パッケージベンダーのエンジニアとして配属された僕は、とある機能の速度改善を任された。当時開発経験0・Javaってなに?状態だった僕。事の大きさもわからないのでとりあえず全力でやるかと思い、とにかく勉強して改善することにした。
昼間の熱気がそのまま居座ったような、蒸し暑いある夏の日の深夜。 突然、アパートの通路に面した明り取りの窓が開く音が聞こえた。 「……えっ、誰?」 眠い目をこじ開けると、暗闇のなかに、通路の暗い蛍光灯に逆光で映し出された男の影が見えた。背丈よりも高いところにある窓によじ登り、男はすでに部屋の中に入ろうとしている。 「誰!」 もう一度、今度は少し大きな声で聞いた。 「Mだよ。悪いが今晩泊めてもらえないか……」 Mは僕と同じ大学の、3歳ほど年上の先輩だった。新左翼系セクトに所属しており、活動家としてそれなりに名前を知られていた。決して親しい間柄というわけではない。そのMが突然、それも深夜の1時をまわった時間に訪ねてきたのだ。 「Mさん、こんな時間にどうしたの?」 「いや、ちょっと事情があってな。行くところがないんだよ」 部屋の灯りをつけると、黒縁のメガネをかけ無精髭で覆われた顔がニヤリと笑った。
こんにちは! WEBの仕事をしながら世界を旅している阪口といいます。 2012年7月に出国以降、東南アジアとヨーロッパの7ヶ国に住みつき、現在も旅をしながら、旅資金を稼ぐ生活を続けています。 しかし三年半前、僕は鬱病で仕事を辞め、起き上がることもできない状態にいました。今日は、鬱病で寝たきりの状態から、どうやって世界を飛び回る力をつけたのか、お話させていただきます。 ※この話は2014年4月、朝日新聞出版より出版されました。 ⇒「うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を自由に飛び回るようになった話」 2010年、寝たきりで迎えた、23才の夏。 2010年の23歳の夏。 社会人二年目で鬱病になった僕は、自殺未遂をして身体がおかしくなり、起き上がることすらできなくなっていました。 それまで僕は、小説家とミュージシャンを目指して奮闘していたのですが、将来が見えない不安と、才能のなさに諦
こんにちは! 個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。(詳しい経緯は「鬱病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。」で書いてます) そのとき、同じアパートで暮らしていた、とあるヤクザの元幹部である「中條さん(仮名)」という方にお世話になり、「仕事」というものについて、人生の指針となるアドバイスをいただきました。今日は、そのときのお話をシェアさせていただきます。 1泊1200円、三畳一間の部屋に籠城し、成果の出ない仕事に励む日々。 当時、僕は1泊1200円・三畳一間のカビ臭い部屋に籠城しながら、延々とWEBサイトを作り続ける生活を送っていた。 写真のとおり、机を買うお金もなかったので、BOOK-OFFで
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