアルノベルゲームを感じさせる作りであり、これを一般向けに映画館で放映したことには正直驚愕した。 どう見るかは人それぞれなのだろうけど、僕はこの物語はシステムを念頭において解釈していくのが最も面白いと思った。 以下、順々に僕の解釈を書いていくことにする。 効率の良いシステムを形成する事の代償 私達は暮らしやすさを作り出すためにシステムを構築する。 そこでは逸脱者は基的には受け入れられない。 システムはシステムの中にいるものには優しいが、そこから外れるものにはものすごく冷たくなる。 冒頭の主人公が受ける厳しい境遇は、システム都市東京がまるで彼を

    「天気の子」の真の主題は、Amazon倉庫の労働者のような「システムの犠牲になる個人」だった。
  • 大人になってしまった僕が見た『天気の子』。 - sigekun’s diary

    天気の子』を見た。15年以上前から新海作品を見続けている監督と同世代のファンとしては、見ないという選択肢はない。かつどんな作品であっても受け入れる覚悟で見る訓練を受けている。前作の大ヒットでおそらく予算やリソースについて苦労することはないだろうから、存分に監督の描きたいものを描いたのであれば、それだけで自分事のようにうれしい。 IMAXで見る新海作品は素晴らしかった。絶対見るならIMAXをオススメする。IMAXで見るべき。見ろ。映像への没入感がすごい。スクリーンが天地方向に長いので、天気の描写の美しさを感じるのにとても向いていると思う。あっという間の2時間だった。 だが、残念ながら僕にとって『天気の子』は、主人公や登場人物に全く感情移入することなく、ゆえに主観的でなく客観的にしか見ることができず、自分ごと化できない作品だった。物語を全く感情移入なしで見て、感動したり思い入れを持つことは難

    大人になってしまった僕が見た『天気の子』。 - sigekun’s diary
  • 【ネタバレ・レビュー】30歳女は『天気の子』をどうしても楽しめない。 - ともとはるの「何して遊ぶ?」

    ※※ネタバレ注意してください!!※※ 映画天気の子』を見てきました。 話題作ということもあり、「見てきたよ~」と言うと、大抵「どうだった?おもしろかった!?」と聞かれ、それに対し私が苦手だったーと答えると、なんの答えもなっていないし、ただの気難しいおばさんになってしまうので何が苦手か、ここにはっきりと述べたい。 正直、もう二度と見たくはないし、過去に戻れるならば映画を見る前の自分に「見る意味がない」と助言したい。 何故か。 私はもう30歳で結婚もしていて、ときめきとか、親との確執やら、若者がお金を稼ぐことの大変さ、好きな人のきらきら、自分の存在意義は?・・・みたいな人生の初めの方に起こるイベントはすべて終了した大人だからだ。 苦手に思った点をつらつら書いていきたい。 好きな人に告白して付き合うまでは楽しいけど、付き合ったら大変。 田舎、そんなに嫌? 三葉と瀧くん、いる? スポンサー企業目

    【ネタバレ・レビュー】30歳女は『天気の子』をどうしても楽しめない。 - ともとはるの「何して遊ぶ?」
  • 『天気の子』を批判している人たちへの反論(1)

    ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。 そもそも新海誠は薄っぺらいじゃないか 新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写が薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。 だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写が薄っぺらい」という批判を新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚な人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか? まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生た

    『天気の子』を批判している人たちへの反論(1)
  • 天気の子・雑感 - 四本煙突

    今作の分水嶺を大雑把にまとめてしまうと、「モノか物語か」という二つの選択に収斂するのではないかと思う。物語とは単純な意味でいうストーリーのことを指すけども、例えば、制作者が物語を選んだとき、総じてモノの豊かさは放棄しなければならない。もちろん完全なトレードオフの関係にはないが、新海作品にはとりわけこのような構造があるように思われる。 前作の『君の名は』は、当然物語にウェイトを置いていたわけだが、その主たるギミックが時間によるズレである。その導入によって、男女入れ替わりというコミカルな作劇を損なわない形で、すれ違う主人公とヒロインの緊張関係は保たれていた。映画は、時間という一定の厚みをもつ形態だから、絵画のように同一平面に異なる時制を描くと矛盾したように感じることは起こりえない(その矛盾を解決するには、時間による分節を与えるしかない)。ダ・ヴィンチは、この混乱を回避するために一つの壁面には一

    天気の子・雑感 - 四本煙突
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