「村山談話」との矛盾が問題なのではない
さて、上述の『週刊新潮』でも「村山談話」が「政府見解」として引き合いに出され、与野党もマスコミも「村山談話と異なる」見解だということを問題にしていますが、そんな生易しいはなしではありません。まず左右を問わずまともな歴史学者なら誰もが認める学問的な通説と異なる陰謀論が展開されている、という点は繰り返し強調してきました。これまたすでにたとえ話をしたように、「ユダヤ資本の陰謀」説を主張する財務省幹部、「エイズは生物兵器」説を主張する厚労省幹部、道徳教育のためにインテリジェント・デザイン説を学校で教えろと(あるいは「アポロは月に行ってない」と)主張する文科省幹部、「火事の原因の数%は人体自然発火現象」と主張する消防庁幹部、「水で走る自動車」(燃料電池のことじゃないですよ)を信じる経済産業省幹部、「狂牛病は日本を隷属化するためのアメリカの陰謀」と主張する農林水産省幹部、「人権擁護法案は朝鮮総連の陰謀」と主張する法務省幹部……みたいなもんです。
それはそれとして、「日本は侵略戦争を行なった」というのは別段「村山談話」に始まる認識ではなく、そもそもサンフランシスコ講和条約締結の際に確認された事柄です。「田母神論文」の主張を認めるということは、単に「村山談話」撤回ですむはなしではなく、講和の枠組みそのものをチャラにするということです。もっぱら「村山談話」をひきあいに出して事足れりとするのは、二重の意味で問題の矮小化であると言うべきでしょう。