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もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 下の「身内」を「殺害」して、上の者はおめおめ生きのびた。 -保阪正康『「特攻」と日本人』、大貫健一郎, 渡辺考『特攻隊振武寮』-
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もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) 下の「身内」を「殺害」して、上の者はおめおめ生きのびた。 -保阪正康『「特攻」と日本人』、大貫健一郎, 渡辺考『特攻隊振武寮』-
保阪正康『「特攻」と日本人』と、大貫健一郎, 渡辺考『特攻隊振武寮』を読んだ。 気になった所だけ。 ... 保阪正康『「特攻」と日本人』と、大貫健一郎, 渡辺考『特攻隊振武寮』を読んだ。 気になった所だけ。 まずは『「特攻」と日本人』。 著者の見解について、幾つか気になる点はあるのだが、それでも賛同できる部分は多かった。 昭和十九年の十月、台湾沖航空戦でのこと。 第二十六航空司令官の有馬正文は、艦隊に特攻して戦死する。 著者曰く、「日本で初めての特攻作戦を行ったのは、実は四十九歳の有馬だったのである。」(171、2頁) しかし、有馬の体当たり攻撃は、一般に広まることはなかった。 有馬は軍事指導層であり、もしこの考え方が一般的だったら、軍事指導者たちが率先して体当たり攻撃をしなければならなかったからである、と著者は書いている。 指導者たちは、特攻しない。 陸軍航空本部は、昭和20年5月末に知覧基地で「特攻隊員の心理調査」を密かに実施している(56頁)。 戦争の最終段階になっても「ますます決心をなす
2013/10/02 リンク