曹植の異母弟曹沖の死について。 曹沖といえば「天下の神童」であることは、三国志ファンの多くの方がご存知だと思います。そして、彼は曹操が最も愛した息子でした。 大抵の本に、曹沖は196年に生まれ208年に没したと書いてあるようです。これは正史の記述を根拠にしているわけですが、正史を読み直してみると、実は「208年に没した」とは明言していないようです。 年十三,建安十三年疾病,太祖親為請命。及亡,哀甚。(「武文世王公伝」) つまり、208年は病を得た年ですが、亡くなったのも同じ年と断言できる書き方ではありません。 歴史ではなく文学において、「曹沖は208年ではなく210年に亡くなった」という説があります。曹丕が残した曹沖への哀悼文(『曹蒼舒誄』)では、曹沖の没年が「建安12年(『藝文類聚』)」あるいは「建安15年(『古文苑』)」となっています。この件に関して、成瀬哲生氏の論文「曹丕年譜ノート」