震電(しんでん)は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が試作した局地戦闘機である。前翼型の独特な機体形状を持つため「異端の翼」とも呼ばれた[1]。最高速度400ノット(約740 km/h)以上の高速戦闘機の計画で、1945年(昭和20年)6月に試作機が完成、同年8月に試験飛行を行い終戦を迎えた。略符号はJ7W。 1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)頃、海軍航空技術廠(空技廠)飛行機部の鶴野正敬[2]技術大尉は従来型戦闘機の限界性能を大幅に上回る革新的な戦闘機の開発を目指し、前翼型戦闘機を構想し、研究を行っていた[3][要ページ番号]。また、1943年(昭和18年)、軍令部参謀に着任した源田実中佐は、零戦が既に敵から十分研究されているであろうと考え、零戦とは別に異なる画期的な戦闘機を求めて高速戦闘機を模索していたが、技術的に提案する知識がなかった。しかし、同じ考えを持つ鶴野の