僕は大阪でもトップクラスに有名なお寺でしばらく働いていたことがある
それまでは宗教的素養はゼロで、なんとなくお寺やお坊さんはありがたいもの、的な感覚があるだけだったんだけどね
どうか皆様はその楽しみを助けてあげてください」
年を取ると、親も兄弟も配偶者も旅立っている方は多く、亡くなった方達のためにできる数少ないことのひとつが、お彼岸のお参りであり、先祖回向なわけだ
でもそのうち、親しい人は皆あっちにいて、あちらの世界がこちらより身近になってくる
そんな方は、お参りに来ることをとても楽しみにしているのだ
働いている者達は知っているんです、その値段が違っていても、同じお坊さんに同じようにお経をあげてもらっていることを
何も違わないことを
同僚が、参拝者に、この値段は何が違うの?と聞かれたとき、彼は、いや同じですよと答えて、上の人に怒られたことがあった
確かに同じかもしれない、しかし、そういうときは、「お気持ちです」と答えなさいと指導されていた
そして参拝者は、「気持ちはあるから3千円でええわ」と答えていた
坊さんの控室がある
同じところで我々も休憩して、お弁当を食べる
お坊さんは何人かくるけど、みなさん、ずっと不倫相手とメールしたり、スロットを回したりしていた
お経を読むときも、休憩している坊さんに、いまあいつ、アーばっか言うてサボってるよwとか言われていた
お経あげてると思ってたらアー言ってるだけの時もあるらしい
正直にいうと、一般人の方がよほど清いと思うくらいに坊さんは尊敬できない方ばかりだった
もちろん全員がそうじゃないのは当たり前だけど、逆に、お坊さんだから無条件にありがたいわけでも、救済があるわけでもないことはわからされてしまった
お参りとは何なのか?考えざるを得なくなった
坊さんという存在やお経の言葉が、薬のようにたちまち死者への救済をもたらすわけではなかったのだ
当たり前かもしれないけど、行為や作法そのものに意味なんてないのだ
大事なのは、指導で言われたように、参拝者自身のお気持ちなのだ
そのお気持ちというのは、ただ静かに死者のことを想うだけでももちろんいい
それだけではなく、わざわざ有名なお寺に出かけて行って時間を使うのもまたお気持ちの表れだ
わざわざ、死者のために1万円使うのもお気持ちだ
死んだ人にプレゼントをあげても喜んだ顔を見れないから、せめて先祖回向をわざわざすることで、喜んだ顔を想像することしかできない
だから、それをする
それをすることが喜びになる
それが、楽しんでお参りにくる、という中身だ
忙しくて回向に来れなかった方が不義理なわけでもお気持ちがないわけでもない
それと同時に、「わざわざ」があればそれもまた気持ちの強い表れと言える
わざわざ、とはつまり、時間的、経済的、肉体的なコストのことね
例えばライスシャワーの慰霊碑にわざわざ出向き、わざわざバラを買って、わざわざそれを備え、わざわざそれをSNSにあげること、それは全て、死者へのお気持ちの表れだ
大切なのは、各自のお気持ちを死者へ向けることであり、他者のお気持ちを自分の正義感や自分の信じる作法から批判することではない
1万円で回向する人が、3千円で回向する人のお気持ちを否定するようなことは決してないし、あってはならないことである
死者を思い、楽しんで慰霊碑に来られた方の気持ちを否定することは、宗教に携わった立場からするとあまりいいこととは思えない
投稿から悪ふざけに見える要素があるかどうかと、思い立ってからバラを買い慰霊碑に向かうまでの間にわずかでも死者を想う気持ちがあったどうかは、決して結びつくものではないと思う
死者のためにできることはない、全て生者のためだ、って言っているブコメが多いけど
この行いを、あの人がもし見ていてくれるなら少しは喜んでくれるのかな、と思えるから生者の救いになるわけで
無になったもののためにできることはないと完全に割り切るなら生者への救いもまたないのだよ
ライスシャワーからしたら何で薔薇…?ってならん?
でもライスシャワーは死んでるし、馬なんだよ バラだけじゃなくてどんな花も、なんなん?ってなるよ 生者の自己満足でええってことよ
じゃあ参拝にきた他の人の気持ちは?
自分の先祖の墓に誰かがバラを備えてたら不快になる?ならないでしょう 仏教的にバラは不適切とか、入院患者にツバキはダメとか、そういうのって迷信や宗教的な意味合いなので、そ...
見ず知らずの他人が自分の先祖の墓に備えてたらかなり微妙
自分は知らなかったとしても、爺さんに生前世話になったんです、とか聞いたら、ああ、そうですか、それはありがとうございます、ってなると思う
青い薔薇の花言葉「神の祝福」→結婚式のライスシャワー 青い薔薇の花言葉「奇跡」→JRA春天CM 93年、天皇賞(春)。 極限まで削ぎ落した体に、鬼が宿る。 王者メジロマックイ...
👃『なんやみょうにはなにつくかきかたしよんなこいつ』
みょうほうれんげーきょー(チーン)
ここで増田SF勢に、死者の代弁者について語りだして欲しい。
ワイはビーン側の物語を追っかけてた者やで
お参りが一種の 脳内二次創作 なら、生物(ナマモノ)の扱いは注意しないとダメだろ。 普通の無名のおばあさんのご先祖は、そうそう他人に二次創作されないからな。
そもそも関東の刺客の非業の死、ってのも事実に基づいてはいるものの、馬を擬人化した感動ポルノだ、って言われているからな 事実に基づくストーリーからライスシャワーを神格化し...
死者にできることはないが死者ってアイテムを利用して付随する情報を保管するのが生者にできることやで 儀式だの様式だのにお金で順序をつけて金を出せるやつが優遇されはするけど ...
寺で働いてたというのが嘘過ぎて駄目。 本当に働いていたのであれば、住職からやってはいけないことを学んでいるはず。 ライスシャワーの件も『碑』がなんであるかを知っていたら、...
お婆ちゃんの気持ちを大事にすること この色の蝋燭以外はうちのじゃないから半分も燃えたら早めに処分すること が、仕事上しっかりと言われたことだな 嘘だと思いたいなら別に構わ...
そこまで考えてるなら、ライスシャワーの件も何故調べない。 あれを行った奴は弔う気持ちなんざカケラも無いのはわかったろうに。 寺の話、死者の話、そこでやめておけばいいものを...
生者のために死者ができる事も教えてください なるはやで!
初日の説明の「ディズニーランド」っていうのが、めちゃくちゃぴったりハマる例えなのがすごいな。
ライスシャワーの件が醜悪なのは オタクが本馬を無視して、キャラクター縁の観光スポットとして消費しているからだろ 気持ちが無いんだから気持ちがあれば形はどうでもいいみたいな...
何故それが醜悪だと思うのか 何故それが気持ち悪いと思うのか そこを説明できずに誰にも理解されないてないから批判されているんだよ
坂本龍馬(実在の人物)の墓で坂本龍馬(司馬遼太郎によ?二次創作キャラ)の墓参りをするのは問題とされてない。はい論破
気持ちがないと断定してしまうのは、悲劇の馬として死後作り上げた偶像への感傷であって、アニメキャラから入るのと対して変わらない宗教戦争なんだがな
いや生者のためって碑にバラ乗っけてライスシャワーちゃんとかやって遊ぶキモオタのためって意味じゃ無くない? 俺は寺で働いてたんだ!死者を悼む気持ちがあったかもしれないだろ...
他人の心をそうやってジャッジして的外れなポリコレ棒を振り回す人生は楽しいですか? さぞや楽しいからやってんでしょうけど
どうせ49日で生まれ変わるんだからそんなことする必要ないと思うが
50超えてるのでよくお墓参りに行くようになったけど死んだ人に会いに行ってる感覚しかない それ以上の気持ちはないし道徳的な思いも何もない
この話、ちょっと前の話だったから ダンナが死んだら結構いい額の年金もらえて 1人なら生きていけるおばあちゃんにとっては お金の心配がないけど 特に用事がないって人が楽しみに来...
追記のそれ、そのまんまなので 救いがない人が大半なので、わざわざそれ言わないほうがいいと思う 自分の先祖なんてわかんない人が大半 親より昔やなんなら親のこともよくわかって...
青いバラは、死者を思う別の生者の思いを踏みにじるから良くないんだよ
青いバラは、死者を思う別の生者の思いを踏みにじるから良くないんだよ
青いバラは、死者を思う別の生者の思いを踏みにじるから良くないんだよ
>無になったもののためにできることはないと完全に割り切るなら生者への救いもまたないのだよ その通りだよ。救いなんて幻想自体が宗教法人の商売道具に他ならない 信仰は最強...
なんでお布施がお気持ちって言うかって、死者へのお気持ちじゃなくて、お経をあげてくれる坊さんへのお気持ちとか、神社仏閣を管理してる人への維持経営費としての「お気持ち」だ...