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「明治3年」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 明治3年とは

2025-02-11

社会学者が「日本夫婦同姓は作られた伝統」と主張するならば……

日本の一夫一妻制は作られた伝統」も通ってしまう。

下記の記事を読んで、明治時代辺りの「脱亜入欧」「西洋化」が夫婦同姓へ強く影響したという論考があり、これについては同意せざる得ない。

戦後日本の「夫婦同姓制度」は、じつは「中国化」と「アメリカ化」の産物だった…日本の「姓と家族」の伝統を解き明かす

https://gendai.media/articles/-/146597

1896年に制定された明治民法では、一転して夫婦同氏制が採用された。決め手となったのは「西洋化」だったことを特筆しておきたい。1895~96年に開催された法典調査会法学者の梅謙次郎は、「支那の慣習」である夫婦別姓を退け、「欧羅巴ては昔から極まつて居る規則」の(と当時は見えた)夫婦同姓を採用すべしという、脱亜入欧的な説を展開した(施「明治民法はなぜ夫婦同氏制をとったか」)。

https://gendai.media/articles/-/146600?page=2 (上記記事の後編)


ただ、この論考を採用すると日本過去時代側室や妾が認知されており、どんなに遅くとも公的には1870年(明治3年)に妾は妻と同等の二親等であると定められた。税制相続においては妻と同等の二親等の権利を得られないが三親等と同等の権利保証されていた。

しかし、1898年(明治31年)の戸籍法改正に拠って、妾とその子供は従来の夫の戸籍から外れ、現在人権意識から考えると驚くべきことに相続に関する権利まで戸籍から外れるとともに失われてしまった。

この廃妾が行われた理由は「夫の姦通(浮気)では離婚事由にならないのに妻の姦通離婚事由になるので不平等である」という観点のもと行われたが、その背景には脱亜入欧文明開化に影響を受けた、男女同権論、婦人解放運動があったのは当時の帝国議会記録を見ても明らかであり、妾の存在無視して日本氏姓婚姻制度歴史を語るのは非常に無理がある。

脱亜入欧敗戦の結果に夫婦同姓が加速し夫婦同姓は作られた伝統なのであれば、脱亜入欧敗戦の結果に一夫一妻制が加速し一夫一妻制は作られた伝統であるのは日本歴史として紛れもない事実であり、現在人権意識夫婦別姓を提唱するのであれば現在人権意識婚姻形態自由化も求めなければ姿勢として誠実でないと言える。

氏姓婚姻形態は別軸であると語る者が居るかも知れないが、これらは同時期に議論され改正され日本に定着した制度文化意識だ。戸籍改正という1つ議題として扱われていたのに片方(氏姓)を尊重し片方(婚姻形態)を蔑ろにするのは現在人権意識から言って明らかに間違っている。

日本の一夫一妻制は妾とその子供の人権犠牲の上に成り立っており、現在人権意識でこれを評価するのであれば是正すべきで、妾とその子供の保障日本議会は行わなければならず、しかし当時に生きた人はもう既に亡くなっていると考えられ時効も成立しているはずなので、形の上だけでも日本議会は妾とその子供の名誉回復議決すべきだ。

そして更に、現在人権意識でこれを評価するのであれば一夫多妻制という不平等制度ではなく一妻多夫制も認め、妾および男妾の民法上の権利相続も含めて夫または妻と同じ二親等と同等であると定められるべきだ。

何故か、社会学者(とその周囲の界隈)が口にする「日本夫婦同姓は作られた伝統」では一夫一妻制よりも長期間存在したはずの妾(側室)が無視されがちで、しか夫婦同姓と共に妾の是非は議論されていたのにも関わらず、まるで存在しなかったように扱われている。

これはどう考えてもおかしいのだ。過去に振り返って氏姓の在り方を論考するのであれば婚姻形態の在り方も必ず論考されなければならないはずなのに、まるでそこには触れて欲しく無いかのように妾の存在言及されない。

まったくもって不思議すぎる現象なので、ここで改めて妾へ言及するためエントリを書かせていただいた。

2024-03-23

anond:20240323072707

どこまでさかのぼってるのか知らんけど三菱前身九十九商会の設立ですら明治3年なんだけど

2019-02-03

anond:20190203103053

略歴

渡辺重石丸(渡辺重名の孫で栄太郎の従兄弟にあたる。)に師事して国学水戸学を学び、尊王攘夷思想をもっていた。福澤諭吉の再従弟に当たり、住まいも近所で親しい交際があったが、明治3年1870年)、福澤が帰郷した際、寝込みを襲おうと暗殺を企てた(同学の同士に、獅子文六父親岩田茂穂がいた)。福沢邸に乗り込むものの、議論する内に福沢の価値観に魅せられ、その後、慶應義塾入学

2018-07-12

人口減で村や森を維持できないとか言うけど

明治3年人口が三千万人いたわけだ

。今の1/4とかでしょ?1/4で村や森を人力で維持してたんだから機械化された現代人日本で維持できないわけがない。

2018-06-30

日本資本階級ってさ

明治3年統計

皇族 28

華族 2251人 (0.01%)

士族 109万4890人 (3.64%)

卒 83万0707人 (2.76%)

神職 14万6950人 (0.49%)

僧尼 22万7448人 (0.76%)

平民 2726万5638人 (90.62%)

穢多 44万3093人 (1.47%)

非人 7万7358人 (0.26%)

合計 3008万9429人 (死刑1066人を除く)

これくらいの比率収束するんじゃないの?

2016-11-23

[]国が興るも滅ぶも人にあり。小林虎三郎

長岡藩支藩であった三根山藩現在西蒲原郡巻町峰岡)が長岡藩の窮状を察し、米百俵を寄贈したが、分配されることを望む藩士らに向けて虎三郎は、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物養成するのだ」と教育第一主義を唱え、その米百俵の売却益を元手に、学校必要書籍器具の購入にあて、明治3年6月15日1870年7月13日)に国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目)に開校した(現在の市立阪之上小学校ルーツでもある)。

小林虎三郎 - Wikipedia

興学私議について

国を興すは教育にあり―小林虎三郎と「米百俵」 | 松本 健一 |本 | 通販 | Amazon

One Hundred Sacks of Rice : A Stage Play: Yamamoto; Keene, Donald (translator) Yuzo: Amazon.com


金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上。

2015-10-26

日本の製糸技術歴史経緯について

NHKドラマが叩かれ気味なので、擁護してみようと思う

ちょっと調べた程度で専門家ではない

背景

もともと日本蚕糸業は国内向けだったため、品質価格国際標準に届いていなかった。

しかし、蚕病により海外生産量が減っていたこから日本生糸世界の注目を集めることになる。

また、高品質生糸よりも安価な物が求められていて、日本の低品質生糸でも十分に需要があった。(日本の糸は、海外では横浜での相場の2倍ほどで取引されていた)

品質な糸の使い道は、織物の横糸など。

織物は縦糸と横糸で構成されている。

機織りの工程では縦糸は強く引っ張るが、横糸は縦糸にくぐらすだけなので品質の悪い糸でも問題なかったりする。

年表

1840年フランスで蚕病が発生
1853年フランスの蚕病がピーク
1860年横浜港開港 生糸輸出開始 蚕病の影響で日本の輸出増
1868年明治元年イタリアで蚕病ピーク
明治3年藩営藩営前橋製糸所を開設(日本で初の洋式器械製糸所)
明治5年富岡製糸場操業開始 "官営で"初の洋式器械製糸を導入した(日本で初とは言ってない)
明治6年星野太郎前橋製糸所を参考に、水沼製糸所建設民間洋式器械製糸所)
明治11水沼製糸所製、パリ万博で一等賞金牌を受賞)

ドラマでの描かれ方

ドラマでは富岡製糸場を視察に来た星野太郎

日本生糸世界一品質」なのに

「諸外国に不当に安く買い叩かれている」

発言

水沼村に器械製糸所を作った」と紹介されていることから明治6年~の場面だろう。

・「日本生糸世界一品質

日本全体で見れば嘘。

品質であっても安いから売れていただけ。

・「諸外国に不当に安く買い叩かれている」

これは本当。

前述したとおり、海外では2倍で取引されていた。

擁護してみる

日本生糸品質が悪かったのはどうやら事実らしい。

しかし、外国人技師を招き、洋式器械をそのまま導入した「前橋製糸所」「水沼製糸所」「富岡製糸場」においては品質世界にもひけをとらなかったのではないか、と推測している。

事実星野水沼製糸所は建設からわずか5年でパリ万博でのお墨付きを得るほどだ。

あの発言星野太郎が「せっかく高品質生糸を作っても、日本の糸というだけで外商に買い叩かれてしまう」という状況に苛立ちを見せたセリフであって、(そして現地で直接取引という話につなげるためで)

脚本家が「日本の製糸技術は昔から世界一ィィィィーーーー!」という認識を与えたかった、と考えるのは少々うがった見方ではないか。

参考文献

NHK大河ドラマ花燃ゆ」(群馬桐生市 水沼製糸所跡) 生糸輸出切り開いた2人の兄弟

産経新聞ウェブ版)

http://www.sankei.com/premium/news/151025/prm1510250007-n1.html

桐生市周辺3(群馬県ホームページ

http://www.pref.gunma.jp/07/p20210002.html

富岡製糸場ホームページ

http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

藩営前橋製糸所跡 - 日本すきま漫遊記

http://www.sukima.com/35_maebashi_ito/08hanei.html

星野太郎とは【日本人による日本製生糸の輸出を実現した先駆者

http://www.jpreki.com/hoshino-c/

「なぜ、日本は高品質生糸提供することができたか?」

http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~hjm_kwmr/9/spring/anma.pdf

2015-09-24

夫婦別姓論に伝統を持ち出す馬鹿等について

夫婦別姓化を国連から勧告されたという本当か嘘かわからんニュースについてネット上で議論が起きているようである

主に夫婦別姓賛成派が使用している主張の一つに「夫婦別姓日本の伝統ではない。明治時代に云々」というのがある。

お前は馬鹿か、と。夫婦別姓論に伝統がどうの言い出すのは極めて不適切である

なぜかと言うと、ではこのまま夫婦別姓が1000年2000年続いていたらお前は伝統から夫婦別姓に賛成だ、と意見を変えるのか

ということである伝統から伝統じゃないからというのは主題本質とは極めて無関係だ。

それにもし伝統として続いていけば賛成だというのであれば、伝統になる過程夫婦別姓を今潰すべきではないだろう。

逆に反対派が伝統からというのも同じ理由根拠にならない。賛成派も反対派もまず思い出さなければならないのは

日本では明治3年まで多くの国民苗字を持っていても表立って使用しなかったという事実である

そうであれば夫婦別姓も同姓もありようがない。

私は夫婦別姓論に反対だが、その大きな理由子供苗字が両親と統一しないからという感情論である

の子供の苗字問題は選択的であっても夫婦別姓を導入した場合に付きまとってくる問題である

なぜ妻が夫の名字に合わせなければならないのか!人権侵害だ!などという方がいるようであれば

からは「別に夫に合わせる必要はない、現時点でも認められているのだから

妻側の苗字に合わせて結婚すればいいのではないか」という他無い。

この私の意見に対して論理的反論不可能であろう。なぜならこれは論理ではなく私が感情的に嫌だと思っているかである

嫌なものは嫌なのだ。そして多くの夫婦別姓賛成論を支持する方々もそうなのだろう。現在夫婦が同姓であることで増加する

社会的コストなど、私には容易に受諾可能なように思える。

そして子供の別姓の他に生じる私が思う社会的コスト増大についても、賛成派の方々は瑣末なことだと感じているのだろう。

 
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