バンダイ ホビー事業部が新たに展開する「Figure-riseLABO ホシノ・フミナ」が「これはすごい」と話題になっています。一部では「フィギュア界を揺るがす大事件」との声も。 今回発表された「Figure-riseLABO」は、“バンダイが持つプラモデルの成形技術を発展させ、これまでのフィギュアやプラモデルでは実現できなかった表現を研究し、実現に向けて進化させていくプロジェクト”(公式サイトより)。従来のキャラクタープラモデルシリーズ「Figure-riseBust」をさらに進化させたものになります。 Figure-riseLABO ホシノ・フミナ(「Figure-riseLABO」公式サイトより) 今回発表された第1弾「ホシノ・フミナ」では、研究テーマとして“肌の質感”の再現にこだわっているのが特徴。肌パーツを二層構造にし、肌色の下からピンクやオレンジのパーツを透けさせることで、着色
誰もが日本史の授業で習ったであろう「弥生式土器」。その優品が集うレアな展覧会『弥生の美』が、「兵庫陶芸美術館」(兵庫県篠山市)で3月10日からおこなわれます。 紀元前10世紀頃から紀元後3世紀頃までとされる弥生時代。その存在が明らかになったのは、明治17年(1884)に東京の向ヶ岡弥生町(現・文京区弥生)で発見された球形の土器がきっかけでした。その土器は、明治10年(1877)にエドワード・S・モースによって発見された縄文土器とは異なる特徴を持っており、発見場所の地名から「弥生式土器」と呼ばれるようになりました。そしてこの土器が用いられた時代や文化を、「弥生時代」 「弥生文化」と呼んでいます。 人面付壺形土器(重要文化財) 泉坂下遺跡(茨城県常陸大宮市)出土 弥生時代中期 常陸大宮市教育委員会 弥生式土器は、縄文土器より薄手で硬く、明るい褐色をしています。また、躍動的なデザインの縄文土器に
第2次大戦後(20世紀後半)の日本で花開いた前衛陶芸の第一人者、熊倉順吉。その彼の仕事を、現代の若手作家とともに紹介する展覧会が、3月10日より「滋賀県立陶芸の森」(甲賀市信楽町)でおこなわれます。 熊倉順吉は1920年に京都で生まれ、1957年に走泥社(前衛陶芸のパイオニア的グループ)の同人となって、新時代にふさわしい陶芸表現に取り組みました。真の伝統とは社会に根差した実験的・創造的精神であるとした彼は、音楽のジャズから多大な影響を受け、ジャズの精神を陶芸で表現するなど新しい表現を生み出しています。また彼は1959年に「滋賀県立信楽窯業試験場」の嘱託となり、信楽陶器のデザイン指導に携わりました。1960年代には火鉢の販売が低迷する中、大型ロクロの技術を生かした庭園陶器をデザインし、新しい信楽焼の発信にも尽力しています。 福岡佑梨《とをひらう》2017年 本展では熊倉順吉の前衛陶芸と、19
1964年大阪生まれ、福井育ち。小1のとき読書と読みかじりを人に教える快感に目覚め、駿台予備校では教えることの技術に衝撃を受ける。東京大学 理学部物理学科卒業後19年半、BCG、アクセンチュアで戦略コンサルタントとして働く。2003年から06年までアクセンチュア 戦略グループ統括。途中、INSEADでMBA修了。 2006年から教育の世界に転じ、社会人教育と同時に、子どもたち・親たち・教員向けの授業や講演に全国を飛び回る。「決める力」「発想力」と「生きる力」をテーマに毎年8000人以上と接している。現在K.I.T.(金沢工業大学)虎ノ門大学院 教授(専攻副主任 MBA担当)の他に、早稲田大学ビジネススクール、女子栄養大学で客員教授、放課後NPO アフタースクール及びNPO法人 3keys 理事を務める。 著書多数。『一瞬で大切なことを伝える技術』(かんき出版)は啓文堂書店2012ビジネス書
キャンバス一杯に塗料がまき散らされ、一見すると何が描いてあるのかわからないような絵画を美術館や教科書で見たことがある人は多いでしょう。そんなアクション・ペインティングという絵画表現を用いた、20世紀アメリカを代表する芸術家ジャクソン・ポロックに焦点を当てたムービーが、YouTubeで公開されています。 The Case for Jackson Pollock | The Art Assignment | PBS Digital Studios ポロックがキャンバスに塗料をまき散らすような絵画を製作し始めたのは、1947年のこと。「狂っている」と感じる人もいましたが、影響力のある人々は「天才だ」と評しました。 現在、ポロックの絵画は5000万ドル(約55億円)を超える高値で取引されるものもあります。 ポロックは1912年にアメリカのワイオミング州で生まれました。 ロサンゼルスの高校に通い、1
東京 — 秋のアート・シーズンもたけなわ。世界的に活躍している村上隆も東京へ戻ってきて自身のギャラリーKaikai Kiki Galleryでのアンセルム・ライラの日本初の個展を手掛け、さらに第19回目となる芸術祭GEISAIを主催したばかり。 これらのイベントは村上の活動の一部に過ぎず、この多彩かつ多忙なアーティストは他にも色々な分野で活躍している。最近では上記ドイツ人アーティストのアンセルム・ライラがキュレーターを務める6人の若手アーティストによる作品展を自身がプロデュースするアート雑貨店兼ギャラリーHidari Zingaro(左甚蛾狼)で開催している(この名前は江戸初期の伝説的彫刻師左甚五郎に由来)。出展アーティスト6人のなかには、村上の最も「チャレンジングな」生徒も混じっている。 この雑貨店兼ギャラリーは、オタクの聖地とも言われマンガ、フィギュア、コスプレ衣装、アニメやゲーム関連
京都国立博物館で開催中の「日蓮と法華の名宝―華ひらく京都町衆文化」では、琳派や狩野派の手による華やかな法華芸術が注目を集めています。展覧会の監修を担当された立正大学名誉教授の中尾堯(たかし)氏に、日蓮宗と京都の芸術家たちとの意外な関係についてうかがいました。 ――今回の展覧会で、狩野元信、長谷川等伯、本阿弥光悦〔ほんあみこうえつ〕、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山〔けんざん〕ら、そうそうたる顔ぶれの京都の芸術家たちが法華信仰者だったことを知り、驚きました。 中尾教授:芸術家だけでなく、京都の町衆の多くが日蓮宗(法華宗)だったんですよ。京都に日蓮宗が広まったのは14世紀の初頭、日蓮の孫弟子にあたる日像が布教活動を行ったのがきっかけですが、15世紀半ばになると日親が登場し、町衆のみならず公家の間にも信徒が増え、やがて「二十一本山」が洛中に甍〔いらか〕を競うほど盛んになります。16世紀の終り頃には上
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