前回の続き。水伝はトンデモだということはわかったとしよう。なぜ科学にそんな風に誰かの飯の種を切って捨てる権利があるのだろう。 何が正しくて何が間違っているか判断する方法は色々ある(あるいはあった)。昔も今も人気がある方法に「真理は聖なる本に書かれている」というものがある。「優れた哲学者の魂が考えて考えて考えぬけば真理に到達できる」とする方法も昔はあった。だが結局は「みんなで検証を何度も繰り返せば長い目で見れば真理に近づくことが期待できる」という科学の方法が勝ち残った。 現代の日本のような先進国においては、科学が何が正しくて何が間違っているかを判断する唯一絶対の権利を握っていることは、もはや当たり前すぎてほとんど意識されもしない。輸血は大罪だと信じる外科医は職を追われるしだろうし、祈れば死体が生き返ると思って家に放置していたら逮捕されるだろうし、人を大勢殺して沢山の魂をあの世に送らないと