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止観 - Wikipedia
止観(しかん、梵: śamatha-vipaśyanā[1])、シャマタ・ヴィパッサナーとは、仏教の瞑想の主なものであ... 止観(しかん、梵: śamatha-vipaśyanā[1])、シャマタ・ヴィパッサナーとは、仏教の瞑想の主なものであり、ヨーガ行である。サンスクリット語から奢摩他・毘鉢舎那と音写されることもある。初期仏教においては、瞑想はジャーナ(jhāna)、サマーディ(samādhi)との語を用いており、止観とは呼ばれていなかった[2]。時代を経て仏教は、瞑想を止と観の二つに大別するようになった[2]。 止(シャマタ:奢摩他)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。また観(ヴィパシヤナ、毘鉢舎那)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。このように、止は禅定に当たり、観は智慧に相当している。ブッダは止により、人間の苦の根本原因が無明であることを自覚し、十二因縁を順逆に観想する観によって無明を脱したとされる[3]。 仏教のヨーガ行は、止と観が同時