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RIPに関するt0moriのブックマーク (13)

  • 『高木弘樹くんが死んだ』

    ファンの人はネットの情報などで知っているかと思うが、アニメーターの高木弘樹君が、2月2日に急死した。 インフルエンザで高熱がある時に風呂に入って、溺死したという。 高木君は確か、おれより数カ月あとくらいに亜細亜堂に入ってきた。遅くとも、おれが「魔法の天使クリィミーマミ」の演出に入る頃には原画になっていた。「クリィミーマミ」は一年間の放送で、おれはその間ずっと絵コンテと演出をやっていた。すべて亜細亜堂のグロス話数だったので、結果的に彼はその全話で原画を担当してくれた。 印象に残っている彼の原画パートは色々ある。フラッシュダンスの話で二頭身の優が色々コスプレするシーンとか、「マリアンの瞳」という映画の話でトラックが電話ボックスに突っ込むところとか、めぐみが死ぬくだりとか。ピアニストの話での踏切のシーンとか、第50話では車が首都高を延々走ってる箇所や、何回転も回る訳の分からん回り込みとかね。OV

    『高木弘樹くんが死んだ』
    t0mori
    t0mori 2018/02/22
    私もお通夜に駆けつけましたが、本当に突然の事でまったく残念……。
  • クレージー・ワンへの讃歌

    [ジョブズ自身のナレーションで:YouTube] [Apple Think Different ad (1997) | YouTube] 世界が Steve Jobs を失ったことについて、MG Siegler が洞察力に充ちた素晴らしい文章を書いている。 TechCrunch: “Here’s To The Crazy One” by MG Siegler: 08 October 2011 TechCrunch Japan: “クレイジーな人たちに乾杯” by MG Siegler: 08 October 2011[Nob Takahashi 訳] 以下、日語訳はすべて Nob Takahashi 氏訳をそのまま使わせていただいた。 *     *     * 「The Crazy Ones」(クレージーなひとたち)はアップル初期のコマーシャル「Think Different」で有名に

    クレージー・ワンへの讃歌
    t0mori
    t0mori 2011/10/11
    なんだか改めて泣けてしまった。
  • 世界のメディアの一面を飾ったジョブズ氏の悲報

    ジョブズ氏の死は世界中で大きなニュースとなり、たくさんの人が涙しました。彼の悲報を彼自身がつくり出したディバイスによって知った人は少なくなかったでしょう。しかし、紙メディアも彼の悲報を一面トップで多くの人に伝えたのです。各紙それぞれの呼び名で敬意を表しています。テック業界の神・アメリカの開拓者・デジタル革命を起こした天才等々、彼に相応しい呼び名で見出しがでています。 800紙以上から米Gizmodoが選んだ一面を紹介します。トップ画はThe Daily News、カリフォルニア州パルアルト。 The San Jose Mercury Newsカリフォルニア州、サンノゼ The Chicago Tribuneイリノイ州、シカゴ RedEyeイリノイ州、シカゴ Diario de Pernambucoブラジル、レシフェ United Evening News台湾、台北 The Examiner

  • 雑文 - finalventの日記

    スティーブ・ジョブズが亡くなって、その名講演の言葉をなんども見かけた。あれである、「もし今日が自分の人生の最後の日だとしたら、今日するはずのことを私は当にやりたいだろうか?」 英語だと、"If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?" (参照) 人生は限られているし、望んだ人生を生きられる人も少ないから、この手の言葉が心に刺さるのもしかたがないなと思う。それにいずれ、だれにも、人生の最後の日は来る。 もうちょっと引用すると、その一文とは違う含意も見えてくる。 "I've looked in the mirror every morning and asked myself: "If today were the last day of my life, woul

    雑文 - finalventの日記
  • ジョブズ最後の日々

    [自宅前を飾る弔意の品々:photo] Steve Jobs の晩年について NY タイムズが書いている NYTimes.com: “With Time Running Short, Steve Jobs Managed His Farewells” by Charles Duhigg: 06 October 2011 *     *     * 最後の別れ 何年もガンと戦ってきた Steven P. Jobs は残された時間がなくなってきたことを2月に知った。限られた知り合いに彼は伝えた。彼らは次々に他のひとに囁いた。そうして(Jobs 宅への)巡礼が始まった。 In February, Steven P. Jobs had learned that, after years of fighting cancer, his time was becoming shorter. He qu

    ジョブズ最後の日々
  • アップル製品で作られたスティーブ・ジョブズ肖像画 | ロケットニュース24

    アップル元CEOスティーブ・ジョブズ氏が現地時間10月5日に亡くなったが、現在でも多くの業界人やファンらがネット上にコメントを残している。 この画像もおそらく、ファンによるものだろう。2011年10月5日にflickr上に公開されたこの画像は、今までジョブズが関わった製品で並べられ、ジョブズの肖像画が作られている。まさしくアートだ。 そして、この肖像画を見た海外のユーザーからも「すばらしい」「ジョブズの魂はアップルに宿る」「サンキュー、スティーブ」など多くのコメントが寄せられている。 今日はiPhone4Sの予約日。14日発売を求めて量販店やショップは多くの人で溢れかえった。 参照:flickr:scr34m1ng!

    アップル製品で作られたスティーブ・ジョブズ肖像画 | ロケットニュース24
  • 毀誉褒貶の中を生きたジョブズ:日経ビジネスオンライン

    スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。 先月だったか、彼が米アップルの経営から退く意思を表明した際に流れてきた画像を見て、ある程度の心構えはできていた。「ああ、この痩せ方はただごとではないぞ」 と、その時に、遠くない時期に訃報が届くであろうことを、私は半ば予期した。 が、実際に訃報に接してみると、感慨はまた別だ。直接に面識の無い、いわゆる有名人の死にこれほど深い喪失感を感じるのは、もしかしたらジョン・レノンが死んだ時以来かもしれない。 ジョブズは、私とほぼ同世代(満年齢で1年3カ月、日流の学年で言うと2学年ジョブズが上ということになる)なのだが、個人的にはあんまりそういうふうに感じたことは無い。ずっと見上げてきた存在だったからかもしれない。 彼の名前をはじめて聞いたのは、1980年代のはじめ頃だ。 当時出入りしていたコンピュータゲーム雑誌(「遊撃手」)の編集部には、「AppleII」が何台

    毀誉褒貶の中を生きたジョブズ:日経ビジネスオンライン
  • ジョブズの死を知って(談話 林信行) - 週刊アスキー

    ジョブズの死は今朝の会中、iPhoneが鳴り続けていたので「何かあったのかな?」と、後にTwitterを見て知りました。ショックでした。これまでも誤報が幾度かあったので今回もそう思いたかったのですが、信頼できるメディアに掲載されていたので、間違いないと確信しました。それにしても早すぎます。当に残念です。 私がスティーブ・ジョブズと直接話したなかでも印象に残っているのは、最後のJDC(日開発者会議、現在はWWDCに統合)があった1997年、(JDCを)どうしてやめるんだと詰め寄ったときですね。今思えばそうとう失礼な感じだったと思うのですが、「日市場を大事に思っている。ひとつのカンファレンスに注力し、グローバルに展開することにベストを尽くしたいのだ」と丁寧に応えてくれました。そして後年、その意味がよくわかりました。 ジョブズがアップルに戻ってきてからの15年間、とくにiPhoneを発

    ジョブズの死を知って(談話 林信行) - 週刊アスキー
  • アップルの根底に流れるNeXTという“筋”--ジョブズの先見性とビジョン

    印刷する メールで送る テキスト HTML 電子書籍 PDF ダウンロード テキスト 電子書籍 PDF クリップした記事をMyページから読むことができます Steve Jobsが亡くなった、との知らせが届いた。8月に彼がAppleCEO職を退いた時点から、いや、それ以前よりカヘキシーを想起してしまう痩身ぶりを見るにつけ、この日がそう遠くないことを覚悟してはいた。それでも驚き、動揺してしまうのは、彼のビジョナリーとしての才能に感服しているからなのだろう。“人間とコンピュータの関係”というテーマに限っていえば、彼ほどのビジョンと情熱を兼ね備えた人物は今後しばらく、いや、もう二度と現れないかもしれない。 私は彼と直接言葉を交わしたことはないし、接近したのは2005年8月に東京国際フォーラムで開かれたイベントの基調講演で中央最前列に座っていたときなど、数えるほどだ。その意味で彼は他のコンピュータ

    アップルの根底に流れるNeXTという“筋”--ジョブズの先見性とビジョン
  • スティーヴン・ポール・ジョブズ(1955年2月24日 - 2011年10月5日): 極東ブログ

    スティーヴン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)が亡くなった。悲しいことだなと思った。遠く、彼の泣き声を聞いたようにも思った。 8月に出た英語版Newsweek Sept 5号の表紙は、ジョブズを思わせる黒いシルエットだった。「ああ、これはあまりに強烈なカバーデザインだな。近く亡くなるということを、こう暗示しているのか。日だと、こうもいかないだろう」と思っていた。案の定、日版の表紙は差し替えになっていた。 ジョブズは、シリア人でイスラム教徒の大学院生アブダルファン・ジョン・ジャンダリ(Abdulfattah John Jandali)を父とし、大学院生ジョアン・シンプソン(Joanne Simpson)を母として、未婚の子供として1955年、カリフォルニアに生まれた。 晩年の彼の相貌はシリア人らしさのようなものを感じさせる。父がイスラム教徒という点では、オバマ大統領と

    t0mori
    t0mori 2011/10/07
    歴史に名を残したい、と言うのはある意味、最大の泣き声かも知れない。でも、ちょっとこじつけ……かな。
  • スティーブ・ジョブズの一生 [1955-2011]

    スティーブ・ジョブズ氏、死去。56歳の生涯に幕を閉じました。 「1955-」の後にこんなに早く年代をいれることになるとは思っていませんでした。ギズモードで今までに何度か掲載している「ジョブズ半生記」タイムラインをもう一度まとめました。2011年が追加されています。 このタイムラインが最初に米Gizmodoで作成されたのは、2009年。作成したのは当時の編集長のBrian Lam。バーに置き忘れたiPhone 4試作品事件がある前は、ギズモードとAppleの関係は良好。昔はギズモードを日に何度か読んでいたというジョブズ氏。ジョブズ氏への強い思いを持っていた1人、Lam元編集長がこのタイムラインを作るに至った彼のアツい思いはこちらからどうぞ。 【ジョブズ氏の生涯 Vol.1】スティーブはどのように生まれたか1955年-1965年 【ジョブズ氏の生涯 Vol.2】悪ダチとつるみ、インドで荒修行を

    スティーブ・ジョブズの一生 [1955-2011]
  • Engadget | Technology News & Reviews

    My iPhone 11 is perfectly fine, but the new buttons on the iPhone 16 are compelling

    Engadget | Technology News & Reviews
    t0mori
    t0mori 2011/10/07
    いずこも同じ……。バッカーノ!NYロケハンの時、最終日に寝つけなくて、夜中と言うか明け方、てくてく歩いて行ったのを思い出した。
  • アップルストア渋谷へ献花してきました

    ギズモードを運営しているメディアジーンは渋谷にあるので、すぐ近くのアップルストア渋谷へ献花をしてきました。 お花を用意し終わったのが20時45分頃。アップルストアの閉店は21時なので、「急がないと間に合わない!」という状況の中、ギズ関係者が必死で渋谷を走っていたのは思わず笑みがこぼれてしまいました。大の大人たちが無我夢中に猛ダッシュしてるんですからね。 ストアへ着いたときには、すでに多くの人がいて、献花をした後もその場を離れられず物憂げに立ち尽くしている人もいれば、笑顔で談笑している人がいるなど、各人が思い思いにジョブズを偲んでいるようでした。 アップルストアを囲う人たちを見て、ほんとに愛される人だったんだなぁと思うと同時に、ジョブズが逝ってしまったのを実感しましたよ。 合掌。 (大野恭希)

    アップルストア渋谷へ献花してきました
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