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「飛鳥山」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 飛鳥山とは

2022-09-02

anond:20220901165311

存在感の薄い北区にも飛鳥山博物館というのがあるから花見のついでに行かれると良い。

2021-09-17

anond:20210915201122

江戸時代からの桜の名所の王子飛鳥山

山すそを削って作った京浜東北線

豪快にぶち抜く首都高中央環状線

奥ゆかしく山すそを遠回りする都電荒川線

2021-08-01

柔道ってまだ160年くらいの歴史なのね

てっきり平安時代あたりの宮殿を守る兵士とかからまれたとか妄想してたわw

しか創設者東大卒インテリとはしらなんだ

あ~しらなんだ♪しらなんだ♪

柔道創始

20代の頃の治五郎

1874年明治7年)、育英義塾(後の育英高校)に入塾。その後、官立東京開成学校(後の東京大学)に進学。1877年明治10年)に東京大学に入学した。東京大学時代には中村正直三島中洲漢文学を学び、渋沢栄一経済学講義を受け、またアーネストフェノロサ薫陶を受けその指導の下、政治学理財学(経済学)、哲学道義学(倫理学)、審美学を学ぶ[3]。また1878年明治11年)には漢学塾二松學舍(後の二松學舍大学)の塾生となる[4]。しかし育英義塾・開成学校時代から自身虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。当時は文明開化の時で柔術は軽視され、師匠を探すのにも苦労し、柳生心眼流大島一学に短期間入門するなどした後、天神真楊流柔術福田八之助に念願の柔術入門を果たす。この時期の話として、「先生福田から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」という話がある。

1879年明治12年7月渋沢栄一の依頼で渋沢飛鳥山別荘にて7月3日から来日中のユリシーズ・グラントアメリカ合衆国大統領柔術演武した。8月福田が52歳で死んだ後は天神真楊流家元である磯正智に学ぶ

1881年明治14年)、東京大学文学部哲学政治学理財学科卒業。磯の死後、起倒流の飯久保恒年に学ぶようになる。柔術流派の乱捕技術を取捨選択し、崩しの理論などを確立して独自の「柔道」を作る。

1882年明治15年)、下谷稲荷町16(のちの台東区東上野5丁目)にある永昌寺の12畳の居間と7畳の書院を道場とし囲碁将棋から段位制を取り入れ講道館設立した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E7%B4%8D%E6%B2%BB%E4%BA%94%E9%83%8E#%E7%94%9F%E3%81%84%E7%AB%8B%E3%81%A1

2021-07-06

山間部に埋められる残土について(小倉山トンネルの話)

熱海での土砂災害について、山間部に埋められた残土が問題になっている。

熱海の件とはまったく関係ない話だが山間部の建設残土と聞いて「小倉山トンネル」を思い出したのでちょっと書いておく。

有名な話だし調べればもっと詳しくわかることなので興味があったら調べてみてほしい。

 

圏央道さがみ縦貫道路)の高尾IC~愛川IC間には、小倉山トンネルという比較的長いトンネルひとつある。

このトンネル、実は、当初の計画では前後ふたつのトンネルになるはずだった。

ひとつ目の山を抜けて谷に顔を出し、谷は橋を架けて渡り、ふたつ目の山にもぐるという構造になる計画だったのだ。

 

余談だが、世の中にはこのようになぜか途中で一瞬だけ地上に顔を出すトンネルがちょいちょいある。

トンネル距離で規格が定められていて、ある一定距離を超すごとに仕様(満たさなければいけない建築基準)が厳しくなり、そのぶん建設コストが上がる。

なので、ルートを調整して一度地上に出し、上位の規格に達しないようにしてうまくコスト削減する手法がとられることがある。

 

小倉山トンネルがそれを意図した分割だったのか単に効率的ルートを引いた結果そうなったのかどちらかはわからないが、ともかく谷を挟んで前後に二分割するルートは認可された。

ところが、いよいよ測量という段になって衝撃の事実が判明する。

あるはずの谷がない

地形図では橋を架けられるほどの谷なのに、現地に足を運んだらかなり上まで地面だったのだ。

長年に渡る建築残土の不法投棄によって、谷が埋まってしまっていたのである

どうしよう。

 

残土の谷にそのままトンネルを突っ込む案、残土を切り拓いて道路を通す案などが検討されたが、強固な山体地盤とは異なり残土の谷は不安定な人工の盛土なので地盤改良が不可欠で、それには長い工期の延長と多額のコスト必要だった。

結局、計画は残土の谷を「下」に迂回して一本のトンネルを通す設計に変更された。

 

結果、小倉山トンネルは(どっち向きに走っても)トンネルの前半が下り坂で後半が上り坂というV字型の苦しい設計トンネルになった。ここを走る機会があったら観察してみてほしい。見るからおかし風景と感じると思う。その裏にはこんな残念な事実があったのだ。

 

ちなみにトンネル内での勾配変化はよくあることで、雁坂トンネルは「への字型」の勾配変化があるし、首都高飛鳥山トンネルに至ってはウェーブ状の起伏があって空いている時間帯に走ると楽しい

2019-05-24

anond:20190524141318

マジレスすると飛鳥山。帰りのさくらトラムは適度に空いてるので文句を言う人はあまりいないぞ。

 
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