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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第364回

業界に痕跡を残して消えたメーカー 牛柄PCで一世風靡したゲートウェイ

2016年07月11日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

 CPU/GPUアップデートを数回挟んだので、久々の「業界に痕跡を残して消えたメーカー」編となる。今回はGateway2000を取り上げたい。

Gateway GP7-600

田舎くささを前面に押し出す
低コストのマーケティングでヒットを飛ばす!

 Gateway2000はもともとTed Waitt氏とMike Hammond氏(2015年没)が1985年に創立した会社である。創業した時期を考えると、同社はまだWaitt氏がアイオワ大学に在学中に設立されたようで、そのためかWaitt氏は結局学士を取得せずに終わっている(そういえばDell ComputerのMichael Dell氏も、結局学位を取得していなかったような気がする)。

 そもそもWaitt氏はアイオワ州のSioux City(スーシティ)生まれ・育ちだったこともあり、会社もやはりSioux City郊外にあった父の農場に場所を借りてのスタートになった。ちなみに創業費用として祖母から1万ドルを借りたそうだ。

 もっとも当初はTIPC Networkという会社名で、Texas Instrumentsのハードウェアやソフトウェアを通販で売るビジネスであった。ちなみに、後に登場するTIPC(Transparent Inter-process Communication)という通信プロトコルとはなんの関係もない。

 翌1986年、同社は社名をGateway2000に変更。1987年にはIBM-PC互換機を販売するビジネスに参入する。いきなりIBM-PC互換機を扱うビジネスに参入しなかったのは、創業時点ではまだIBM-PC互換機の市場がどこまで大きくなるのかWaitt氏自身が確信できず、それもあってまずは手堅くTIの製品を扱う形でビジネスをスタートさせた。最初の年の売上は100万ドル近くに達したそうだ。

 転機が訪れたのは1987年である。TI自身が「古いTIのマシンを下取りし、最新のIBM-PC互換機に3500ドルでアップグレード」というキャンペーンを打ったが、この時Gateway2000はほぼ同じ構成のIBM-PC互換機を1995ドルで提供するというキャンペーンを打った。

 TIを含む競合メーカーはとてもこの価格には対抗できず、結果として1987年には150万ドルだった同社の売上は、1988年には1200万ドルまで増える。

 こうして一躍IBM-PC互換機のメーカーとして有名になった同社は、その後も低価格路線を突っ走り続ける。下の画像はPC Magazineの1991年4月号に掲載された価格表であるが、同じ号を見てみると、これより安い価格をつけているのは聞いたこともないようなショップブランドか、もしくは下取りで500ドルオフというケースばかり。

Gateway2000はこの当時、折込広告で掲載していたはずだ

 大手といってよいか判断に苦しむところではあるが、当時知名度の高かったZeos Internationalの広告では、以下の数字が並んでおり、Gateway2000に比べると数百ドル高めになっている。

 
Zeos Internationalの広告
構成価格
i386/25MHz+64Kキャッシュ+1MBメモリー+85MB IDE HDD+
14インチモニター+キーボード
$2,295
i386/33MHz+128Kキャッシュ+4MBメモリー+130MB IDE HDD+
14インチモニター+キーボード+マウス+MS-DOS+Windows 3.0
$3,695

 もっと大手のCOMPAQやDELLはもっと高価であった。さらには、IBMのPS/2ははるかに高価な(たとえば1991年4月に発表されたIBM PS/2 Model90 XP 486SX 0G9は、定価が8945ドルであった)ため、これに比べればもちろんZeosのマシンも十分格安だったのだが。

 Gateway2000が低価格を可能にしたのは、徹底的な間接経費の節約である。同社は当初、研究開発部門などは持たなかった。マーケティングなども最小限だった。

 Gateway2000といえばホルスタイン模様の箱で非常に有名であったが、広告も当初から「アイオワの田舎」を強調するようなものが多く、最初こそ一応背広とネクタイを締めていたWaitt氏も、途中からカウボーイ風に扮して登場するなど、その田舎くささをむしろ前面に押し出すという低コストのマーケティングであった。

牛柄はあくまで箱だけで、PCの筐体そのものは真っ白だった

これはPC Magazine 1989年11月28日号に掲載された見開き広告。背後の小屋が当初の会社所在地だった模様。左がTed Waitt氏、右は後追いで同社に入社したTed氏の弟のNorm Waitt Jr.氏

 当時はまだ通販が一般的だったため、主要なパソコン雑誌に見開き広告、それも農夫だったり牛だったりの広告を打つだけ、というある意味手間のかからない方策に頼っており、これで十分顧客をひきつけることができた。

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