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アステカ王国が「ひたすら太陽神に生贄を捧げていた」のは本当なのか(井上 幸孝)
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アステカ王国が「ひたすら太陽神に生贄を捧げていた」のは本当なのか(井上 幸孝)
アステカ王国は、南米のインカ帝国とほぼ同時期の15~16世紀に、メキシコから中南米北部にかけてのメソ... アステカ王国は、南米のインカ帝国とほぼ同時期の15~16世紀に、メキシコから中南米北部にかけてのメソアメリカに栄えた。 ここで便宜上「アステカ王国」という呼称を用いるものの、これは学術的に正確な用語ではない。また、王国と聞くと、唯一の王を頂く統一国家を想像してしまうが、アステカ王国の実態はそうではなく、3つの都市国家が連合したものだった。 アステカ王国はこれまで西洋文化の価値観や解釈に基づいて描写されてきた。それは「他者のイメージ」にすぎない。 アステカ王国の「真の姿」を客観的にとらえてみよう。 【※本記事は、青山和夫編『古代アメリカ文明 マヤ・アステカ・ナスカ・インカの実像』(12月14日発売)から抜粋・編集したものです。】 ルネサンスと同時代 アステカ王国は、西洋との接触以前にアメリカ大陸で独自に発展した二大文明のうちの一つであるメソアメリカ文明圏に栄えた。それゆえ、「古アメリカ」や