古い話だが、何度も書かねばならないことがある。昭和42年、産経新聞は北京に派遣していた記者を中国当局により追放された。日中間の国交が樹立される前、中国に文化大革命の嵐が吹き荒れているころで、毎日新聞、西日本新聞と同時だった。 ▼理由ははっきりしている。他社に比べ3社が文革について、熱心に伝えていたことだ。特に産経の報道は文革が革命の名を借りた国内の権力闘争であることを浮き彫りにしていた。追放はそのことを覆い隠そうという国ぐるみの「取材拒否」といってよかった。 ▼それほどのスケールではないが、産経新聞がまたも取材拒否された。4月から実施予定の高校無償化で、朝鮮学校を除外しようとする動きが政府内にでてきた。これに対し朝鮮学校などが記者会見を開いた。それを聞きに行くと「招待状を送っていないから」と断られたのだ。 ▼「招待」されたメディアの報道を見ると、会見では「不当な差別だ」と訴えたらしい。「学