ということをずっと考えてたけど、ネット上では同様の意見が全く見当たらないので書いてみる。 当然ネタバレはするのでご注意。 オリジナルのひぐらしでは、殺人を犯す側に転落しても踏み止まっても、登場人物のパーソナリティ自体は一貫していた気がするんですよ。 こいつは残忍な殺人鬼だけど、同時に愛すべき人間である、みたいな。 うじ湧き病の特効薬を寄越せと叫んでレナを撲殺し、梨花ちゃんの脳を啜る圭一に愛すべき人間の要素あるか? 同時に、オリジナルにあったテーマを否定しているのも気になる点。 鬼隠し編は「自分を信じてと言ってくれたレナをあんな形で疑ってはいけなかった」というのがテーマになっていると思うけど、新ひぐらし見ると、そんな信頼にはレナは値しないし。 村のためと言って梨花ちゃんをボコボコにして沼に沈めることも厭わない喜一郎は正しく、目明し編の詩音が考えた悟史くんの仇じゃないの? ひぐらし既修者の意表