2002年3月20日発売の「週刊新潮」が報道した、辻元の秘書給与流用疑惑内容は以下の通りである。 照屋寛徳参院議員(社民党所属)の常勤の私設秘書Hを、辻元は自身の政策担当秘書とした。 その後、H秘書は照屋の公設第二秘書になったため、辻元の政策担当秘書を辞任した。 その間のH秘書は「辻元の秘書」としての勤務実態がないにもかかわらず、辻元は「辻元の政策担当秘書としての給与」を月5万円の「名義料」としてH秘書に支払い、それ以外を流用した。 2003年11月20日の初公判における検察の冒頭陳述は以下の通り。 1996年10月の衆院選で当選した辻元が資金不足のため政策秘書を採用できないことを知った土井たか子社民党党首の五島昌子政策秘書は、面識のあった元秘書Bに名義貸しを依頼し内諾を得る。その後五島から話を持ちかけられた辻元は躊躇ったものの受け入れ、自身の秘書Aとともに元秘書に依頼し承諾を得る。11月