劇団「夢の遊眠社」に所属時に、同じく団員だった藤岡太郎と知り合い、お笑いコンビ「山田太郎」を結成。1987年12月に劇団を退団後、プロダクション人力舎に移籍しコンビ名を「東風」(とんぷう)と改名するも、人知れず解散。解散後、ケイダッシュに移籍しTETSUとパフォーマンス・ユニット「CLOSET FREAK」として中京テレビ放送『クローゼットフリークショー』に出演。シングル「JUNK」、アルバム「1G」(以上日本コロムビア)「まぜるな危険」(ソニー)をリリースした。 1999年からは、『やまだひさしのラジアンリミテッド』(TOKYO FM)のDJとして全国区デビューし、2000年5月に第37回ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞を受賞した。トーク内容は下ネタが多分に含まれており、リスナーに対しては、たとえ未成年の女性であっても必ずと言っていいほど下ネタを振る。また、オフィシャルサイト