1938年(昭和13年)に帝国陸軍は、中島飛行機に対して新型重爆撃機キ49の開発を命じた。同時に三菱重工業に対しても、重爆撃機キ50の試作を命じたが、こちらは計画だけで中止となった。陸軍からの指示は、 戦闘機の擁護を必要としないため500km/h超の最高速度を有すること。 防御武装の強化。具体的には、20mm機関砲(ホ1)の搭載と尾部銃座の設置。 航続距離3,000km以上。 爆弾搭載量は1,000kg。 で、いずれも九七式重爆を上回る性能を要求されることとなった。 中島ではこの過酷な要求に各種の工夫をもって取り組み、1939年(昭和14年)8月に試作第1号機を完成させた。翌月から審査が開始されたが、その後エンジンの強化を含む各種の改修を施した試作機2機と増加試作機7機が完成した。そして、1941年(昭和16年)3月に一〇〇式重爆撃機(一型:キ49-I)として制式採用された。 後継機は四式